七 変転

 帝に促され、狐火と松平が頭を上げた。

「新選組の大阪での一件、どう思う」

 そう問われれば、松平がまっすぐな目線で進言した。

「新選組を率いる近藤勇が昨年に内山彦次郎ともめごとを起こしていたのは紛れもない事実。しかし近藤であればこそ、暗殺などと卑怯な手は使うはずはないと考えます」

 「それはどうやろ」と狐火が扇を口にあてがう。

「たしかに。新選組がやったという証拠もなければやっていないという証拠もない」

 それでも松平は一筋に新選組を信じたいようだった。

「狐火も同じか?」

 松平から視線を狐火に移され、「ふう」としょうがなさそうに息をついた。

「まあ、魂喰こちらからの意見としてはやな。たしかにこの絶妙な折に明らかに疑われるような人物を暗殺。これはいかにも怪しすぎる。それに大阪に潜んでる魂喰が呪詛使じゅそしの存在を確認しとる。しかも奉行所でな」

「呪詛使?」

 松平が驚いた声を出すと「ふむ」と狐火が頷いた。

呪詛使あやつら奉行所あんなところに用があるわけないからなあ。目的は分からんが、新選組に罪を着せる為に動いた。そう考えて間違えないと思うで」

「それでは狐火も新選組は無実だと信じるか」

 松平が身を乗り出し、狐火の面に顔を近づけ迫った。

「はあ。そのきらきらとした目をやめい」

 松平からの視線を扇で遮る。それでも松平には不安要素があるようでまた顔を曇らせた。


「しかし現場では沖田や永倉、原田の姿を見たという噂や、近くでは近藤や土方までも目撃されていると聞く」

 それを聞いて狐火が声を上げて笑った。

「おっかしい、おかしいわ。暗殺やろ? そんな大勢でぞろぞろと。不自然極まりないわ。それにあの土方はんがこの期に及んで暗殺部隊の一つや二つ作ってないとは思えんやろ。せやなあ、もし差し向けるとすれば沖田はんか、加えて斎藤はんの二名か。それで十分やろ」

 目を丸くして聞いていたのは松平だった。

「狐火は意外と新選組のことをよく分かっているな」

 余計なことまで喋ってしまったと狐火が口を噤む。

「狐火がそこまで言うには他にも思うところがあろう?」

 帝の言葉に狐火が口に当てていた扇をパチンと閉じる。

「御所ちゃんが追い出した長州が京に流れ込み居座っとる。この状況がおかしいとそろそろ思うとるんとちゃう?」

 閉じた扇で帝と松平を指した。

「何か魂喰が掴んでいるのか」

 松平が確信に迫ろうとする。

「まだ決め手に欠けるけどな。長州藩をかくまっていた宿屋の店主や使用人に呪いが入り込んどった。人の心を操れる、呪詛使が使う術やな。それなら町が長州に有利に動くのも納得できる。そして新選組を標的にしたのもまず京の治安維持に努める組織を潰そうとしてのことならどうや?」

「長州藩が呪詛使と組んでいる、と?」

「ま、それを前提にこちらは動く」

「ならば、呪詛使が長州藩と組む理由はなんだ?」

「さあ、見当もつかへんなあ」

 狐火の声が少し荒ぶる。御簾の奥からは心配そうにする帝の気配が流れて来た。

「だんないだんない。御所ちゃんに害あるもんは全部うちが排除する」

「うむ、この松平も尽力する所存」

「狐火、松平、頼んだ」

 帝の言葉に二人が頭を下げた。


 ▼▼▼


 狐火の提言もあり、新選組への疑いはなかったものと片づけられた。晴れて帰京した隊士たちは屯所にてまた日常を取り戻していた。

「疑いが晴れて本当に良かった」

 今日とて柴が屯所に訪れていたのだが、この日はいつもと稽古風景が少し違っていた。

「やだよねえ、狡いやり方で陥れようなんて」

 「男なら真っ向勝負!」と原田が長着を脱ぎ上半身裸になる。なぜかその前にはこちらも上半身を露わにした貂が身をほぐし構えていた。

「サノ、負けんじゃねえぞ」

「任してよ新ちゃん。それにしても、貂ちゃんも思ったよりいい体つきだね」

「貂はいつも飛んだり跳ねたり全身で戦ってるからね」

 藤堂が貂の背中をぺちぺちと叩いた。

「みなさん御立派です。この勝負見ごたえあり」

 柴も心を躍らせその勝敗を見守る。


 藤堂が手にもった枝を地面につける。

「じゃあいくよー。はっけよいー、のこった!」

 枝を大きく振り上げると、原田と貂がお互いの体に突進し組み合った。周りからは歓声が起こる。

「サノ、一気に押せ!」

「貂ー、負けないでー」

「二人とも頑張って!」

 最初はじりじりと貂が原田の体を押す。原田の足が地面を滑り後ろへ押される。貂の腕や腰に力が入りふるふると震える。原田も堪えるのに辛そうな顔をしていたが、にかっと笑うと一気に重心をずらし、貂の体に手を差しなおす。原田の重心がずれたことでバランスを崩した貂をすくうと一気に横薙に投げやった。放り投げられた貂が踏ん張り切れずに地面へと打ち伏せた。

