十四 高山流水
田舎道の傍らに二人が腰を下ろす。永倉が話せることだけでいいと言ったが、原田はするすると身の上話を始めた。
「もう五年以上、もっと前の話だよ。俺は松山に生まれて、江戸の藩邸に小使役として出入りしていたんだ。でもほら、俺ってこんなんじゃん。礼儀がなってないってよく上の人に嫌われてね。たまに粗相をしては折檻。懲りずにまたやっちゃうんだよね」
物怖じせずはつらつとした性格は周りを明るくする存在に思えた。だから原田から暗い過去は想像できなかった。
「口をふさがれては助けも呼べない。裸にされたら逃げ出すことも出来ない。あとはやられるがまま。そんな事が続けばおれだってまいっちゃうでしょ」
眉をひそめて笑う原田に永倉が笑い返すことなど出来ない。
「だからね、そういう生き方は無理だと分かって旅に出た。ふらふらってさまよって道場に寄ってみたり。でもやっぱり目上の人はダメなんだ。きっとまた怒らせて嫌われて疎まれて……」
原田が拾った木の枝でカリカリと地面をつつく。しかしどうしてか永倉はこの時原田の事を諦められなかった。同じにおいがしたからか、原田の太刀筋が気に入ったからか、その後も思い出せない。
「そんなことなら気にすることはない。近藤さんなら大丈夫だ」
永倉の言葉が悪い冗談か何かだと原田が笑い飛ばす。
「いつも通りのお前を見せておけ。それでもし折檻されるなら、俺が代わりにやられてやる。これから何度でもだ」
思いもよらない真剣なまなざしに原田が面食らう。「なら、行ってみようかな」とすくっと立ち上がった。それに永倉となら楽しい時間が待っていそうな、そんな気がした。
永倉が原田を連れて帰ると沖田や藤堂も嬉しそうに出迎えた。夕飯はみんなで食べようと原田を案内する。近藤と同席すると最初こそ緊張をしていたようだったが、皆の明るい雰囲気に原田もいつもの調子を取り戻していた。しかしそれが藪蛇となってしまう。
「原田さんは、近藤先生ってどんな人だと思う?」
藤堂が何気なく投げかけた言葉だった。弟子や食客を従え、今目の前でもりもりと飯を食べる近藤を原田が見据える。そして声高らかに答えた。
「お山の大将みたい! でも偉ぶってないところは他のご主人様とは違って、貫禄とかがなくて――」
つらつらと出てくる言葉に原田自身がしまったと思わず口を噤む。ぎゅっと目を瞑り顔を伏せた。過去に怒らせてしまった先輩たちの怒号や顔が頭をよぎる。
しかし聞こえて来たのは豪快に吹きだし笑う沖田の声だった。薄く目を開ければ沖田と藤堂がケラケラと笑っている。クールな土方も肩を震わせ堪えている。当の近藤はというと「そうかそうか」と嬉しそうにただにこにことしていた。しまいには「お前たち笑いすぎだ」と腹を立てだしたが、それも本気ではないようだった。
「だって、先生、貫禄ないってさ」
沖田が未だに腹を抱えて笑う。
「それは親しみやすい近藤先生ならではの長所ですね」
藤堂の言葉もフォローになっているのか怪しい。キョトンとする原田が永倉に目を遣ると、言っただろと言わんばかりの目線がこちらに向いていた。
「お前はここにいろ、サノ」
名前を呼ばれた原田の目がきらりと光る。
「うん! よろしくね、新ちゃん」
微笑みあう二人を前に、また賑やかな仲間が増えたと土方も満足そうに笑んでいた。
心を許せる人が近くにいる夜を過ごす。こんなにも心地のいい眠りは久しぶりだった。肌に触る空気が冷たい早朝、原田が気配を感じ目を覚ます。襖を開けると、縁側を挟んだ中庭は薄く靄がかっていた。その冷えた霧の中、人影ときらりと光る何かが見えた。原田が縁側に出ると、それは稽古をする永倉の姿だった。
真剣を振りかざし、何度も何度も霧を斬る。その姿勢、背中、腕、横顔、眼差し、すべてが美しかった。こんなにも刀を振るう所作が麗しく猛々しいなど、富士山を見た時以来の胸の高鳴りだった。
「見てるなら声かけろよ」
永倉が手を止めると振り返る。
「あれ、気付いてた?」
「気配には敏感なんだよ」
へへっと笑うと、原田が永倉の近くの縁側に腰を下ろす。
「新ちゃん、続けて」
頬杖をつき眺めてくる原田に気まずそうな顔を向ける。
「そんなじっと見られたらやり辛いだろ」
「だって、すごく綺麗だから」
ついに刀を下ろした永倉が腰に手をやり原田の方に向き直る。
「お前も見てないでやれ、馬鹿サノ」
嬉しそうに槍を取って戻ってきた原田が永倉の隣に並ぶ。嬉しそうに槍を振るう原田に、つい永倉も頬を緩めた。
