十二 獅子奮迅
藤堂のもとへ飛び降りようとする
「心配するんは終わってからにしい」
その場に倒れ込んだ貂が狐火を見上げる。狐火が遠くの
「
猫尾を警戒するように狐火が貂に伝えた。
「どこや、どこにおる」
周囲を探るように見回した狐火が駆け出す。
「狐火様!」
「貂はばけもんをどうにかせえ」
ついて来ることを狐火は望んでいない。化け物の後をすでに
「ほなら
猫尾が狸吉の方を見遣ると、そこには身をかがめうずくまる狸吉がいた。その体からぼたぼたと血がしたたり落ちる。
「狸吉!」
叫ぶ
「呪詛使に呪いかけられた浪士か」
猫尾と獅狼が身構えるが、
「御免、遅れた」
浪士が声の方に向くと刀を構えた斎藤一が臨戦態勢に入っていた。斎藤が一気に駆け出すと浪士にむかって素早く一突き迫る。これには浪士も一歩退くしかできない。
「土方さんたちも到着した。屋根に上っていくヤツがいると思ったら。魂喰を狙っていたのか」
その隙に獅狼が狸吉に駆け寄る。斎藤がそれを確認した。
「狸吉殿を安全な場所へ。ここは俺が。屋根の上でやり合うなんて初めてだが、何とかなる」
獅狼が頷くと狸吉の脇を抱えその場を離れる。
「斎藤はん、おおきに。うちはまだ池田屋から離れるわけにはいかん。ここは頼んます」
猫尾もひょいと建物を器用に渡り逃げ去った。
「さて、これはどういう魂胆か」
斎藤が改めて構えるとふうと息を吐いた。
町へ抜け出した兇魂がどんどんと形を変える。それは毛の長い獅子のような姿となった。
「まずい、
鵺は人一人を優に飲み込むほどの大きさであり、狂暴
鼬が腰から短剣を引き抜いた。貂は倒れていた浪士から一本刀を拝借し、携えながらその後を追う。刀で化け物を斬る術は芹沢の一件で得た技だった。
「兄者! 狸吉さんがおりません。いかがされますか」
鼬の目に貂の握る刀がうつる。
「ふん。お前と共闘する気などない。ただ使える者を使うだけ」
鼬が一気に速度を上げると鵺の背に飛び乗る。
「貂、首と背の間だ。一発で仕留めろ」
鵺の背から飛び上がった鼬が町人の前に降り立つ。今にも食いかかろうとする鵺の口を二本の短剣で制した。しかし圧倒的力の差にすぐに剣は振り払われ身一つの状態になる。その上地面からは黒い手が足を絡めとり身動きができなくなる。片方の足が地面へと引きずり込まれていた。唾液の糸を引いた牙が再び襲い掛かり、鼬の腹に突き立てられる。そのまま腹をえぐり引き裂かんとしたところで動きがぴたりと止まった。
鵺の背に刀を突き立てた貂が息を切らせ力を込めると、ずぶずぶと刃が鵺の身に食い込んだ。核を突かれた化け物がゆっくりとその場に横倒れる。大きな音を立て砂塵を巻き上げるとそのまま動かなくなった。
貂が慌てて鼬を抱え宙へ飛び上がる。黒い手がはがれ、埋まりかけていた鼬の足が地面から抜ける。そのまま屋根へと飛び移った。
自身の腹に食い込みかかった歯を目の前にしてもなお、鼬は涼しい目で化け物の最期を見届けていた。
「兄者。無事ですか」
「おい無能。さっきなんで自刃しようとした侍を斬らなかった」
貂とは目を合わせる事なく淡々と問いかける。その態度に貂の目が寂しそうな色をうつす。
「平助が、やめるよう説得しようとしていました」
「この状況、お前一人だったらどうする。化け物が出るまえに兇魂憑きを斬らねばたくさんの被害が出るのが分からんのか」
言い返す言葉もなく貂が俯く。それでも鼬は貂に構うことはない。
「しかしどうして俺が兇魂憑きを斬ったのに化け物が出た」
「……。兄者が斬るより先に、あの侍は自身の腹を斬っておりました」
言い難そうに貂が伝えると鼬が目を細めた。
「やっぱり、結局藤堂平助にあれを止めることは出来なかったではないか」
ぐっと力の入る貂に少し嬉しそうにすると、ひょいと屋根を伝いだす。
「猫尾様を呼んでくる。化け物をこのまま放置はできないからな」
握った拳がなかなかほどけなかった。「それでも平助は間違ってなかった」と、それを伝えることが出来なかったのが悔しかった。
「そうだ、平助!」
もう動かないとはいえ化け物の傍を離れることに躊躇した。町民たちはすっかり家の中へと逃げ込み、化け物の様子を伺い出てこようとしない。
「すぐに猫尾様も来られる。それよりも――」
後で鼬に怒られようとも知った事ではない。一刻も早く無事を確かめたい人がいた。急く気持ちよりも動きの鈍い体に苛立ちつつ、池田屋へとひた走った。
土方の組が池田屋に到着すると、新選組が一気にたたみ掛ける。真っ先に原田が裏口へと駆け付けた。
「近藤さん! 土方さんは表から」
「おお、左之助! 頼む、中だ。中を」
すでに疲弊している近藤を表に残し原田が隊士を連れ池田屋の敷地内へと駆け入る。裏庭ではすでに事切れている
「平助! 大丈夫か!」
原田が駆け寄り藤堂を起こすとその顔をみて驚いた。斬られた額から流れ出た血は藤堂の顔面を赤く染め、薄く開いた目の中まで流れ入り込んでいる。
「ああ……原田さん。私、大丈夫ですので、中に。中に沖田さんと……永倉さんが」
力ない声に嫌な予感が原田の頭によぎる。
「お前ら、屋敷の中だ! まだ浪士が潜んでるかもしれない、気をつけろ」
藤堂の身体を他の隊士に預けると、ぎゅっと一度手を握った。
「もう大丈夫だからな! 俺は行ってくる」
流れ込んだ血で目が開けられないのか、薄目のまま小さく頷いた。
「原田さん! 沖田さんが!」
屋敷から隊士に抱えられてきたのは沖田だった。
「マジかよ。総司まで」
隊士に沖田を運ばせると自身は屋敷へと駆けあがる。
「……新ちゃんは!」
一階を駆け回ってもその姿がない。心臓がどくどくと波打つのを感じた。二階の階段を駆け上がって見た光景に絶句した。手すりや壁や廊下は血で染まり、無残に死んだ遺体と血にまみれた刀がいくつも転がる。むせ返る匂いの中、壁にもたれ掛かり、ぴくりとも動かない永倉を見つけた。
「新ちゃん!」
原田が一目散にかけより、血の水たまりに膝をつくと永倉を抱き寄せる。しかしその体は抵抗する力もなく、原田の身体に寄りかかった。
「……新ちゃん‼」
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