十五 面
化け物とののしられても
「なんか用か聞いとるんじゃ、化け物が」
呪詛使が手のひらを狐火へ伸ばすともわもわと黒い煙が手から湧き出る。
「
静かに唱えると煙が大きな猿の姿になり疾風怒濤のように狐火に襲い掛かった。狐火はそれでも冷静さを崩さず顔の前で刀印を結ぶ。
「 ガ バン 」
狐火が唱えると
「人の事ばけもん言うといて、自分は
花王と呼ばれた呪詛使がふんと鼻で笑う。
「お前ら化け物は化け物でしか倒せんのだろ? どうせ人が斬ろうが裂こうがお前たちは死なない。仕方ないだろ」
屋根の上、二人の間を生ぬるい風が吹き抜ける。まるで斬られた人から噴き出た血のような感触と温度が不気味で気持ちが悪い。
「あんたはんらの標的は魂喰か?」
「敢えて訊くか? そうに決まっているだろ。お前ら化け物が天子様に仕えているなど忌まわしい事この上ない。そうだろ、狐火」
面の奥で睨む瞳はたとえ隠れていてもその存在を露わにする。
「魂喰。はるか昔化け物と人との間に生まれた忌み子。それがどうしてか今となってもこの世で血が受け継がれる。形こそ人なれど、その中は化け物そのもの。訳知らず産み落とされれば魂喰へと捨てられ、化け物退治の道具として飼われる。ただの道具だったのが、お前の代から天子様をお守りする正義へとすり替えられた。由々しき事態と思わんか? 人を守るのは人である我らが呪詛使であるべきだ」
黙って聞いていた狐火が扇をばさりと開くと口元へあてがう。
「ほんま、よう喋ることで」
どれだけ煽ろうとも余裕の態度を崩さない狐火が鼻にかかる。
「お前ら魂喰は普通の人間とは違う目を持つ。化け物と同じ目だ。夜になると現れるのが通常だが、お前はもう昼夜問わず化け物の目か。面が外せんのは煩わしいよな」
花王がさらに焚きつけると狐火が狐の面に手をかけた。それをゆっくりと外すと素顔が露わになる。伏せていた目をやおらに上げると花王を睨みつけた。その瞳はぐるぐると渦巻き、人のそれとは様相を異にしている。狐火と目が合うと花王の背筋にぞくっと悪寒が走った。
「確かにうちら魂喰は人ではない、化け物や。人の世は人が守る。排除されるのは魂喰であるのはごもっとも。それでもあんたはんらが手を組んどる長州に帝を渡すわけにはいかん。たとえ何を敵に回しても、いつか帝から忌み嫌われようと、御所ちゃんを危険にさらすもんはうちの敵や」
狐火の気迫にひゅっと花王が息を吐く。
「なんだ、お前もよく喋る」
そう言って走り去る花王をもう狐火は追おうとはしなかった。再び面で顔を覆うと池田屋の方へと向き直る。
「さて、戻りましょか」
獅子の化け物を祓った貂が転がるように走り急ぐ。行く先は池田屋。藤堂の元だった。脳裏には未だ頭から血しぶきを上げた藤堂の姿が焼き付いている。最悪の事態、それを早く否定する現実がほしかった。池田屋近くまで来ると、飛び出した時とは違い熾烈さは勢いを失くし、火の消えたような空気が流れていた。負傷し手当てをされたものたちがそこここにいる中、探し人を求める。その人は中庭に繋がった部屋に寝かされていた。貂が屋根から部屋へと伝い降りる。もしかすると地上に降りられない貂の事を見越して屋敷内に寝かせてくれたのかもしれないと、貂の頭に土方の顔が浮かんだ。
藤堂の傍に膝をつく。額から目にかけてまかれた布に血が滲み痛々しい。布から覗いた目は閉じたままだった。
「致命傷ではないんですけどね」
手当てをしてくれたであろう隊士が声を掛けて来た。
「相手浪士は確実に藤堂さんの額を狙った。藤堂さんが咄嗟に一歩退かれたのでしょう。その判断がなければ危なかった」
貂がごくりと唾を飲み込む。
「流れ出た血が目に入ってしまい、今は開ける事ができませんが、大事ないでしょう」
