十 蹶起

 柴が落ち着かない様子でうろうろとその場を行き来する。広沢はいつでもじっと構え冷静さを失わないよう教えて来た。しかし今はその行動を咎めることはできなかった。

「新選組はすでに会所に集まっている頃。きっと私たちの合流を待っているはず」

 柴の焦りとは反対に会津本陣内は静まり返っていた。まるで誰もが様子を伺い息をひそめているようだった。

「会津藩内でもな、長州藩とは交戦を避けるべきとの意見もある。殿にお伺いを立てられない今、出陣派と慎重派が相容れぬ状態なのだよ」

 「そうは言いましても」と柴がぐっと唇を噛みしめると、松平がいる宿舎へと駆け出した。おい、と広沢が引き留めるがそれも聞かず走り去る。仕方ないとそれ以上は追うことはしなかった。

 いてもたってもいられない柴が本殿を行きつ戻りつしていると、木の影で何かが動いたのを感じ取った。そっと刀の柄に手をかけ忍び寄る。次第に見えて来たその正体に驚いた。

 人が木の幹に座り込んでいる。

「曲者か! 貴様ここで何をしている! 名を名乗れ!」

 抜刀する柴を見つけた影が慌てて木から屋根を伝い逃げ出した。柴も追いかけようとしたがすでにどこにも姿が見当たらない。

「――報告を」

 柴が駆け出し宿舎の脇を通り抜けようとしたときだった。

「殿がお目覚めになられた! 一同会せ‼」

 慌ただしく藩士たちが走り回る。その波にのり、ひとまずは本陣屋敷へと向かった。


 意識を取り戻しつつも未だ朦朧とする松平に家臣たちが詰め寄る。

「殿、長州藩への襲撃、いかがないさいますか」

 松平の頭にはむやみな交戦を避けたい考えと、それと同時に近藤の顔が浮かんでいた。虚ろな意識の中、松平が意を決しゆっくりと口を開いた。

「……出動せよ」

 その言葉を受け取った家臣が走り出す。本陣の前に集まった藩士たちに向かい叫んだ。

「予定通り、祇園四条へむけて出動!」

「「は!」」

 一気に本陣から門を抜け駆け出した。柴も後方に付くとまっすぐ前を見据え皆と共に疾走する。時はすでに午後十一時を回っていた。


 ▼▼▼


 これより少し前の時間。新選組隊士が集まった祇園会所ではみなが会津藩が現れるのを今か今かと待っていた。そろそろ予定時間の午後八時になろうとしていた。

「おいおい、会津はマジで来ない気じゃないだろうな」

 しびれを切らした永倉はすでに鎖帷子くさりかたびらを着込み出動の準備を終えていた。ぴりぴりとした空気が会所内に流れる。

「ねえ、なんで新ちゃんとおんなじ組じゃないのー!」

「うるせーよ、原田さん。有能な人は分けなきゃだろ」

「え、そういうことなの? だったらしょうがないかあ」

 会所の隅でいつも通り騒がしくする原田と沖田の存在が、今は隊士たちの緊張をほぐす役割をしていた。

「土方さん、屯所は山南さんと数人の隊士に任せてきましたが大丈夫でしょうか?」

「心配ないでしょう」

 藤堂と土方に割って入ってきたのは武田だった。

「古高を捕えられたとはいえ、無暗むやみに屯所へ攻め入って失敗すればすべての計画が台無しです。まだ今朝がたの事。今はまず団結すべきと会し、今後の戦略を練るはず。屯所の警護は念のためです」

