十三 陰日向

 原田の腕の中で力なくもたれ掛かった永倉の頭を抱え、引き寄せた。

「……うっせぇよ、サノ……」

 微かな声が原田の耳に届く。

「新ちゃん! 怪我は!?」

 原田が永倉の体を確かめると、左手に撒かれた布が真っ赤に染まっていた。

「手……手やられたの!?」

 その腕はだらっと垂れ、力を入れられる状態ではなかった。刀も握る事ができないその左手を見た原田の目の色が変わる。

「誰。誰にやられたの」

「気にすんな、もうった」

 永倉が背後に転がる遺体に目を遣る。その犯人を見るや否や、原田が槍を拾い上げその矛先を遺骸目掛けて振り上げた。

「サノ! やめろ! 亡骸に傷をつけるなんざ罰当たりが」

 袴を掴む右手にもすでに力が入らない。しかし永倉の声と少しの手の感覚が原田を止めた。


「新ちゃんから刀を取り上げた悪人は許さない」

 原田が永倉を抱え上げようとした瞬間、近くの襖がカタリと鳴った。原田がその方を睨む。隠れきるつもりだったであろう浪士が見つかっては最後と逃げ出した。もう浪士と新選組に勝敗はあったもどうぜん。階下に降りれば隊士に捕まるだけ。それでも原田の目が鷹のように鋭く光り、獲物を捕らえる。一瞬にして槍を掲げた原田が詰め寄り串刺した。逃げる間もなかった。ぼたぼたっと血が滴り、体を貫通した穂が壁に突き刺さる。内臓を一突きされた浪士の口から血が溢れ出た。

 一部始終を見ていた永倉が悲愴な面持ちで天を仰ぐ。ぜえぜえと肩で息を切らした原田が再び永倉に向き直る。全身から怒気が溢れだす原田に、永倉が右手を伸ばした。

「サノ、帰ろう?」

 優しく柔らかな声に先ほどまで滾っていた原田の瞳がすっと和らぐ。ゆらゆらと永倉に近づくとそれはもう大事そうに友を抱え上げた。

「痛む?」

「ちょっとな」

「刀、持てるようになる?」

「大丈夫だこのくらい。すぐ治る」


 どうしようもなく泣きそうな顔の原田をなぜか怪我人の永倉が慰める。「あー、痛え」と原田に体を預けると体温が伝わってくる。人の熱を感じると幾分か痛みも和らいでいくようだった。

「じゃあ、新ちゃんが痛みを忘れるように楽しいお話ししてあげる」

 血にまみれた廊下を歩き、階段へと向かう。何が始まったのかと呆れつつ、原田の好きなようにさせてやった。

「むかあし昔、多摩の試衛館に永倉新八という青年がいました」

 「そんなに昔じゃねえよ」と永倉が突っ込む。

「その頃多摩の付近では盗賊が毎晩のように暴れ、村人は大変恐れておりました」

 原田の声にただただ耳を傾け、永倉が当時の事をぼんやり思い出した。


 ▼▼▼


 その日も町人に頼まれた近藤や土方が盗賊退治へと乗り出した。試衛館仲間の沖田や永倉もついていく。辺りがすっかり暗くなった田舎道を歩いていると遠くから人が駆け寄って来た。

「近藤さん! 林の方に怪しい人影が走って行った。向こうには空き家があって、盗賊が身を隠しているんじゃないでしょうか」

 連日の盗賊騒ぎで怯えているのか、林の方を差す手が震えている。

「トシ、行くぞ!」

「あたりまえだ、かっちゃん! 盗賊とっ捕まえて試衛館の名前を上げようぜ」

 意気揚々と向かう近藤たちに町人が手を合わせる。

「あいつらは人も殺している。十分にお気をつけて」

 沖田と永倉も目を合わせ、引き締まった顔でお互い頷いた。

「近藤先生や土方さんがいれば心配することはない。永倉さんも居れば百人力だ」

「人を斬ったことがある罪人は手強い。みんな気を緩めず行こう」

 国中を旅してまわっていた永倉は多摩だけで育ってきた三人とは経験値が違っていた。人を一度斬れば躊躇いがなくなる。あとがない罪人となれば、それは正義などという生ぬるい感情より力は勝るものだと知っている。


 十分に注意し林道を歩いていく。例の空き家付近に着くと人の気配を感じた。みなが刀に手を掛ける。じりじりと物音を絶てぬように空き家へと近づいていく。さすがに相手は人殺しである。近藤の手の平にもじわりと汗がにじんだ。