数か月も経ったある日、その日は近藤たちが出稽古に出かけており永倉と原田で留守番を任されていた。その夜、近くの住民が試衛館へ駆け込んできた。
「近藤先生! また盗賊が! 最近は出ていなかったのに……留守の女が斬られました」
永倉と原田がすぐに玄関へと向かう。泣き崩れる男の近くに寄ると、そっと肩に手を置く。
「近藤先生は出稽古でいねえ。俺らが退治してくるから、心配すんな」
永倉が走り出すと原田も後を追う。
「お気をつけて! 相手は結構な手練れだ」
叫ぶ男の声を背にひた走った。相手が何人なのか、手練れとはどれほどのものか、分からないまま男に伝えられた場所へ駆け付ける。そこには確かに盗賊がいた。盗んだものを担ぎ去ろうとする罪人を呼び止める。
「おい、そこのぼんくらども」
盗賊は五人。数は少ないにしても相手は武士道も何もない非道人である。振り返った盗賊たちが二人だけで挑む姿に嘲笑する。
「サノ、捕まえようなんて考えんな。殺る気で行け。じゃないとやられる」
小さな声で原田にささやく。
「うん、分かってるよ。そのつもり」
両者が共に刀を抜く。構える隙も無いまま盗賊たちが突っ込んできた。原田の元に二人、永倉の元には三人。体の大きさから永倉が標的にされたのか、無秩序に一気に襲い掛かる。正面から討つ、一対一の対峙を申し込むなどの武士道は通じない。さすがの永倉も三人同時に斬り込まれると防ぐことが出来なかった。
「新ちゃん!」
辛うじて二人を抑えていた原田が叫ぶ。その瞬間、原田の目にうつったのは背中をばっさりと斬られ体勢を崩す永倉。そこへ盗賊が襲い掛かり切り付けた。間一髪で避けるも腕を斬り付けられ血が垂れる。永倉は握っていられなくなった刀を落とした。
一部始終を見ていた原田の目が丸く開き、その瞳に怒りの色が灯る。原田に向かい振り上げられた二本の刀をいとも簡単に振り払うと、相手の腹を真一文字に斬り裂いた。斬られた盗賊が悲鳴を上げれば、他の三人がそちらに注意を向ける。その隙に一人を串刺し、一人を蹴り倒すと上から槍を突き刺した。
あまりの惨烈に後の一人は仲間に目もくれず一目散に逃げ去っていった。
血にまみれた屍、臓腑が飛び出た屍の中に返り血を浴びた原田が佇む。その背中を永倉が虚ろに見つめていた。息を切らした背中に陽気な原田の姿はなかった。おもむろに永倉へと振り返った原田の目は今も増悪を宿していた。永倉が悲愴な表情で眉をひそめる。あの明るく朗らかな原田がどこかへ行ってしまう。呼び戻せるのは自分だけだと自負があった。
「サノ、帰ろう」
血が垂れ流れる手を原田に差し出す。永倉と目が合うと、原田の瞳がだんだんと色を取り戻していった。
「新ちゃん、俺、抑えれなくて……」
「分かってる。大丈夫だから。俺がいつでも連れ戻してやるから」
制御のきかない自分自身が怖かった。そんな原田の手を握ると試衛館に向かい歩き出す。
「あ、新ちゃん背中は!?」
「服にかすっただけだ。斬られてない」
「手、手は!?」
握った手が真っ赤に染まっている。原田がびりっと自分の袖をちぎると永倉の手に撒いてやった。
「新ちゃんから刀を奪うヤツは俺が許さないよ」
泣きそうな原田の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「お前が好きなのは俺の剣術だけなのか?」
永倉がみけんに眉を寄せ、困ったように笑う。
「違う違う! 新ちゃんあっての剣術! 新ちゃんあっての刀で、新ちゃんがいなかったら――」
「分かった分かった。早く帰るぞ、サノ」
先に歩きだした永倉の背中を原田が追いかける。
「待って待って! 新ちゃん!」
▼▼▼
「前を歩く新ちゃんの背中は俺より小さいのに大きくて、突き放すクセに寄り添ってくれる。そして原田青年は絶対に、何があっても、新ちゃんに着いて行こうと心の中で強く決めたのでした」
「……」
腕の中で重くなっていた永倉に視線を落とす。胸と腹が上下に膨らみしぼむ。すうすうと穏やかに寝息を立てていた。そんな永倉を見て原田が目を細め微笑む。
「寝ちゃったね」
池田屋の屋敷を出ると、心配した土方らが迎え駆け付けて来た。原田はいつもの笑顔でにかっと笑った。
池田屋から少し離れた屋根の上。怪しい影を追いかけていた
「やっぱり呪詛使か」
狐火の声に呪詛使の男がおもむろに振り向く。
「なんか用か? この化け物が」
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