「俺の勝ちー」

 両手の拳を突き上げて喜ぶ原田を永倉が称賛する。倒れる貂に柴が手を差しだした。

「初めての相撲にしては筋がいい」

 柴の手を取った貂が起き上がる。

「誰かと取っ組み合いなんてする機会は今までなかった」

「では、今度は私と」

 満面の笑みに貂もはにかんだ。

「なになに、みなで相撲とは活気が良い。わたくしも呼んでくれればよかったのに」

 屋敷の奥から顔を出したその姿に永倉が「げ」っと顔をひきつらせた。

「武田さん、本日もお邪魔しております」

 永倉たちとは違い礼儀正しくお辞儀をする柴に武田観柳斎も上機嫌になる。

「武田さんは相撲なんて絶対しないでしょ」

 原田が楯突くと武田が誰の断りもなく縁側に腰掛け、輪に入る。

「わたくしはこうして見ているのが好きなのです」

 「やっぱりいけ好かねえな」と永倉が原田にぼそりとささやく。


 原田と貂が長着を着込んでいると、表から騒々しい声や物音が聞こえてくる。何事かとその方を見ていると、島田や土方に引きずられ浪士が連行され入ってくる。

「大阪の一件から見回りを強めたらすぐにこれだ」

 土方が親指で前川邸を指す。その意味は「拷問にかける」。その場にいた皆に緊張が走った。

「原田、行けるか?」

 特に深い意味のある指名ではなかった。そこにいた隊士の中で一番ガタイが良い。土方のそれだけの軽い考えだった。

「あ、いや、おれは、その……」

 原田の目が泳ぐ。顔色がみるみると悪くなるようだった。原田の脳裏に明らかに何かがよぎっていた。

「ごめん、土方さん、おれちょっと……」

 数歩後ずさりをすると屋敷内へと走り去ってしまった。その姿を永倉が目を細め見遣ると土方に視線を移した。

「土方さん、こればっかりはすまねえ」

「あ、いや、俺もうっかりしていた」

 土方が手で口元を抑えると申し訳なさそうに眉間に皺を寄せる。

「土方さんが謝る事じゃないっしょ。はああ、しゃあねえなあ」

 くるりと向きを変えた永倉がゆっくりと原田が走り去った方へと歩いていく。貂と柴が不思議そうに目を合わせる。

「平助、原田さんは――?」

 貂に聞かれた藤堂も困ったねと肩をすくめた。


 原田が屯所の隅に座り込む。

 窓のない物置小屋。猿ぐつわ。縛られた手足。溺れるほどに浴びせられる水。打ち付けてくる竹刀。罵声。助けの来ない時間。

 思い出すと息が上がる。血の気が引く。どうやって息をしたらいいか分からない。苦しい。辛い。ひっひっと吸う事しかできない呼吸を自分ではコントロールできなくなっていた。

 そして目の前が暗転した――。

「おおきく吸って、ゆーっくり吐け」

 暗闇の中永倉の声が聞こえた。原田に目線を合わせるように永倉がしゃがみ込む。原田が薄目を開けると永倉の顔が映った。助けが――来た。永倉の口と肩の動きに合わせて原田が呼吸を整える。大きく吸って、ゆっくり吐く。だんだんと顔色もよくなり、息も落ち着いて来た。

「新ちゃん、ごめんね」

 玉汗が吹き出た顔で原田が笑いかけると、永倉は反対に苦い顔をする。

「お前のそういう顔は見たくねえんだよ」

 原田の隣に腰をおろすと大きくため息をついた。

「お前さ、これから新選組はこういうことが増えてくるわけよ。耐えられねえなら俺からも土方さんに頼むから新選組をぬけて――」

「辞めない!」

 いつになく真剣に、怒るように叫んだ原田に目を丸くした。

「さっきは突然だったから慌てちゃったけど、大丈夫だから。俺は新ちゃんの隣で槍を振っていたいし、新ちゃんの剣をいつまでも見ていたい。新ちゃんの剣が好きなの!」

「まったく、本当にバカなやつ」

 呆れた永倉の目はとても愛おしさに満ちていた。横に座る原田の頭をくしゃくしゃっと撫でた。



 前川邸では土方と島田、斎藤が加わり浪士をじわりと追い詰めていた。見るも無残になった浪士がやっと吐き出した内容を山崎丞に伝える。山崎が静かに頷くと支度へと走った。

「これはかなり大きな出陣になりそうですね、土方さん」

 島田さえも顔をひきつらせ、体がたぎるのを抑えていた。

「ああ。斎藤。会津藩、魂喰にも連絡だ。一気に長州を叩く時が来た」

 「承知」と返すと斎藤も駆け出して行った。

 近藤のいる部屋へ向かうとガラッと襖を開ける。

「近藤さん、ひと暴れする準備は出来てるか?」

 近藤が胸を膨らませふんと鼻で息を吐く。

「当たり前だ。幹部を集めるぞ、トシ」

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