十六 夜郎自大

 狐火こっこが池田屋屋敷の玄関を上がった式台にしゃがみ込む。そこへ近藤、土方、広沢が集まった。

「会津公より聞いとるとは思うけど、この一連には呪詛使が関わっとる。しかしまだ憶測の域を超えてはなかった」

「ああ、御所で話されたと聞いている」

 近藤が大阪西奉行暗殺の件を思い出した。

「そうそう、新選組を陥れようとしたやつや。今回会津公が倒れた現場で柴はんが見たのがその呪詛使で間違いない。これで長州と手を組んでるんが呪詛使と断定してええと思う」

 広沢が驚きと怒りで身を乗り出す。

「呪詛使が殿に呪いをかけたと、そういうことか」

 狐火が静かに一度頷いた。

「今回の取締り、新選組と会津藩が手を組まれては困るからなあ。まあ、結局新選組単独での力を見誤ってたみたいやけど」

 呪詛使もまさか新選組だけで池田屋を制圧できるとは思っていなかった、そう狐火も考えていた。土方は馬鹿にされたようで腹立たしいのか固く腕を組み鼻を鳴らした。

「見くびられたもんだな。呪詛使とやらがどれだけ罠を張ろうと新選組が負けるわけはない。しかしだ狐火、呪いがかけられるなら次は今回のような生易しい呪いではすまねえんじゃないのか?」

「ふむ。確かにそれは懸念せなあかんのやけどな」

 はっきりしない狐火に土方たちの視線が刺さる。

「呪詛使の敵はあくまでも化け物なんよ。うちら魂喰のような化け物」


「それはどういう事だ?」

 近藤が狐火の言う意味が分からず首をひねる。

「ふむ。せやから、魂喰は人にあらず。化け物と人の間に生まれた忌み子の末裔なんよ」

 狐火が面を取ると三人を見上げる。その瞳を見て驚いた。今まで京で見て来た化け物たちと同じくぐるぐると渦巻く瞳。土方も生唾を飲み込んだ。狐火は表情一つ変えず続ける。

「せやから、呪詛使が人を手にかける真似はせんはずや。まあ、今回のことで警戒はせなあかんと思うてな、会津藩周りは引き続き猫尾びょうびに任せようと思う」

 重大な真実を打ち明けた狐火が淡々と話す。あまりに突然の告白に近藤たちは言葉を失っていた。その様子に狐火が自嘲するように笑う。

「ま、そう聞いて手え切りたいと思うならそれでええよ」

 少しばかり静寂が流れた後、広沢が口を開く。

「殿は、このことを存じ上げているのか?」

「うん、たぶん知ってるやろ」

「ならば、我らは殿に従うのみ。其方が殿の見方である限り、我らの立場が転じることはない」


 広沢のまっすぐな目を近藤が見つめる。またしてもぶれそうになっていた自分を恥じた。

「我らも同じだ。私は松平様の力になりたいと尽力してきた。狐火殿が力を貸してくれるというなら、今まで通り共に戦おう。いいだろう、トシ」

「まあ、俺は始めっからお前らの事は気色が悪いと思っていたからな。今更鬼だ化け物だと言われたところで変わらねえよ」

 狐火が外した面をじっと見つめ、再びそれで顔を覆った。

「律儀なことで。……でもまあ、おおきに」

 聞き取れないほどの小さな声で零すとひょいと屋根に飛び上がる。

「うちら魂喰が一番に守るのは帝。それを忘れんよう」

 いつもの高飛車な態度で言い残すとさっと姿を消した。



 元治元年 六月十日


 池田屋襲撃からも幕府は倒幕派の残党を狩るために動き続けた。池田屋で一旗揚げた新選組もそれに乗じ、会津藩と共に残党狩りに翻弄していた。その折、東山の料亭「明保野亭」に不審な浪士がたむろしていると情報が入った。この時他を当たっていた近藤や土方に代わり武田が指揮をとることとなった。