「この盗賊! 大人しく従うなら手討ちにはいたさん!」

 近藤が叫び空き家の庭へと飛び込んだ。しかしそこで見た光景に目を丸くする。続いて駆け込んできた永倉たちも予想外の事態に唖然とした。空き家にはすでに打ち伏せられた盗賊が泡を吹き伸びあがっている。そして家から持ち出したのか、握り飯を食らう男が姿を現した。

「あれ? 盗賊さん、ではないよね?」

 原田の気の抜けるような雰囲気に、永倉はぽかんと開いた口を閉じられずにいた。

「盗賊さんのご飯だから、食べっちゃっていいよね!?」

 誰からも返事がなく、盗賊のものと言えど横取りしてしまったのをマズイと思ったのか、原田が焦り出した。


「これ、お前がやったのか?」

 永倉の問いに原田が「うん」と軽く答える。

「一人でか?」

「そうだよ。旅をしていたらここにたどり着いて。この人たちの話を聞いていたら盗賊のようだったから」

 そう話す原田の傍には立派な槍が一本横たえられている。

「槍を使うのか?」

「種田流だよ」

 原田が槍を拾い上げ得意げに構えて見せた。その様子に呆れながらも、相当の腕の持ち主だと試衛館のみなが感じた。近藤もこれには天晴れと豪快に笑う。

「なんにせよ、町人を脅かす強盗を退治してくれてありがとう。旅人の……」

「原田左之助だよ」

「近藤勇だ」

 ずずいと出された手を原田が握る。

「私らはこの隣町で試衛館という道場を開いている。ぜひ原田くんも遊びにきてほしい。一度手合わせ願いたい」

「いいよ。じゃあ明日にでも」

 寝るところがないのなら近藤家に泊まればいいと近藤が提案したが、原田は断った。一人が楽だからと、盗賊を引き渡した後の空き家に入っていった。


 次の日になれば約束通り原田が現れる。さっそくと原田と沖田が手合わせをする運びとなった。その様子を近藤、土方、永倉と食客であった藤堂が見守った。

 沖田から仕掛ければ原田が身軽に躱し、沖田の突きも槍で絡めとると器用に避ける。しかし近藤はその太刀筋に違和感を覚えていた。次の瞬間沖田が踏み込めば原田があっさりとやられてしまった。

「わあ、強い強い! 総司はここで一番強いの?」

 へらへらと笑う原田に近藤が詰め寄った。

「左之助くんは昨晩一人で盗賊たちを仕留めたほどの腕。総司相手といえど、そうやすやすとやられまい。手を抜いておられるのか?」

 槍を傍に置くと原田がどかりと道場に座る。


「死が存在しない太刀はこんなんもんだよ」

「死……」

「そう、自分の命。相手の命。守る命。自分が殺すのか、相手が殺すのか、誰かが殺されるのか」

 原田の風貌からは不似合いな「死」や「殺」という言葉にその場の一同が息をのんだ。物騒な言葉を吐いたとは思えないふやけた笑顔で原田が永倉に目を遣る。

「ね、お兄さんなら分かるでしょ」

 ばちりと原田と目が合うと永倉がいきなり水を浴びせられたように頓狂な顔になる。

「お兄さんも死を間近にしてきた人でしょ?」

 永倉が旅をしてきた間、殺さなければ殺される場面は多々あった。用心棒で金を得て、知らない相手を斬ったこともあった。もちろん原田にその事を話してはいないし、それに原田と会ったのは昨日の今日だ。永倉が面食らい言葉を失う。その様子を近藤や土方も興味深げに眺めていた。


 その後も原田と気の済むまで稽古を堪能した沖田や藤堂が道場に倒れ寝そべる。永倉が見回すと原田の姿が見えなかった。急いで玄関へ向かうと丁度どこかへ歩いていく原田の後ろ姿を見つけた。

「おい、お前」

 永倉が呼び止めると原田が振り向く。

「どこ行くんだよ。行く当てないんだろ? 試衛館へ来いよ。俺もここの食客なんだ。近藤さんもお前を迎え入れたいと思ってる」

 少し間を置いて原田がぎこちなく口を開く。

「永倉さんだった?」

「永倉新八だ」

「俺はね、ダメなんだ。誰かに仕えるとか、世話になるとか、しちゃいけないんだ」

「どうして!」

 今日一日明るい表情を崩さなかった原田の顔が曇る。そして何かに怯えだすような瞳で目を伏せた。

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