三 禍福倚伏

 元治元年 四月二十二日。


 新選組屯所に元気な声が昼間から響く。

「やああああああ」

 永倉へ振り上げた木刀を勢いよく打ち下ろしながら柴が踏み込む。隙も間合いも十分に読んでいたはずなのに、振り下ろした木刀は永倉が持つそれに簡単に振り払われた。柴が態勢を立て直す暇を与えず永倉が腹へと一突き突き刺す。刀は柴の腹に触れる手前でぴたりと止まった。

 ごくりと柴が生唾を飲み込む。

「実戦だったらお前内臓ぶちまけてんぞ」

 ニヤリと笑う永倉が楽しそうにする。一瞬の突き合いに感嘆した藤堂がぱちぱちと拍手を送っていた。折り目正しく木刀を下げお辞儀をした柴がため息を漏らした。

「はやり永倉さんにはまだまだ敵いそうもありません」

「あったり前だろ。俺を負かそうなんて柴には千年早い」

 二人の対戦を羨ましそうにみていた藤堂も我慢できないようで、そわそわと身を震わせる。

「永倉さんは鍛錬の鬼ですからね。寝ても覚めても刀を振り続けています。私も見習わないと」

「鬼は言い過ぎだろ。俺は好きなんだよ。剣術が」

 いよいよ我慢できない藤堂が手を挙げ主張する。

「はいはい! 次は私と手合わせお願いします。さっきの永倉さんの技を真似したいです」

「じゃあ平助、俺ともう一本頼む」

 永倉に勝てないことが悔しいのか、柴の目にも火が付いたようだった。「のぞむところ」と高ぶった藤堂が木刀を構えた。


 藤堂と柴らが稽古試合をしているのを傍らで眺めていたのが土方だった。頬杖を突き、血気盛んな藤堂らを半ば呆れたように見つめながら、しかしその顔はとても楽しそうだった。

「やあやあ、今日もここは賑やかですな」

 日向でくつろぐ土方が広沢の声に気付く。

「広沢さん。今日は何か用があったんだったか?」

 広沢が表より姿を見せると土方が居住まいを正し、伸びをした。

「いえ、所用のついでに寄りました。柴が今日もお世話になっているようでしたので」

「世話してもらってるのはこっちですよ。うちのやつらも柴が来ると稽古に身が入る」

「土方さんは一本やられないので?」

「はは。俺が入ると手荒くしごいちまうから嫌がられる」

 困ったように笑う土方の話を広沢が優しい顔で聞いていた。

「俺はね、広沢さん。試衛館にいた頃から若い奴らが成長していくのを見るのが好きだったんですよ。どれだけ叩いても食らいついてくる。毎日汗流して鍛錬して。あいつらを見てると希望ってもんが湧いてくる」

