十九 豁然

 真木和泉まきいずみは孝明天皇に心酔していた一人で、武力をもってしても帝の為に攘夷を実行しようとしていた。その為一番の敵は会津藩主松平容保であり、それを守る新選組であった。

「して、次の策というのは?」

 真木が身を乗り出し桜王ざくろに問う。

「会津も新選組も今は松平候の下命次第。それならばここを抑えるのが一番だと思ってな」

 大きく頷きながら真木が話に聞き入る。久坂くさかも目に火を宿したように熱心に桜王の言葉に耳を傾けていた。久坂にとってかつての師、吉田松陰よしだしょういんの友であった宮部鼎蔵みやべていぞうを池田屋で亡くしてしまった事を悔いずにはいられなかった。攘夷を遂行するという目的の他にも、久坂は制裁を加えなければいけない相手がいた。

「お二方とも潰したいお人は同じだろう。まあ、見ててくださいよ」

 相変わらず桜王のニヤついた顔がろうそくに照らされる。

「我らはこれより天王山に向かい布陣をはる。それまでに桜王殿、頼みますよ」

 真木の期待に「相承知した」と言葉を残すと桜王が部屋を後にした。


 ▼▼▼


 池田屋事件からやや経ち、珍しく近藤と土方が壬生寺拝殿の階段に並び腰掛ける。夏へと向かうこの時期は座っているだけでもじわじわと暑い。

「なあトシ。最近魂喰の方はどうしてあれほど冷静なのかと考える」

 風くらい吹けばいいものの、今日はいつもより空気が流れず不快さを煽る。

狐火こっこのことか?」

 近藤がいくらにごそうが土方には伝わってしまう。長年共にいるが所以だった。

「私は京に来て一年でいろいろな経験をし、魂喰のことが少しわかった気がするんだよ。狐火殿は初めから己と他人、内と外に壁を作っていた。それはなぜかと考える事があった」

 土方は近藤の話を聞きながらじっと前を見つめていた。

「それで今回柴君の事を経て気付いた。魂喰は私たちが生まれるずっと前からこのような世で生きて来たのではないかと。魂喰は兇魂に憑かれたものを粛清してきた。その対象は友や親兄弟、愛する人であっても変わらぬこと」

 前を見つめた瞳をそっと閉じる。まぶたには芹沢や野口、柴の顔が浮かぶ。

「己自身とでさえも距離をおいておかねば、今の私達のようにいくら悲しみにくれても足りないのではないかと、そう思えて仕方ない」

 土方からの返事はない。しかし近藤も分かっていた。隣の旧友も同じ気持ちであると。

 これからさらなる激動が待ち受けている。今自分たちが新選組を、京を、会津藩を守るため今一度気持ちを持ち直す必要がある。これもまた二人が共通に感じていた事だった。



 その頃、昼間から八木邸の一室には貂が居座る。目の前に座る藤堂との睨み合いが続いていた。

「だから、大丈夫だってば!」

 藤堂の声が部屋に大きく響いた。

「もう怪我も治ったし、体はなんともないんだから」

「まだ傷口がふさがりきってない。今臨戦するのは危険だ」

 膨れっ面の藤堂に対し、貂が冷静に諭す。

「もう三週間も休んだんだよ。貂は私の事を信じないの!?」

「信じているに決まってるだろ。俺は平助のことをずっと見て来た。だから分かる。平助は何としても九条河原へ着いていくつもりだろ」

 信じているなどと言われれば藤堂も強く言い返せなくなる。ひたすらに自分を見守ってくれ、心配してくれる事が嬉しかったし、すこし甘えたかった。

「貂もついて来てくれたらいいでしょ」

 ついに貂がはあと大きくため息を付いた。


 池田屋の一件で逸材でもあった主要人物を殺されたと、長州内では怒りが頂点に達していた。千人あまりの兵士が大阪や京都へ乗り入れ布陣を張り出していた。会津藩からの命で新選組も九条河原へ布陣することとなった。出陣は明日へと迫っていた。

「私は近藤先生や土方さんの役に立ちたい。土方さんがもう大切なものをなくさないように、悲しまないように力になりたい」

「平助も土方さんにとって大切な存在なんだ。俺にとってもだ」

「だったら見てて。貂は私の事を見ていて。最後まで」

 まっすぐに貂の目を見つめ話す藤堂にこれ以上の説得は無駄だと悟る。

「会津公のことは聞いたか?」

 池田屋事件当日には回復したようだったが、それ以来どんどんと体調が悪化していた。今では松平に代わり禁裏御守衛総督の役に就いていた一橋慶喜ひとつばしよしのぶが指揮を担っていた。

「近藤先生も心配しているよ」

 未だ良くなることがない松平の容体に、藤堂が目を伏せる。

「呪詛使かもしれない」

 藤堂がはっと顔を上げる。貂の瞳を驚くように見つめた。


「今は会津藩周辺を猫尾びょうび様が張っておられる。会津公の様子を見る限り呪いの可能性が高い」

「近藤先生には話したの?」

 貂が首を横に振る。

「まだ確信するまでには至っていない。近くに呪詛使の影がない。遠隔の地から術を使っているとなるとかなりの手練れかもしれない」

「松平様は、大丈夫なの……?」

 貂が居住まいを正すと藤堂にゆっくりと話した。

「呪いはかならずかけた側に返ってくる。どんな小さなものでもだ。人を病に陥れるのも危うい行為だが、死に至らしめるのならば自分の命と引き換える覚悟が必要だ」

「そこまでして呪詛使は会津藩を嫌っているの?」

「いや、そうじゃない。これは狐火様の考えだが、呪詛使に長州と心中するつもりなんてない。あくまでも会津と新選組の繋がりを切ることが目的。呪詛使が目の敵にしているのは新選組と、魂喰だ」

 これから起きようとしている大波の気配を藤堂がじわじわと感じ取る。


「だから、平助はここに残ってほしい」

 それでも藤堂は首を縦に振らず、代わりに貂に向けてにこりと笑う。

「でも貂も戦うんでしょ? 一緒に肩を並べる存在でいてはダメかな」

 藤堂の強さを貂はよく知っている。だからこそ藤堂の言葉は身に余った。

「俺なんかが肩を並べるなんて……」

 突然両頬に触れるものを感じると、ぷにっと優しくつままれた。貂が目を丸くして藤堂を見る。

「私もね、貂の強さを知ってるよ。優しさもね」

 貂は心の声が漏れたのかと驚いた。目の前にある藤堂の額に出来た傷が目に入る。

「分かった。共に、京を守ろう」

 ぽつりと零した貂の言葉に藤堂がそうこなくっちゃと破顔する。次会う時は戦禍かもしれない。それでもお互いに心配はなかった。藤堂が差し出した手を貂がぎゅっと握った。



 元治元年 六月二十四日


 長州藩が山崎天保山に布陣をはる。それに伴い、新選組が九条河原へと出陣した。



第二章 完。

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