二 駘蕩

 屋敷を出た藤堂と入れ違うように狐火たちが帰り着いた。いつもと変わらず門をくぐり屋敷内に入る。しかし猫尾びょうびがその日の異変を瞬時に感じ取る。玄関に一歩足を着いた瞬間、毛を逆立てた猫のようにいきり立ち血相を変えた。

「狐火! お前、外のものを入れたな!」

 猫尾の反応を予想していたように狐火がひょいひょいと屋敷内へ逃げ急ぐ。

「貴様、人を招き入れるなど汚らわしき行為! 許さんぞ。分かっているのか!」

 屋敷内に響く猫尾の声を背後にくくくっと笑うと奥の方へと姿を消した。

 怒る猫尾をまいた狐火が部屋へと向かう。すると扉の前には従者が座り待ち構えていた。

「狐火様。言伝です」

「どちら様から?」

「会津藩主松平容保様より。近々新選組局長近藤勇様と参るようにと」

「さよか。分かった。下がってええよ」

 従者がすっとその場を立ち去ると狐火がおもむろに部屋の襖を開ける。

「松平……松平……。今日はこの名前よう聞くわ」

 ぶつぶつと言いながら部屋の扉をすとんと後ろ手に閉めた。



 貂の住む屋敷を出た藤堂が向かったのは島原。富澤と会食した揚屋へと赴いた。入口から中をのぞくと藤堂を見つけた沖田が勢いよく詰め寄ってきた。

「おい平助、またいる。あの別嬪さん」

「え! 先日の方ですか? 長州の動きも出て来たっていうのに、土方さんったら昼間からうつつを抜かして」

 目を合わせた藤堂と沖田が倒れ込みそうなほど慌てて階段を駆け上がると、土方のいる部屋の襖を開けた。なだれ込んできた二人を見て土方が呆れる。

「お前ら騒がしくしてんじゃねえよ」

 この時もまた口元を隠しながら遊女が微笑む。その笑顔に土方を攻め立てようとしていた沖田の頬が緩む。

「あ、その、そういえばお名前はなんと?」

 沖田が倒れ込んだまま土方に訊ねる。遊女が首を傾げて土方を見遣った。

「玉川だ」

 そう言った土方が自らふっと吹きだした。

「玉川さん。綺麗なお名前ですね」

 藤堂も姿勢を正す事を忘れ、疑わずその名前に目を輝かせた。

「おや、土方さん。貴方もいらしていたのですか」

 藤堂たちが騒いでいると開いた襖から男が顔をのぞかせた。

「広沢さん。こんなところで奇遇だな」

 会津藩の広沢安任ひろさわやすとうは新選組が上洛した時、まだ壬生浪士組を名乗っていた頃より会津との橋渡し役となっていた。近藤や土方とも馴染み、今ではよく屯所へも訪れる。そんな広沢の後ろからまた一人ひょこっと顔をのぞかせる者がいた。

つかさ!」

 平助がきりっとした佇まいの青年を呼ぶ。柴司しばつかさは藤堂と同い年の会津藩士。少し前から新選組屯所へ稽古と言っては出入りし、今ではすっかり隊士たちとも仲良くなっていた。

「平助、沖田さん、それに土方さん。非番の日にまで会えるなんて嬉しいです」

「さっきまで仲間内で一杯やってましてね。聞き覚えのある声が聞こえてきたもんだから来てみたら。やはり藤堂くんと沖田くんでしたか。やや、いつも元気でなにより」

 広沢がにこにことすれば、藤堂と沖田はやっと居住まいを正した。


「どうです広沢さん。せっかくなのでここでも一杯」

 土方が誘えば広沢も「よいですな」と腰を下ろした。その横に柴も座る。柴と目が合った藤堂がにこっと笑えば柴も凛々しい笑顔を見せた。

 玉川と名乗る遊女が広沢のお猪口に酒をつぐ。

「そういえば最近は新選組も人数を増やしてまいりましたな」

「腕が立つものなら身分を問わず受け入れる。近藤局長の目指す通り、面白いヤツがどんどんと増える」

「おかげで司も壬生の屯所に行くのが楽しみになっている」

 広沢がまゆをひそめ笑うと、柴も照れ笑った。

「いや、柴はうちの隊士たちの良い稽古相手になってくれている。新八でさえ簡単には勝てないと嬉しそうにしている」

「私も司とは三勝三敗一引き分けです」

「いえ、平助はいつもすんでのところで手を緩める。本気でかかってこられれば勝てそうにない」

 柴が褒めると「最後まで本気なのに」と藤堂が口を尖らせた。その様子をあてに広沢も楽しそうにしている。

「そういえば少し変わった経歴の隊士もおりましたな。ほら軍学に長けている」

「ああ、武田観柳斎たけだかんりゅうさいか。今まで軍事方の人員はいなかったからな。文学にも広く精通しているから近藤さんもすっかり気に入っている」

 武田の評判にあまりよくない顔をしていたのが沖田と藤堂だった。

「土方さんたちはいいかもしれないけどさ。あの人は平の隊士には態度でかいし、講義と言って無理やり話聞かされるし。結構厄介がられてるぜ?」

 藤堂も沖田の話に腕を組み深く頷く。

「文学や情勢の話なら山南さんが教えてくれるし。いえ、私は山南さんに教わりたいです」

 二人のふくれっつらが可笑しいのか、広沢も柴も吹きだした。

「平助をそこまで言わせるのはどんな人なのか気になるな。ぜひ会ってみたい」

「たしかに、少しクセはありそうですがその講義とやらも興味があります」

 煙管に火を付けた土方が、煙を燻らせながら沖田と藤堂をなだめた。

「こいつらはこう言ってるが、すでにいくつかの懸念材料に目星をつけさせている。広沢さんたちともすぐに相まみえる機会があるだろうよ」

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