十一 白刃

「御用改めである!」

 近藤の大きな声が池田屋の表に響き渡った。奥から出て来た亭主が引きつった笑顔で出迎える。

「おや、新選組のみなさん。今晩はどないしはって? 何かお手間とらせることあったやろか?」

 妙に愛想よく話す亭主の後ろを影が走り抜け、階段を駆け上がった。それを見た沖田が亭主の制止も構わず階段を駆け上がる。そこには数名の浪士がすでに刀を構え待ち構えていた。

「近藤さん! あたりだぜ!」

 二階から聞こえた声に永倉と藤堂が屋敷内へと駆けあがる。

「平助、こっちの組の人数が少なすぎる。二階を総司に任せてお前は中庭で逃げ出た浪士を打ち取れ。俺は屋敷の一階を片付ける!」

「はい! 永倉さん、気を付けて!」

 お互いが目を合わせると一度深く頷いた。


 表では武田が刀を抜き浪士の逃げ道を塞ぐ。近藤が裏口へと急ぐ途中、山崎に声を掛けた。

「トシに伝えろ。池田屋だ!」

「承知!」

 山崎が足速く三条通りを縄手へと駆けていく。建物の中からはすでに浪士のものか新選組のものか分からない雄叫びが上がっている。加えて襖や物が倒れ壊れる音が次々と聞こえて来た。

「はああああああ! やあああああ!」

 近藤の上げる大きな声は池田屋内を通りぬけ響き渡る。それは隊士たちを鼓舞するための喊声かんせいとなる。

「やってるねえ、近藤さん」

 永倉もその声に震えたつ。姿勢を低くし、目の前に迫りくる浪士たちを睨みつけた。


 二階に上がった沖田を数人の浪士が囲む。

「大人しく捕まってくれたら斬らずに済むんだけどな」

 片側の口角を上げると挑発するように語り掛けた。

「我らは帝のため! ここで捕まるわけにはいかない!」

 浪士の一人が刀を振り上げて襲い掛かる。しかし戦場は狭い旅籠はたご内。思うように刀を振る事ができない。

「なめてんじゃねえよ、多摩の天然理心流をよ!」

 沖田がすぐに突きにかかると相手はそれを躱すことができない。一突きを回避できたとしても一秒立たずに二突き目が襲ってくる。浪士は刀を振り下ろすことも出来ず沖田に斬り捨てられた。


「退け! 退け退け退け! 志を持つ者を失うわけにはいかん」

 数人の浪士が二階の奥へと逃げていく。それを追いかけようとした時だった。沖田の視界がぐらっと揺らぎ意識が遠のく。勢いよくその場に倒れ込むとバタンと大きな音が鳴った。

 不審な物音に気付いたのが一階で浪士たちを打ち取っていた永倉だった。

「なんだよなんだよ」

 永倉が階段を駆け上がると目の前に昏倒した沖田を見つける。これはチャンスとその場に残った浪士たちがじりじりと間合いを詰める。沖田をかばうように浪士との間に入った永倉が刀を構えた。

「おい、おい総司、意識あるか!?」

 ぐらつきながも沖田が起き上がろうとするのを視界の端にとらえる。

「ここは俺が食い止める。お前は下へ行け。下には平助がいる。そのままお前は離脱しろ」

 沖田が刀を床に突き刺し杖代わりに起き上がろうとする。

「なに……言ってんですか永倉さん。……おれまだ、やれますよ」


 襲い掛かってくる浪士の刀を永倉が止めると腹を蹴り上げ浪士を奥へと追いやる。

「ふざけんな。立ててねえだろ。下がれ! お前はもうやることやった。お前を守りながらじゃこの俺でも無理だ」

 息を切らしながらも沖田が食らいつく。

「はあ、はあ……だから、やれますってば――」

 沖田の耳にチっと舌打ちが聞こえた。

「だから――足手まといが邪魔だっつてんだろ‼ クソが!」

 青ざめた沖田が一歩また一歩と後ずさる。永倉の怒声に悔しさで顔をくしゃくしゃにした沖田が階段を転げるように駆け下りた。一階の物陰に身を潜めた沖田が気を失うようにバタリと倒れた。


 永倉とてさきほどの言葉が本心だったわけではない。ただ、剣術に自信がある永倉でさえ、この人数を相手する事に余裕がなかった。なにせ池田屋にたどり着くまでに蒸しかえる暑さの中、防具を着込み一時間ほど祇園を練り歩いていたのである。体力も多くは残されていなかった。

