十八 散華

「どうして! なぜですか! 広沢さん‼」

 近藤の声が雨音を割く。いつから笑顔を忘れてしまったのかと思うほどに広沢の顔は暗かった。しかしそれよりも愕然と地に落ちたように立ちすくんでいたのは土方だった。

「松平様はお咎めなしと、そう言われたではないですか!」

 近藤が傘がぶつかり合うほどに詰め寄る。

「殿は! 殿は沈黙を守られた! 土佐藩が攻め立てようと、もはや会津と敵対しようかという空気になってなお、言葉を覆すことはされなかった」

「それではなぜ……」

 広沢の顔はみるみると悔しさに飲まれていく。

「柴は自ら申し出た。土佐と会津、両成敗とするしか関係を救える方法はなかった。それを汲んだ柴が、自ら、切腹を申し出たのです」

 広沢の顔は悔しさか。いや、そこに宿っているのは怒りと憎しみではなかったか。あまりに突然襲った失望にそれさえも思い出せなかった。


「今日は明日の葬儀の連絡に参りました。それだけです。では近藤殿、土方さん、失礼します」

 踵を返しかけた広沢を近藤が呼び止める。少し振り向いた顔は未だ下を向いたまま、近藤たちと目が合わせることはない。

「近藤殿、私はあなた方新選組を責めるつもりはありませんよ。でもね、今ここにいるとどうしても憎んでしまいそうなのですよ」

 「分かってください」と再び背を向けるととぼとぼと歩きだす。そんな広沢を呼び止めることなど出来るわけがなかった。広沢の姿が見えなくなるまで二人は言葉を失くし立ちすくんだままだった。

「柴君は立派に務めを果たした」

 近藤の言葉を聞き終わる前に土方が傘を捨て屋敷内へと歩き出す。大股に急くように家の中に入ると、びしょびしょに濡れたままある人物の元へと向かった。隊士たちを集め、講義と称してくどくどと話を聞かせている武田の前に土方が立ちはだかる。何事かと隊士達がその場をあけるように避けていく。驚いた顔の武田に向かって拳を振り上げた。しかしその腕を掴み止める者があった。勢いよく振り返った土方の背後にいたのは永倉だった。同じく雨に濡れたその目が土方を制する。


「副長が隊士に手え上げてんじゃねえよ」

 見上げるように睨んだ永倉の目を土方が睨み返す。止めるなら共にやるまでだと土方が拳に力を入れると、永倉がすっと脇を通り過ぎ前に出た。そのまま武田の胸ぐらを掴むと思い切り殴り倒した。武田が勢いに飛ばされ転がり込む。その場に異常な緊張感と嫌な空気が流れていた。

 土方たちのいる部屋に足取り軽く向かっていたのは藤堂だった。饅頭を両手に抱えうきうきと急ぎ足で跳ねる。

「今日の夕飯はみんなの好きなふわふわ卵だって。みんな喜ぶかなあ」

 土方の姿を見つけ声を掛けようとしたところで、その険悪な空気に気付く。誰にも声を掛けられないままその場で足を止めた。


 武田を殴り飛ばした永倉に土方が声をかける。

「お前、聞いてたのか」

 濡れネズミになった永倉が背を丸め肩を落とす。武田はなぜ殴られたのか分からないまま頬を押さえていた。

「てめえのせいで柴が切腹したって、武田さんよお!」

 武田の目が強張る。何も言い返せないまま転がるようにその場から駆け出した。誰も追いかけることはしなかった。愛くるしい柴の、その笑顔を思い出し目を伏せるしかできなかった。

 藤堂はじっと前を見つめていた。その視線の先にはいつだって悠然と胸を張って構える男がただただ打ちひしがれている姿があった。また大切なものをなくしてしまったその人を思うと、藤堂はひたすらに胸が痛かった。



 どんよりと暗い夜が晴れることはなく、朝になっても陰鬱な空気が漂う。近藤と土方、そして永倉が会津藩邸に向かう為玄関先に集まっていた。近藤たちに思いを託すため他の隊士たちも集まる。そんな中、一人の男が姿を見せるとみながなじるような目で睨んだ。