隊士が立ち去ると貂が藤堂の顔をのぞきこむ。
「貂でしょ」
藤堂から発せられた声はいつものように朗らかだった。
「ああ、よく分かったな」
藤堂が腕を持ち上げると、その手が宙をさまよう。貂を探すその手を取り、握った。藤堂の頬が緩み、嬉しそうにする。
「化け物は? やっつけた?」
「ああ、心配ない」
「さすが貂だね。あれは
「うん。兄者が斬る前に自分で腹を斬っていた。だから兇魂が化け物と化してしまった」
「そっか。どのみち私には止められなかったんだね」
貂を握る手にぎゅっと力が入る。
「止めようとした平助の気持ち。俺は知っている」
ただの慰めかもしれない。慰めにもならないかもしれない。それでも藤堂の思いを受け取った存在はいると、そう示したかった。
「ありがとう、貂」
二人が話していると隊士が一人藤堂の元へとやってくる。
「そろそろ引き上げますので」
貂が頷くと隊士が藤堂を担ぐ。池田屋を後にする藤堂の姿を最後まで見送った。静かな時間が戻り、やっと胸をなでおろした。
土方の組が駆け付けると、新選組が池田屋を制圧するまでに時間は要さなかった。すでに浪士たちが捕えられ、後始末に取り掛かり始めた頃、遠くから人の波が押し寄せて来た。
「この度は大変申し訳ない。我らが会津藩只今参上いたしました」
会津藩士が声を上げると土方が池田屋への道を塞ぐように立ちはだかる。
「今頃現れるとは悠長なことで。悪いがここから先へは通すわけにはいかねえ」
「な、土方! どういうことだ」
血相を変えて会津藩士が問いただす。腕を組んだままの土方がそれでも睨みを利かせる。
「こちとら数少ない人員で長州藩に挑んだ。負傷者もたくさん出した中戦った。この手柄、後から来たあんたらに渡すわけにはいかんのでな」
会津側が歯ぎしりし悔しがっていると大らかな笑顔を携えた近藤が姿を現した。
「トシ、そんな邪険にしたら失礼ではないか。しかしトシが言うことも然り。汲んではくれないだろうか」
会津藩とて礼と義理を重んじる心がある。前線でいがみ合っていた藩士たちも次第に大人しくなった。
「承知した。この件は正しく殿へ報告しましょう。この度は遅れを取った事、大変申し訳なかった」
やっと土方も池田屋への道を開ける。会津藩士もぞろぞろと中へ入ると捕縛された浪士たちを連れ出し、池田屋内の視察を行った。
「土方さん。ご寛容頂きありがとうございます」
後ろの方から広沢と柴が出てくると土方へと歩み寄った。
「こちらこそ感じが悪かったな。すまない」
いいのですよと広沢はいつもの調子で笑う。柴がいつも通り折り目正しく頭を下げる。
「土方さん、此度は会津藩内でも事情がありまして。どうかご容赦ください。出陣の直前に殿が倒れられ――」
「松平様が!?」
柴の言葉に近藤も焦り声をあげる。広沢が静かに頷く。その横で柴が何かを思い出した。
「そういえば広沢さん。殿が倒れられたときに庭で怪しい人影を見ました。木の上で何やら術を使っていたような。てっきり魂喰の方かと思っていたのですが」
「柴! なぜそれを早く言わない」
「私に気付くとすぐに姿を消したのです。すると殿が目覚められて、そのまま出陣となったため……」
「のう、会津の
突然頭上から声がし、皆が見上げる。屋根から狐火がひょこりと顔をのぞかせていた。驚きながらも柴が答えた。
「黒い法衣をまとっておりました。魂喰とは少し雰囲気が違うと思っていたのです」
「ふーん」と狐火が考える。しかしその顔は確証を得ていた。
「近藤はん、土方はん、そんで広沢はん。ちょっと
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