「きっと土方さんや近藤殿の元だからこそ、こんなに生き生きと切磋琢磨できるんでしょうなあ」

 広沢の目にも目の前で稽古する若者たちが晴れやかに映った。

「やや、土方さん、それにそちらは会津の広沢殿ではないですか」

 調子よく媚びるような声が聞こえたかと思えば、部屋から出て来たのは新選組隊士武田観柳斎たけだかんりゅうさいであった。

「ああ、武田さん。広沢さんと会うのは初めてだったと思うが、よく知ってるな」

 武田が目を三日月に細め二人にすり寄ってくる。

「それは以前より出入りしているところを見ておりましたので。挨拶が遅れました。わたくし新選組で副長助勤、あわせて軍事方を任せられております武田観柳斎と申します」

 自慢げに自己紹介を終えると広沢が穏やかにお辞儀をした。

「お話は聞いておりましたよ。なんでも文武両道、近藤殿にも大変に頼りにされていると」

 武田のまんざらでもない顔を土方が呆れた様子で見ている。

「これからは会津藩と新選組、より強く手を取り合っていきましょう!」

 高々に声をあげると、広沢も「よろしく」と目を細めた。


 広沢たちが話す声に気付いた柴があわてて駆け寄って来る。

「広沢さん。いらしてたんですね」

 汗だくになった柴の頭を広沢がくしゃくしゃっとなでた。

「きっとここかと思ってな。用事のついでに寄ったのだよ」

「はい。今日も新選組のみなさんと手合わせをしてもらっていました。今日も永倉さんには一本取れず。まだまだ修行が足りません」

「でも永倉さんとやりあった後に私と互角の勝負するなんて、つかさは本当に体が強いよお」

 汗を拭いながら藤堂が嘆いた。

「平助相手に手を抜けば瞬時に負かされるからな。いつでも本気で向かっている」

 へへっと藤堂が笑うと、ふんと興奮気味に鼻をならし柴が笑む。

「ああ、柴。こちら武田観柳斎さんだ。ご挨拶を」

 広沢が手で武田を指すと、はっと武田に気付いた柴が背筋を伸ばし姿勢よく頭を下げる。

「はじめまして。会津藩柴司と申します。お噂は兼ねがね」

 武田が機嫌よくしているのを遠目に見ながら藤堂と永倉が小声で話し込む。

「あーあ、また武田さん調子にのっちゃいますね」

「上のもんにはへこへこと。軍学に詳しいか知らねえがああいう態度が気に食わねえ」

「永倉さんが一番嫌いそうな人種ですよねえ」


 藤堂たちが話しているところ、いきなり慌てた様子の斎藤が駆け込んできた。

「土方さん、木屋町で火事だ。少し様子がおかしい」

「様子がおかしい? どういうことだ」

「火元になった宿屋の店主が何を聞いても喋らないらしい」

 土方と広沢が顔を見合わせる。

「新八、平助、俺らも向かう」

 永倉と藤堂がすぐに脇差を手に取り腰に差す。永倉が他の隊士を呼びに走った。

 「私も向かおう」と武田もすぐに走り出る。

「柴と私は会津藩邸に戻り報告を」

 広沢の言葉に土方が頷いた。土方が走り出ると、藤堂が屋根を見上げる。

「貂」

 藤堂が呼ぶより先に貂が顔をのぞかせた。

「ああ、狐火様を呼びに戻る暇はない。俺もついて行く」

 走り出す藤堂を追うように貂が家々の屋根を伝い走る。

「兇魂の仕業かは分からないけど、そうだった場合どうするの?」

帰穢きえはできないけど最悪兇魂憑きを俺が斬れば化け物は出てこない」

 貂に人が斬れるのか。藤堂の声がのどまで出かかったが、今はそれを飲み込んだ。

 一同が火事の現場につくと、すでに町人が消火のため奔走していた。火消ひけしも到着する中、土方が藤堂たちを呼ぶ。

「斎藤の話からすると、裏で何かが動いてるかもしれねえ。周辺を探ってくれ」

「こういう場合、不審者の行動や潜む場所は決まってくる。わたくしが思い当たる場所に向かってください」

 こういう時の武田の勘はよく当たった。仕方なく二人が頷くと他の隊士を連れ野次馬がごったがえす町中へと潜っていった。



 煙が立ち上る建物に貂が到着すると見知った姿を屋根の上に見つける。巻き上がる煙の中、降りかかる火の粉もものともせず、じっと燃える建物の屋根にしゃがみこむ。

「狐火様」

 貂が屋根を飛び、狐火の傍へと降り立つ。息を深く吸えば煙に肺が侵され呼吸が出来なくなる。下からせり上がってくる熱と降ってくる赤い灰が肌を焼きそうだった。それでも狐火がじっと町を見下ろす。何かを鋭く睨んでいる、そうでなければ探しているようだった。

 貂が狐火に覆いかぶさるようにし、守るように袖をかざした。ようやく存在に気付いたのか、狐火が被さった貂を見上げた。

「貂はうちを守ってくれるんか」

「ここにいては焼かれてしまいます。近くに移ります」

 狐火を担いだ貂が駆け出し、数軒隣の屋根に飛び移る。狐火を火の気がない安全な場所へ下ろした。

「狐火様、お怪我は」

「ああ、だんないだんない」

 けろりとしている狐火に貂も一安心する。

「こちらに来られていたのですね。火事を聞きつけましたか?」

「いや、たまたま近くに来とった。気になる事があってな」

 「気になる事?」と貂が首をかしげる。

「ほれ、土方はんがなんか見つけよったわ」

 狐火が扇で指した先、土方の元へ浪士を引き連れた武田と永倉が合流していた。あとから藤堂たちも集まってきた。その様子を見ていた狐火を土方が見上げる。いつからこちらに気付いていたのか、突然に目が合った。土方は何か訴えた後、目線をそらすと浪士を引き連れ人ごみの中に消えていった。

「やっぱり長州はんか」

 新選組が消えていった辺りを、苦い顔で狐火が見つめる。

「長州藩は京から追い出され、入る事を禁じられているのでは」

「ほんっま、誰の許可得て入り込んどんねん。小虫どもが湧いて来よって」

「狐火様が気になっているのというのはやはり長州……」

「御所ちゃんに集る虫を駆除するのがうちの役義」

 はあと大きくため息をつく。

「今日はちと遅おなる。貂はさきに帰っとき」

 どうも危なげに見える狐火が気がかりだった。なかなか狐火の傍を離れようとしない貂に狐火が気付く。

「だんないだんない。お前は心配せんでええ」

 そう言うとひょいひょいと屋根から木へ、木から塀へと移りながら狐火が町中へと姿を消した。



 日も落ちて薄暗くなった木屋町に狐火が姿を現した。とんと地上に降り立つとそのまま路の上を歩き出す。

 豊後屋で貂が地に足を着いた時と同じように、地面から黒い手の影が狐火の足を絡めとろうと伸びてくる。無数の手が足を掴むと、狐火が忌まわしそうに足元を見た。

 扇を開くと地面に一振り、無数の手を目掛け大きく扇いだ。さっと振っただけの扇から強い風が巻き起こる。風が地面を吹き付けると悲鳴を上げるように手の影が痺れだし、するすると地面へとひっこんでいった。

「少しはわきまえんか」

 言い放った狐火が目線を前へと移しなおす。その先に見えている一人の女の元へと歩を進めた。

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