六 沾衣

 近藤と狐火が松平の元を訪れてから数日後。この日は非番だった藤堂と沖田が四条の町へ出ていた。立派な刀を見に行っては目を輝かせ、あそこの蕎麦が美味しいと聞いては向かい堪能していた。

「やっぱり京の町は賑やかで楽しいですねえ」

「多摩は多摩のいいところがあるけどな。京は艶やかだし、なんといっても女性も綺麗だよな」

「沖田さんも剣術が思い人かと思ってましたが、やっぱり興味あるんですね」

「沖田さんってなんだよ、って」

「ほら、剣術の鬼といえば永倉さんでしょ。新選組うちじゃ剣の腕は沖田さんと永倉さんが一二を争いますから」

 藤堂の言葉にまんざらでもなさそうな沖田が機嫌を良くする。

「でもさ、非番の日は稽古の事も忘れてゆっくり過ごすのが一番だよなー」

 腕を組みうんうんと頷く沖田だったが、その隣で藤堂が「あ」と声を上げた。

「沖田さん、そういうわけにもいかないみたいです」

 眉をひそめ藤堂が指さした先、見覚えのある会津藩士が血相を変えて二人に向かい走ってきていた。

「沖田さん、藤堂さん、よいところへ! 今橋の辺りでうちの者と浪士が打ち合いになっておるのですが、どうも相手浪士が手に負えず」

 「情けない」と会津藩士が頭を下げる。

「平助、せっかくの休みだ。早急に終わらせるぞ」

「はい。すぐに向かいましょう」

 会津藩士に引き連れられ、二人が打ち合いになっている現場へと駆け出した。町中で刀を抜く男たちを町人が遠巻きに眺める。心配そうにしている人もあれば、厄介ごとが起こったとイラつく姿もあった。

が都合いいのか?」

 沖田が問うと、会津藩士が「手間をかけます」と頼み込む。浪士の太刀筋を見た藤堂が次に刀を抜いた沖田の背を見た。そしてこの調子だと自分の出番はなさそうだと、抜きかけた刀を鞘に納めた。

 藤堂が思った通り、沖田が踏み込めば相手は抗う暇もなく打ち伏せられた。沖田と会津藩士たちが浪士を捕えさっさと後始末を始めていた。


 そんな中、藤堂がふっと何かの気配を感じ取る。町の中、店が連なる屋根の上、影が動くのを見逃さなかった。瞬時に藤堂が気配を追いかけ走り出す。影を追いかけ細い路地に入る。艶やかな着物が一瞬見えたと思ったが、建物の間に逃げ隠れ見失ってしまった。

 藤堂がきょろきょろと辺りを見渡すと、壁に立てかけられた木材を足場にぴょんと屋根に飛び移る者がいた。

「あれ? もしかして貂?」

 そう呼び止めたが、その言葉にあまり自信がなかった。藤堂の知っている貂とは少し様子が違う。様子というよりは雰囲気や、いつも貂から伝わってくる暖かい感覚がなかった。

 振り向いた顔には同じような面がかぶせられ背格好も似ていたが、やはりそれは貂ではなかった。

「新選組か?」

「新選組の藤堂平助です」

 「ああ」と蔑んだような声が聞こえた。

「魂喰の方ですか? すみません、てっきり貂かと思って。あまりにも後ろ姿が似ていたから」

 貂に似た男は相変わらず上から見下すように藤堂を見る。貂の名前を聞くとますます機嫌を悪くしたようだった。

「あの無能は一応俺の弟だからな」

 その事実に藤堂が驚いた。貂から兄弟の話は聞いたことがなかったし、目の前の男はあまりにも貂とは違っているように感じたからだ。

「無能って……貂の事ですか?」

 藤堂の声に怒りが混じる。

「だからそう言っているだろ。事実しか言わない」

「貂が化け物を斬る剣はとても強くて綺麗で。とても素晴らしいです」

 はあ、とため息をついた男の目は憐れみを帯びていた。

「だから、それが無能って言ってんだよ。人が斬って出て来た化け物しか手にかけられない。本来魂喰が直接兇魂憑きを斬れば化け物は現れない。あいつに人を斬る事それが出来ないから狐火様はお前らのような輩とつるまされる」

「私が人を斬る。貂が化け物を斬る。それで収まっているんだから、いいだろ」

「二度手間。いざという時は指をくわえて見ているだけ。使えない」

 わなわなと震える藤堂の手が刀にかかる。抜いてはいけないと自制心で抑えつけた。

いたち。ついて来んと思ったら、知り合いか?」

「猫尾様。新選組の藤堂平助です」

 藤堂が先ほど見失った艶やかな着物に猫の面。猫尾から「おお」と感嘆の声が上がる。どうやらこの猫尾という魂喰は藤堂に悪い印象は持っていないらしい。

「若虎か」

 「若虎?」と藤堂が首をかしげる。

「ほほ。狐火がそう呼んどるもんでな。ほな若虎殿、狐火や貂によろしゅうに」

 浅く頭を下げると屋根の向こうに消えていく。鼬は目を合わすことも頭を下げることもせずにその後を付いて消えた。


 鼬の言葉に納得できないまま沖田の元へと戻る。すでに浪士は会津藩士に連れていかれた後で、沖田が待ちくたびれむすっとしていた。

「どこ行ってたんだよ」

「沖田さん、すみません」

 機嫌を損ねないように藤堂が駆け付けた。藤堂が近くまで来ると、沖田が声をひそめて伝える。

「長州だった」

「またですか? 沖田さんこれは」

「だよな。どうして朝廷が追い出した長州藩が易々と都に入って来れる。身を潜められる」

「はい。私も同じことを考えていました」

「という事はだ、先生や土方さんも考えているだろうよ」

 藤堂が真剣な面持ちで頷いた。


 ▼▼▼


 それから数日後、近藤たち新選組が将軍徳川家茂の江戸帰還に伴い、下阪の命が下された。大役に心躍らせる近藤だったが、ここでも怪しい影が新選組にまとわりついて来ていた。

 凶報が京に届いたのは下阪からまもなく。いち早く耳にしたのは会津藩主松平と朝廷だった。


 大阪西町奉行所与力、内山彦次郎暗殺事件。


 新選組が大阪に向かったタイミングで、近藤と昔にひと悶着があり確執のあった内山が殺された。新選組が暗殺の犯人だとの噂は瞬く間に広がった。

「広沢さん。これは事実なのでしょうか?」

 会津藩邸では柴が心配そうに広沢に訊ねる。事実であれ濡れ衣であれ、事の行く末は上に委ねるしかなかった。

「殿が天子様に拝謁なさる。あとは真実が選択されることを祈るしかない」

 柴と広沢が御所のある方を心許なげに眺めた。



 御所の謁見の間に集ったのは松平容保と、狐火だった。御簾に対面して二人が横並びに座る。前回会津藩本陣で会った時とは違い、二人が同等の地位で同じ空間にいた。

「帝の前ではそちと同位か」

 松平の言葉に嫌味や深い意図は感じられない。

幕府そちら朝廷こちらでは成り立ち方が違う。それだけのことや」

 狐火とて今では松平を毛嫌いする心はないようだった。

 御簾の奥に人影が現れる。二人が深く頭を下げた。

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