十七 鳳雛
「この度は逃げた土佐藩側の行動にも非があり、柴くん一人に落ち度はない。よって、処罰は行わないと、松平様は申し伝えなさった」
近藤の言葉に一同がどっと安堵の表情を見せ、胸をなでおろす。それでも心配がぬぐい切れない永倉が近藤に詰め寄った。
「でも土佐は、土佐藩は何か言ってこないのか?」
「土佐藩側も咎めはしないと、そう言っているらしい」
「そうか」とやっと永倉もほっとした表情を見せた。
「よかったね、新ちゃん」
横からにこっと原田が覗くと永倉も心底嬉しそうな顔をする。その傍では何も言わないが眉を開きその場を見守る土方の姿があった。組んでいた腕をほどくと静かにその場を去った。
次の日も穏やかな晴天の中、新選組の日常が流れていく。今度こそ長州をしとめようと鍛錬する者、策を練る者、出動の準備をする者、各々の時間を過ごしていた。
しかし快晴の空は思わぬ方向から曇り出した。
表から血相を変え飛び込んできたのは島田だった。慌てた様子のまま近藤の部屋へと直行する。その異様な様子に隊士たちもわらわらと集まって来た。
「近藤さん! 大変だ!」
声を掛けるのも忘れ襖を開けた島田に近藤も驚く。
「今朝がた、土佐藩の麻田殿が切腹なされた!」
なんだと驚いたのは近藤だけではなかった。この日も非番だった永倉が隊士たちを押しのけ近藤と島田の前に割って入る。
「どういうことだよ、島田さん。昨日は互いに非なしで片付いたんじゃなかったのかよ」
焦りからか永倉の顔色が悪くなる。
「そうだと聞いてたんだがな。今日になっていきなり麻田殿が武士不面目を理由に腹を斬らされたって話だよ」
「武士不面目!?」
今にも島田に掴みかかる勢いの永倉を近藤が諫める。
「それはどういうことだ、島田」
「あの土佐藩士、後ろ傷を負っただろ。柴にやられた槍の傷だ。相手に背を向けた行為を咎められたんだろうよ」
「そんな……」
永倉がその場にへたり込む。そして近藤に向けて顔を上げた。
「でもよ近藤さん。会津公は柴にお咎めなしと言ったんだろ? 大丈夫だよな?」
「武士たるもの、一度言い渡した事柄を覆すなどありえん。会津藩主である松平様ならなおさら」
近藤の堂々たる態度を信じたい一心だった。しかし島田は未だ懸念を拭えずにいた。
「しかしな、近藤さん。土佐藩は怒っちまってるんだとよ。その矛先は新選組にも向いてる」
どういうことかと尋ねようとしたより先に土方が口を挟んだ。
「土佐藩と会津藩は友藩ではあるが、土佐藩の中には会津と仲良くしたがらねえやつがいるってことだ。そして折よく今回は新選組が絡んでる。一部の人間にとっちゃ絶好の機会ってとこだろうよ」
「会津と敵対するために自分とこの藩士を斬ったのか!?」
悔し気に永倉が下唇を噛む。島田がさらに追い打ちをかけるように言葉を続けた。
「土方さんの考えははずれちゃいねえ。どうやら逃げる土佐藩に襲い掛かるよう指示した声が聞こえたとか。それが新選組だったことも話にあがっている」
すると集まった隊士の後方からおそるおそる声を発する者がいた。
「あ、あの。それ、武田さんです」
永倉たちが一斉にその隊士へと振り向く。
「私は昨日武田さんと共に明保野亭に出動しておりました。丁度明保野亭の表から中へ入ると逃げる人影が見えて。それで、武田さんが長州だ、追って仕留めろ、と」
消え入りそうな声で語られたその事実に近藤たちも天を仰ぐ。
「それでも柴への制裁はない。土佐の方も分かってくれよう」
今は近藤の言葉を信じるしかなかった。
永倉が縁側にすわりぼうっとしていると「よっこらしょ」とおなじみの人物が横に腰を下ろす。
「元気だしてよ、新ちゃん。近藤さんも大丈夫だって言ってたじゃない」
その陽気さはいつでも永倉の心を軽くしてくれる。
「それは心配してない。心配なのは柴の心だよ。今会津と土佐はかなり険悪だ。あいつのことだから、きっと責任を感じてる」
「あとね、土方さんもちょっと心配」
「土方さん!?」と永倉が目を丸くした。
「そ、土方さん。あの人ってさ、本当に好きなんだよ、みんなの成長が。稽古をしてればいっつも真剣な目で気にかけてくれて、楽しそうに遊んでいれば嬉しそうに見守ってくれて。だから今回新選組が絡んだせいで柴くんの立場が悪くなったりしたら、きっと土方さんは自分を責めるよ」
しょうがない人だなあと半ば呆れた目で空を見上げる。その横顔を永倉が見つめる。たまに周りの事を本当によく見ていると原田に感心することがあった。
「あの人はあの人の精一杯で頑張ってるだけで、ひとつも悪くねえのにな」
「そうだねえ」と原田が穏やかに返す。ひと時のゆるやかな時間が縁側には流れていた。
元治元年 六月十二日
土佐の麻田が切腹となった翌日、昨日とは一転して雨が降った。朝からサァサァと音を立て降り続ける
「やあやあ、広沢さん。今日は何か用がありましたかな?」
広沢の伏せた目は近藤を見ることはない。その様子に土方も怪訝そうな顔をする。
「どうしました。こんな雨の日にわざわざ壬生まで来ていただけるとは」
からっとした近藤の表情とは反対に、広沢の目には影がかかり怖いほどにじめじめとしていた。ぬるっと広沢が口を開く。
「今しがた、柴が、
広沢が放った言葉に、雷が体中を駆け抜けるほどの衝撃を受けた。ぞわぞわと血が血管中を逆なでる。今まで煩かった雨の音が聞こえない。虚ろな広沢の顔に雨の暖簾がかかり視界を遮る。
「広沢さん、今なんと……」
「柴は立派に、腹を斬りました」
事実を伝えたその顔は、まるで化け物が宿っているように恐ろしかった。
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