「近藤局長! どうか私も、私も参列させてはもらえないだろうか」

 何をしに来たのかと注目してみれば、武田の思わぬ言葉に怒りを通りこして呆れそうになる。

「バカかてめえ! あんたのせいで柴は……。なのに連れていくわけがねえだろ。会津もあんたなんかに来られていい気はしねえよ」

 吐き捨てた永倉に「もっとも」と手を床につけ深く頭を下げる。その姿に近藤たちも驚き、どうしたものかと困った顔になる。武田の様子を見ていた土方の眉間にしわがよる。それでも苦虫を噛み潰すように声を掛けた。

「どうして柴の葬儀に行きたいと思う」

 武田が少しだけ顔を上げる。


「私だって柴君が好きだった。分かってますよ、私がみなさんと柴君の輪に入ろうとすると嫌がっていることも。ただ、私もみなと戦えるとことが嬉しかった、楽しかった、私の力を頼ってほしいと、そう思っていた」

 なんて不器用な人だと土方が目を瞑る。薄く目を開けると昨日から降り続いた雨が止み、空に広がる黒い雲が瞳にうつった。

「早く準備しろ。すぐに出る」

 武田がバタバタと支度しに駆け出すと、永倉が「土方さん!」と文句を言いたげに叫んだ。近藤は何も言わずみなの言葉を聞いていた。


 葬儀では武田がおいおいと声を上げて泣いた。それは誰が見ても真実の涙であった。気を悪くするどころかその慟哭が弔いのようで、その場のみなが武田の声を深く心に止めて祈った。

 それでも土方だけはずっと暗い影を落としたまま会津藩邸を後にした。近藤たちは少しでも気がまぎれればと街へ出ようと誘ったが土方は断った。先に帰ると言い歩いていく土方の背を見送る。こんなにも不安な背中を見せた土方は初めてだった。

 八木邸に帰り着くと屋敷内は静まり返っていた。隊士達は引き続き見廻りに出払っていたり、前川邸での稽古に勤しんでいる。陽が射さず、昼間なのに薄暗い縁側を歩いていく。庭の木や葉からは昨日の雨が残した露が時々地に滴り落ちる。ゆらゆらと歩いていると土方の行く手に影が見えた。それは土方の帰りを待っていた藤堂だった。


 藤堂を見てもなお虚ろな目のままの土方を迎える。向かってくる土方に向け、藤堂が両手を開いた。土方をまっすぐに見つめ広げた両腕を差し出す。土方は何も言わないまま、その腕の中へ体を沈めると藤堂の背に手を回した。ぐっと背中に力がこめられる。その感覚を感じると藤堂も土方の背を優しくさすった。そのまま静かに瞳を閉じる。

「平助。お前は決して禁令を破るな。誰にもやられないくらい強くなれ、鍛錬しろ。お前は絶対に――」

「土方さん、私はいなくなったりしません」

 安心したのか土方からふっと力が抜ける。それを感じ取った藤堂がほっと息をついた。



 土方と藤堂の様子を近藤が離れたところから見つめていた。ちょうど八木邸へ戻ってきたところだったが、二人に声を掛けることができずにいた。

「なあ、近藤はん」

 いつも不意に聞こえてくる声。いつもと違い地に足を着け立っている狐火こっこへと振り返る。狐火へ向けた顔はどこか疲れたように見えた。それでも狐火は気遣うふりはしなかった。

「近藤はんは士道をふりかざして何をする? 何を目指す?」

 突然の問いに近藤が言い淀む。いつもなら簡単に出てくる言葉がのどにつかえた。

「じ、尽忠報国。国の為、松平様の力になりたいと……」

「辛いならやめはったら? ええね、選べるもんは」

 くるりと後ろを向くと狐火が去っていく。何か言わんとしてきたはずなのに、きっと大事な事だろうに、近藤は呼び止めることも出来なかった。腹の中に「迷い」の二文字がぐるぐると渦巻いていた。


 ▼▼▼


 元治元年 六月二十一日


 大阪の旅籠屋はたごやの一室。身を潜めるように集っていたのが長州藩久坂玄瑞くさかげんすい、久留米藩真木和泉まきいずみ、そして黒い法衣を纏った呪詛使桜王ざくろだった。ろうそくを立てただけの薄暗い部屋の中、真木が口を開いた。

「今回は新選組を陥れるまでは行きませんでしたか」

 久坂も無念と顔をしかめる。

「会津と土佐を切ることが出来ればこちらにも有利だったのだがな」

 二人が桜王に目を遣った。

「両方叶うと思ってのですが、これは残念。まあ、次の手はすでに打っておりますので」

 桜王の顔が不敵にニヤついた。

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