四 成竹

 狐火が歩を進めた先、夜道を歩いていたのは昼間に火事のあった宿屋の娘。つかいの帰りなのか、足早に家路についていた。

「あ、お嬢さん」

 狐火が声を掛ける。面で顔を隠し水干を着込んだその風貌に娘が驚き、壁側に一歩退いた。娘を壁に追いやるように狐火がぐいぐいと近づいてくる。怯えるような目の娘を前に狐火が面を外した。

「ちょっと堪忍」

 巣の顔をさらけだすと娘と鼻と鼻を突き合わすほどに、額同士が触れそうなほどに近づいた。みるみる娘の顔が赤くなる。狐火が黙って娘の目の中を覗き込んでいた。娘が心を許しかけた刹那、狐火がくるっと背を向ける。

「おおきに。気を付けて帰っとおくれやす」

 少し期待に胸を高鳴らせかけた熱をあっさりと冷まされる。あっけにとられた娘はその背中をぽかんと見つめるしかなかった。


 ひょいと狐火が屋根へとのぼる。

「地に結界を張り、ばけもんを封印するか。便利な術やね」

 話しかけられたのは獅狼しろ。いつもは猫尾びょうびと行動を共にしていたが、今夜は狐火と連れ立っていた。狐火が戻ってくると獅狼が手印をほどき術を解く。

「いかがでしたか?」

「ああ、やっぱり入っとったわ。あれは呪いや」

「やはり呪詛使じゅそしが?」

「いや分からん。あやつらの仕業かはまだ断定できん。せやけど長州はんが京に入り込んで来とることと関係はありそうやね」

 「ほなもう一軒行っとこか」と狐火たちはその足で豊後屋へと向かった。


 ▼▼▼


 火事があった日に宿屋の近くで捕縛した浪士が長州藩士京入の事実を吐いた。そうなれば長州藩を駆逐する役目を担っていた新選組もいよいよ穏やかではなくなってくる。近藤をはじめ、座敷には今後について話し合う為隊士達が集っていた。

「どのくらいの数の長州藩が入ってきているかわかりませんが、まずは潜伏先を洗い出すことが最重要でしょう」

 武田が先陣を切って口を開く。

「長州藩の真の目的も知りたいところです。何か策を練っての京入りに違いありませんから」

 山南が発言すると、同じく学に長けている者同士、目の敵にするように武田が面白くなさそうにする。

「はいはい! じゃあ宿屋をしらみつぶしに襲撃したらいいじゃん!」

 腰を浮かせ高々と挙手をする。真剣な空気を割いた原田の頭を永倉が抑えこんだ。

「お前はちょっと黙っておこうな」

「関わりない一般人を巻き沿いにするわけにはいきませんからね」

 山南が優しく諭すと「そっか」と原田がすとんと座り込む。その様子に永倉が安心したように息を吐いた。


 土方が腕を組み難しい顔をしている。その隣には島田ともう一人、見慣れぬ顔の男が座っていた。鼻筋が通り、涼しい目元と顔立ちをした男は新しい隊士のようだった。

「長州の潜伏先についてはすでに監察方に動いてもらっている。島田、まだしっぽは掴めねえか?」

「すまねえ、まだ確証を持てるところまではいっていない。しかしこいつもいてくれるから早くかたは付くと思う」

 そう言って島田が新入りの男を指さした。

「ああ、山崎。引き続き頼む」

 土方が山崎丞やまざきすすむを見遣ると「承知」とその男が返事をした。

「あのお、山崎さん、ですか?」

「山崎丞だ」

 藤堂が恐る恐る声を掛ける。

「気のせいだと思うんですけど……」

 藤堂が言いにくそうに言葉をためらうと、近くにいた沖田の袖をつまみちょいちょいと引っ張った。

「どこかでお会いした事ありましたっけ?」

 そう言われると沖田も眉を寄せ山崎の顔を凝視する。

 二人の様子に目を丸くした山崎が、今度はいじわるそうに目を細めた。そして袖の中に手を隠し口元にあてがうと、妖艶ににっこりと笑いかけた。

 藤堂と沖田がその姿に寸秒言葉を失う。思考が停止したのも束の間二人そろって山崎を指さした。

「「あーーーーーーーーー‼」」

 突然の叫び声に「うるせえよ」と土方が耳を塞ぐ。

「たたた、玉川さん!」

「そうだ! 島原の玉川姉さんじゃねえか!」

「気付かないとは驚いた」

 愉快そうに発せられたその声は紛れもなく男の声で、しかし藤堂と沖田にはあの島原での艶やかで色っぽい玉川の姿が脳裏に浮かぶ。

「ああ、頭が混乱します」

 藤堂が両手で頬をつつみ頭をぐるぐるとさせていた。

「なんだよ、土方さんにもようやくいい人が出来たと思ったのによ」

「潜入させていた。あの店にはいろんな奴らが出入りしてそうだったからな」

 沖田の心にもない言葉を土方が軽くあしらった。

「そんなことで、長州の潜伏先は島田と山崎に探らせる。やつらの目的は捕えてからだ。各々出陣に備えておけ」

 武田は昂然と胸を張り、他の隊士たちも鼻息荒く気合を入れた。話がまとまったと近藤がぱちんと膝を叩く。

「それでは私は松平様に新選組の意向を報告してまいろう」

「そういや今度は狐火のやつも一緒なんだとか? あいつは幕府側と関わる事を嫌がるかと思ったんだが」

「松平様が一度直接会いたいと申してな。無理を言って同行してもらうことになった」

「素直に応じる事が信じがたい」

 近藤は怪訝な顔をする土方を豪快に笑い飛ばしていた。

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