九 轍鮒之急

 枡屋の一室には薪や炭を商売とするにはあまりにも似つかわしくない品々がならぶ。

 それは大量の火薬に、まるで戦に向かう準備をしていたかのような甲冑や鉄砲の数々だった。ただ事ではないと感じた土方が部屋の中に踏み込み、物々しい様子でそれらを睨んだ。そして一枚の紙を拾い上げる。

「近藤さん、こりゃ思ったよりもでけえ何かを企んでやがるかもしれん」

 近藤が紙を受け取る。

「『烈風の時を待つ』。どういうことだ、トシ」

 紙に書かれた意味は土方にも分からず顔をしかめた。

「大火、ではないですかな」

 武田が目の奥で笑うと、積み上げられた火薬を扇で叩きながら答えた。

「これで火事を起こそうということか?」

 その無茶な計画に近藤も声が大きくなる。

「さあて、それはあの枡屋亭主に聞いてみないと。ですね、土方さん」

 その不敵な笑みをいちいち相手することなく土方が部屋を出る。出て来た土方に永倉が声を掛けた。

「でもあいつ、簡単に吐きそうにねえよ?」

「吐かせるさ」

 袖手した土方がゆうゆうと枡屋を去っていった。


 ▼▼▼


 非番だった藤堂が前川邸でごろごろと寝そべりながら庭を見ていた。庭というよりその奥にある一つの土蔵。土方が拷問に使う蔵だ。

 ぼうっと見ていると勢いよく土蔵の扉が開いた。藤堂が飛び起き、入り口から出てくる土方を迎える。

「土方さん、吐いたの!?」

 藤堂に目もくれず土方が屋敷の中に入っていく。その苛立ったようすが現状を物語っていた。

「これは手強いね」

「あの土方さん相手にここまで粘るなんてな」

 屋根からトンと降りたったてんが藤堂の横で胡坐をかいた。するとすぐに屋敷の奥から戻ってきた土方が再び蔵へと向かっていく。その手には五寸釘と百目蝋燭が握られていた。

「あれはヤバいやつだ」

 藤堂がひゅっと息を吸う。土方が手にしたそれを見ると、相手がたとえ罪人であっても同情してしまう。貂はあえてこれから何が行われるかは聞かないことにした。

「長州が大きな企てをしてるんだってな」

 話題をそらすように貂が話をふる。

「うん。土蔵あそこに入れられているのは枡屋喜右衛門ますやきちえもん。本名は古高ふるたか俊太郎というらしい。長州の後ろ盾をしていた人だって。そして、古高の家から大量の火薬や武器が見つかった。これは一大事と、今ああやって古高から企てをはかせようとしてるところ」

「長州藩士が京に大量に入り込んでるのはそのためだったのか」

「そういえば、魂喰は長州と……なんだっけ、手を組んでるっていう」

「呪詛使」

 「そうそう」と藤堂が手を打った。

「狐火さんはその呪詛使の介入を疑ってるんだよね。呪詛使ってのは危ない人たちなの?」

 貂があぐらをかいた足に肘を突き頬杖をついた。

「俺らと同じ術を使う集団だけど、主に呪いを扱う。人の中に呪いを入れて意識を操るのを一番に得意とする」

「えー、じゃあやっぱり危ない人たち!?」

 藤堂が両手を頬にあて、大げさに驚いたふりをする。しかし藤堂のテンションとは逆に、貂はどことなく虚ろに遠くを見る。

「いや、それでも呪詛使は術師だから」

 おちょけた反応をしていた藤堂がうつける貂を不思議がる。貂は藤堂には目をあわせず、土蔵の方をぼうっと見ていた。


 二人がはなしていると再び勢いよく土蔵の扉が開く。今度は土方に続き、共に拷問にあたっていた斎藤と島田もぞろぞろと蔵から出て来た。島田は監査方の元へ、土方は近藤の元へと急ぐ。土方に声をかけられずにいた藤堂たちの元へは斎藤がやってきた。いつも冷静な斎藤にほんの少しの興奮が垣間見える。

「すぐに狐火殿に伝達を。長州は無謀にも松平公や帝をも巻き込もうとしている。そちらでも対処願いたい」

 普段は前髪に隠れている斎藤の鋭い目つきがのぞく。貂がごくりと生唾を飲み込んだ。



 貂が早急に魂喰の屋敷に話を持ち帰る。狐火こっこ猫尾びょうびを前に事の次第と発覚した陰謀を伝えた。

「下衆が」

 狐火が吐き捨てた言葉の凄みに、その場にいただけの貂にも戦慄が走る。しかし猫尾は落ち着いた様子で口を開いた。

「要は人が集まる祇園祭に大火を起こし、混乱に乗じて松平公の討ち取りと、帝の連れ去りを計画していると。そういうことじゃな」

 貂が一度こくりと頷いた。

「御所にも火をつけて、あまつさえ御所ちゃんの誘拐やて? けどもが」

 抑えきれずあふれだす殺気が部屋に充満する。狐火に貂がおそるおそる訊ねる。

「目的は何でしょう」

「大方会津を潰してからの帝の遷座。ほしたら自分らが実権握れるとでも思うとるんやろ」

 「アホくさ」と鼻であしらった。

「それでもこの企てを我らとて放ってはおけん。それで貂、あちらは何とすると?」

「はい、今夜祇園と縄手通りをしらみ潰しに襲撃すると。今長州も古高が捕縛されたことで焦りが生じており、すぐにでもどこかで集会が開かれると踏んでのことのようです」

 いつもなら新選組絡みの仕事をめんどくさそうにしている狐火も今回ばかりは目の色を変える。

「今回は兇魂憑きがおるとは限らんが、確実に呪詛使も関わってきとるはずや。あやつらが裏で動いているならこちらも応えてやらんとなあ。貂、今夜うちらも総出で向かう。みなに伝えよ。――いたちにもな」

 その名前を聞いた貂の体がぴくりと反応する。共に仕事をするのは久しぶりだった。いや、話をすることも最近ではほとんどなかった。

「はい、承知しました」

 少し緊張の走った顔を狐火が目の端で捕らえたが、それ以上は気にする様子もなく立ち上がった。

「ほなら、今晩もぬかりなく」

 そう言い残すと部屋を出た。




 元治元年 六月五日 夜。


 新選組が敢えてまばらに祇園会所に集まってくる。長州に感づかれないための魂胆だった。集まった隊士達が闘志をたぎらせていたその頃、会津藩本陣ではまた違う空気が漂っていた。

 新選組との約束の時間は午後八時。祇園会所に共に集まるはずが未だ会津藩では出陣の準備の様子がない。もうすぐ予定の時刻となろうとしていた。

「広沢さん! なぜ出陣態勢に入らないのですか!」

 しびれを切らした柴が詰め寄る。広沢が眉間に皺が寄せると熱くなる柴を冷静に制した。

「殿が、今しがた倒れられた」

「殿が!? それでは指揮は、いかがいたすのですか……」

 腕を組んだ広沢も苦い顔をする。刻一刻とその時が近づいていた。

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