 「そうですか」と藤堂も肩を撫でおろす。

「それより心配は会津藩だ、近藤さん。どうするよ」

 土方にももう待てないと苛立ちが現れてきていた。

「松平様は兵を寄こすと言われた。きっと来る」

「近藤さん……。でもこの機会を逃しちゃまずいぜ」

 それも分かっての事。近藤も腕をくみ唸っていた。正直なところ、会所内は焦りと苛立ちの空気で満たされ始めていた。血気盛んな集団なのだ。ことが一番我慢ならない。

 藤堂とて例外ではなかった。

「近藤さん、会津藩は何か事情があって遅れているのです。きっと来てくれます。松平様のご期待を裏切らないためにも、私たちは出動を」

「そうだよ近藤さん! 俺らだけでも余裕でいけるっしょ」

 原田が藤堂にのっかり皆を煽る。

「俺にも任せてくださいよ、近藤さん!」

 沖田が身を乗り出しせがんだ。それに武田が追い打ちをかける。

「相手が一つになっているところを叩かねば、いずれ朝廷も会津藩も罠にかけられる。それを防げるのはわたくしたち新選組なのでは?」

 そうだそうだと会所内に勝ち鬨が響いた。

 近藤が目を瞑り考える。会津藩との約束を破り先に出動すべきではない。あくまでも新選組は会津藩預かりの身である。松平を落胆させては申し訳が立たない。広沢に迷惑をかけてはいけいない――しかし。

 滾る気持ちを抑えきれないのは隊士たちだけではなかった。

「準備は出来ているな!?」

 近藤の大きな声に一斉に雄叫びが上がった。土方の表情も高ぶりを見せ、口角が上がる。

「それじゃあ手前てめえら、言い渡した組み分け通りに出動する。近藤さんの組は祇園から、俺の組は縄手から攻める。目標の池田屋と四国屋には監察方に張らせてあるが、逆賊は一人残さず捕える覚悟で潜伏先はしらみつぶしに行くぞ」

 「おおー」と叫ぶと、それぞれが刀や武器を持ち外へと駆け出した。



 その時刻、花街にまた一人、しびれを切らせ不機嫌になる者がいた。

「なあ貂。どれくらい経った?」

「一刻ほど」

「はあああ。せめて状況説明に斎藤くらい寄こすのが筋やろ」

 狐火から少し離れた屋根の上には色鮮やかな着物がうずくまる。どこかで手に入れたのか、猫尾は赤い風車かざぐるまをふうーっと吹いて暇を持て余していた。

「新選組っちゅうんはほんまに信用できるんか?」

 猫尾の言葉に不本意だが狐火がイラつく。

「古高という男が吐いた事は事実。今新選組の策にのっかるのはこちらの為でもあるやろ」

「せやな、狐火一人やとキツイやろうし、兇魂憑きがおったとしてもそっちにはもんもおらんしなあ」

 猫尾が貂と狐火に視線を流すと、そのようすを狸吉が睨んだ。

 鼬はさきほどから我関せずと風に吹かれ遠くを見ている。その背中をどこか羨まし気に貂が眺めていた。

「来たぞ!」

 獅狼しろが叫ぶと魂喰一同がそちらに振り返った。

「近藤さんの組ですね。土方さんは縄手通りから攻めると聞きましたが」

「まあ、斬り合いになれば上がってくる魂が狼煙替わりになるやろ。とりあえずは近藤はんについていこか」

 魂喰たちが新選組が宿屋や料理屋をくまなく探索するようすを上から冷静に眺めた。



「御用改めである!」

 永倉が威勢よく戸を開ける。しかし行けども行けども空振りが続いた。近藤の組は他には沖田と藤堂、数名の隊士のみだった。みなが夏の暑さに体力を奪われ、へたりかけていたところに山崎が駆けて来た。

「近藤さん、これまでの進捗は」

「ハズレだ。どこにも長州の影はない」

 それを聞いた山崎が確信する。

「池田屋です。数名の長州藩士の姿もあります。他が空なら池田屋に大勢が会している可能性は高い」

 近藤組のみなが顔を見合わせる。

「池田屋だ! 推して参る!」

 新選組が走り出すのを魂喰たちも確認する。

「池田屋はんか。さて、長州の悪だくみ、こちらも潰しにかかろか」

 狐火に続き、貂や猫尾たちも池田屋へと駆け出した。

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