「相打ちなんてしてやらねえけどな」

 もう一度しっかりと刀を握り直した永倉が「は!」と声をあげ浪士たちに斬り込んでいった。


 必死の浪士たちも武士道なんのその、数人まとめて斬りかかってくる。それを刀で止め、体で躱した。一人の腕を斬り付け刀を落とさせると休む暇なく次の一人に斬りかかる。手加減するほど思考が働かない。夢中で目の前の浪士たちを斬り捨てていった。ようやく残り一人を目の前にしたとき、意識を向けていなかった背後から迫る気配を感じ取った。死に損なった浪士が一人、最後の力で襲い掛かる。しまったと思う間もなく振り下ろされた刀を上手く止めることが出来なかった。受けようと頭上で刀を構えた時、柄を持つ手をめがけ刀の刃が振りかかる。一瞬左手の力が抜け腕を下ろすとぼたぼたと血が滴り落ちた。手に力が入らない。どこをどう斬られたのか確認する暇もなく、右手だけで柄を握り背後の浪士に刃を突き刺した。嫌な汗が額から流れ落ちてくる。最後の一人に向き合うと振りかざされる斬撃を躱し、体全部の体重をかけて刀を相手のはらにめり込ませた。


 はあはあと息を切らし、その場に崩れ込む。壁に背をつき左手を見ると親指の付け根がぱっくりと割れていた。羽織を口と右手で引き千切ると間に合わせの止血をすませる。その後はもう一歩も動けなくなっていた。



 魂喰たまくいたちが池田屋の屋根から新選組の乱闘を見守る。

「やっぱり兇魂くたま憑きはおらんのちゃう? 我々の出番はそないなさそうやなあ」

 猫尾びょうびがつまらなさそうにまた風車をふうっと吹いた。それでも狐火こっこは神経をとがらせ感覚を研ぎ澄ます。

「おるはずや。呪詛使がからんでるなら種を蒔かんはずがない。京の混乱を招くことが目的ならどっかに……」

 狐火のそばでは貂も必死に兇魂憑きを見極めようとしていた。ふと視線を落とした中庭で藤堂の姿を見つけた。


 永倉に託された一階の浪士たちはほとんどが外へと逃げ出し、それを近藤と武田に任せていた。それとは別の問題が藤堂の目の前にあった。倒幕派をまとめあげていた中心人物宮部鼎蔵みやべていぞうが中庭で膝をつき座っている。その前に藤堂が立ちふさがっていた。

「肥後の宮部鼎蔵さんですね。私たちは手向かいないものは斬らないと決めております。どうか抵抗なさらず私たちに従っていただきたい」

 それを聞いた宮部がふっと笑むと藤堂を睨みつけた。

「帝のため! 我らの忠義、ここで散る事はない!」

 宮部が刀を自らの腹に押し当てた。はっと藤堂が目を見開く。宮部は自刃するつもりだ。させてはいけないと藤堂が叫ぶ。

「宮部さん‼」

 叫んだ藤堂の声に貂が反応した。


「狐火様、あの男!」

 狐火が目を細め宮部を睨む。

「兇魂憑きか。貂、用意しとき」

 短剣に手を掛けた貂の横を素早い速さで駆け抜ける影があった。いたちが屋根を掛けると中庭へと降下する。藤堂を背に宮部の前に降り立つと、短剣を一振り、宮部の胸元を搔き切った。自身の刀で逝くことを許されず宮部がその場に倒れ込む。ゆらゆらと流れ出る黒い煙が空へと立ち上った。

 藤堂が顔を赤らめ鼬の腕を掴む。

「お前! なんで斬った!」

 じわじわと充血する目は怒りを意味していた。

「自分で死なれては出た兇魂が化け物となる」

 冷たく言い放たれた言葉に怒りがふつふつと湧いてくる。

「まだ止められたかもしれないのに。彼には聞かねばならないことがあった。彼は自分がしようとしたことを知る必要があった。彼は生きなければいけなかった!」


「そんなこと知らない」

 鼬が顔をそむける。藤堂がまだ何かを言おうとしたがそれは叶わなかった。

「化け物だ。化け物が出た」

 狸吉の声に鼬が反応すると屋根へと飛び上がる。残された藤堂を貂が悲しそうに見る。藤堂の思いを叶える事も鼬の行動を非難することも出来ない自分を悔いていた。

 藤堂が気持ちを整理できないまま刀をしまい、額の鉢がねを取る。悔しい表情のまま汗をぬぐったその時だった。


「宮部先生を殺ったのはお前か! 先生の仇!」

 どこに隠れていたのか浪士が飛び出してきた。すでに刀を鞘に納めていた藤堂相手に浪士が刀を突いて襲いかかる。一瞬の出来事だった。藤堂が顔を上げる間もなく目の前が真っ赤にそまった。顔に熱いものを感じたがそれが自分の血であるとすぐには判断できなかった。

 貂が顔を青ざめ身を乗り出す。

「平助‼」

 遠くから名前を呼ぶ貂の声が聞こえた気がした。

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