「新選組から二十名、会津藩からも五名の兵を出していただけるとは心強い」

 まるで隊長でにもなったかのような武田が得意満面意気揚々と出動の準備に取り掛かる。そこへ会津藩士たちも合流した。その中にいた柴の姿に永倉が嬉しそうに声を掛ける。

「おう柴! お前も行くのか」

「はい、武田さんの指揮の元、相手が長州藩であれば捕まえてまいります」


 武田が指揮をとると言うことに永倉は不服な顔をする。

「柴、お前は自分を信じて動くんだぞ。手柄も気を遣うことなく取りに行け」

 「はい」と元気よく返事をする柴に永倉が鉢がねを差し出した。それを柴が驚いた顔で受け取る。

「俺はまだこの手だ。一緒にいってやれねえから、これを付けて行け。俺がいつも使っている鉢がねだ」

 それを横で見ていた原田が羨ましそうに割って入る。

「ええー、いいなあ。俺にも今度新ちゃんの鉢がね貸してよ」

 永倉に絡みつく原田と、それをうっとうしそうに払いのける永倉を柴が楽しそうに見ていた。

「永倉さん、ありがとうございます。立派に働いてきます」

 柴が額にぎゅっと鉢がねを巻く。武田と共に出動していく姿を永倉と原田が誇らしげに見送った。



 明保野亭に着くと武田が先陣を切って中へ入る。「御用改め」と叫ぶと料亭内にいた客たちがざわめいた。その時屋敷内から庭へ出ていく人影を見つける。武田がそれを見逃さなかった。

「庭です! 不審者を追うのです!」

 その声にいち早く反応したのが柴だった。庭へと一目散にかけていく。物陰から飛び出した人影に持っていた槍を構える。ちらっと柴の方を振り向いた男が逃げようと走り出した。

「柴君! 逃してはなりません」

「はい! やあああああ!」

 背後から聞こえた武田の声に勢いづくと、柴が一気に追撃し男の脇を突き刺した。後ろ傷を負った男が前のめりに倒れると慌てて柴の方へと振り返る。その様子がどうもおかしい。

「ま、待て! 待ってくれ! 私は麻田。土佐藩の麻田時太郎だ!」

 麻田と名乗る男の言葉に柴がぴたりと動きを止める。何より驚いたのが相手は会津の友藩である土佐藩であるということだった。


「な、なに……。貴殿は、土佐藩の……」

 友藩を討つなど言語道断。しかも今は共に手を取り公武合体を進めている仲間である。柴の顔から血の気が引き、嫌な汗が全身から吹きだした。麻田が刺された脇を抑えるが、血がじわじわと滲み出ていた。駆け付けて来た他の土佐藩士や会津藩、新選組がその状況に唖然とする。

「に、逃げては怪しまれるにきまっておろう」

 武田が弁解するが、その場をどう納めればよいか誰も分からない。異様な空気の中、土佐藩士たちはひとまず藩邸へと引き下がっていった。会津藩邸へ報告へ向かうもの以外、一旦八木邸へと引き返すこととなった。

 八木邸に戻ると武田は近藤が戻れば報告すると言い残し、すぐに屋敷内へ引っ込んでいく。柴を出迎えた永倉がその青ざめた顔を見て驚いた。よろよろと力ない柴を縁側へと座らせる。事情を聞いた永倉も言葉を失った。

「どうしましょう、永倉さん。私は大変な事をしてしまいました。きっと罰が下ります」

 永倉が柴の肩を優しくたたく。

「土佐の麻田も名乗らずに逃げたんだ。その場にいればだれもが長州の輩だと勘違いするに決まっている。会津公も事情は汲んでくれるはずだろ」

 永倉の慰めにも柴は肩を落としうなだれたままだった。


 近藤が戻り事情を聞くとすぐさま会津藩邸へと向かった。柴が帰ったあとも永倉含め、新選組みなが事態と柴の処裁の行く末に気を揉んでいた。今か今かと近藤の帰りを待った。そこへ近藤が戻ってくると永倉の他、原田や沖田、藤堂らもバタバタと玄関へ駆け付ける。玄関に並ぶと近藤の言葉をじっと待った。

「なんだ、みんな揃いも揃って。柴君のことだろう? 松平様と話してきたよ」

 集まった全員がごくりと息を呑んだ。

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