五 白牡丹

 松平容保まつだいらかたもりが就いていた京都守護職。その本陣へと近藤が赴いていた。松平に拝謁するため本陣となる金戒光明寺の門をくぐる。狐火を呼んでおいたが未だその姿が見えなかった。

 謁見の間に通されると見知った後ろ姿がきちんと坐していた。

「狐火殿、すでにいらしていたか」

 近藤が狐火の隣に座ると姿勢を正した。

「居心地悪うてしゃあないわ」

 吐き捨て悪態をつくも、その居住まいを崩さず行儀よく前を見る。

 やがて高座の襖が開き松平が現れると、近藤が深く頭を下げる。狐火が扇を自身の前に置き頭を下げた。

おもてを上げよ」

 松平が呼びかけると近藤が少し頭を浮かした。それに対し狐火がひょこっと顔を上げる。それには近藤も驚いたようだった。

「近藤も良い。今日は共に話したくて呼んだ」

 狐火の飄々とした態度が可笑しいのか、松平の表情が緩んだ。

 顔を上げた近藤を狐火が横目で見る。その時見た近藤のきらきらとした眼差しが印象的だった。この男は目の前の存在に希望を見ている、そんな目だった。


「新選組と魂喰の協同はどうだ」

 松平は狐火が思ったよりも柔らかに物を話した。

「上洛して間もなくは京の化け物や魂喰の方術ほうじゅつに驚きましたが、今や京を守るにとても心強い存在です」

「そうか。魂喰の狐火と申したな」

 顔を向けられると少しだけ頭を下げた。

「その方は帝からの信頼も厚く、何かにつけては其方の話になる。京の安泰があるのも魂喰のおかげ。余も一度会って話をしたいと思うていた」

 もっと傲慢でいけ好かない男かと思っていた狐火は、松平の人となりに少し拍子抜けした。狐火がもう一度ぺこりと頭を下げた。

「しかしですな松平様。今の新選組は京から不逞浪士を駆逐し、長州を追い払うばかり。私らは本当に国の為に動けているのかと、心配することもあります」

 近藤の言葉に松平が深く頷いた。

「今は公武合体の元、この国を強くせんとしている。それには長州に攻め入られ力を持たれては困る。近藤、それは分かってほしいのだ」

 「こちらこそ無粋なことを」と近藤が深く頭をさげる。この男は本当に松平の為にありたいと、そう思っているのだと狐火にも分かってきた。

「狐火。その方もわれらと共に戦ってくれるか」

 狐火が手前に置いてあった扇を取ると、広げて口元に当てた。

「帝が望むのであればうちらは別に」

 ちらっと目線を上げると松平と目が合う。どうしてか狐火の目に映った松平に帝が重なって見えた。まさかこの男と帝が似ているなどと――自分が考えたことが可笑しくて自嘲するように笑った。



 帰りの門をくぐろうとすると、元気な声が近藤を引き留めた。

「近藤さん、お帰りで?」

 凛々しく背を伸ばした柴が頭を下げた。

「おお、柴くん。奇遇だな」

「はい。今日はこちらの仕事に呼ばれておりましたので」

「広沢殿にもよろしく伝えておいてくれ」

 柴がもう一度頭を下げると門の上から見下ろしていた狐火を見上げた。

「貴方は貂さんと同じ魂喰の」

「狐火どす」

 狐火が柴を見下ろす。しかし柴が狐火に向け快活に笑いかけると、ふいと目をそらしひょいと門の影へと飛び降りてしまった。あまりにそっけない狐火の態度に柴が唖然と門を見上げている。近藤は面食らっている柴が可笑しいのか狐火の態度が相変わらずで面白いのか「がはは」と豪快に笑っていた。


 帰り道、珍しく狐火が近藤と連れ立って歩いていた。とは言っても肩を並べることはなく、やはり狐火は塀の上をひょこひょこと歩く。

「狐火殿はどう思った」

 突然の問いかけに驚くようすはない。

「松平様のご意向とあらば私も応えたい。しかし今はこの場で足踏みをしているかのようにもどかしい」

「ぶれてるねえ。あんたはんから兇魂を引き抜いた日、面白い目を持っとると思うたんやけど。思い違いか?」

 近藤の方が少し驚いた顔をした。まさか狐火から励ますような言葉が出るとは思わなかった。しかしそれが励ましではなく、興味だということも近藤には分かっていた。

「興味はないと言うとくけどな。近藤はんがやりたい事はなんやの?」

 その問いには迷うことはなかった。

「この刀で松平様を助けたい。国の為に尽くしたい」

 やはり狐火は「ふーん」と空返事をする。ただ、この時はなぜか一言余計に言葉を紡いだ。

「会津藩は長州藩を追い出したい。御所ちゃんは長州を嫌っとる。ならば利害一致」

 近藤が嬉しそうにははっと笑った。それを見た狐火が機嫌を悪くする。

「狐火殿は。狐火殿は何がしたい」

「興味もないくせに」

「いや、聞きたい。自身で自覚されているかは分からんが、狐火殿からは強い信念を感じる」

 狐火がはっと嘲るように笑う。

「別に。あんたはんらの様に志だの心だのあらしまへん。うちらうちが生き残るための道を残すだけ。人には分からん事よ」

 いつも狐火は壁を作る。立ち入れぬよう、見透かされぬよう、何かを隠すよう。近藤はいつもそれが不思議だった。相容れぬ関係に分かち合えるものなどないのかと思っていた。

「でもな、近藤はん。誰かを慕うその気持ち、分らんでもない」

 近藤が狐火を見上げる。面越しには狐火の目線は分からない。しかししかと視線が交わったような気がした。近藤が何か声をかけようとすると、それを察したのか急にぴょんぴょんと木を登り屋根に移り狐火が姿を消してしまった。

「まあた逃げられたか」

 悔しそうにするが、どこか嬉しそうに狐火の後を見送った。

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