十五 焦眉

 年を跨ぎ二月に入ると寒さも厳しくなってきた。

 お椀にふぅふぅと息を吹きかければ湯気と甘い匂いが鼻のあたりに広がる。

 町の汁粉屋には藤堂と山南、永倉と原田が机を囲み汁粉をすする。藤堂が餅をつまみ口に入れると幸せいっぱいと目じりを垂らした。

「最近は隊士の数もだいぶ増えたな」

「手柄も多く上げていますから、会津藩からの信頼もあつくなってきました。これからさらに大きな組織になっていくでしょうね」

 永倉と山南が話す傍らで原田がずずずっと汁粉を飲み干した。

「なんか監察方の数も増えたって島田さんが喜んでたけど、まだ姿見てねえな」

 永倉が手を顎に当て考えていると、勢いよくお椀と箸を机に叩きつけた原田が身を乗り出した。

「それそれ、新ちゃん!」

 口の周りについたあんこを拭うこともなく原田が唾を飛ばし喋り出す。「きたねえな」と永倉が懐紙を差し出した。

「なんでも医学にも通じてるし、京や大阪の情報にも長けてるって。土方さんのお墨付きらしいよ」

「お前そういうことは良く知ってるな」

 永倉が眉をひそめると「噂話はね」と自慢げな顔をする。

「早くお会いしてみたいですね」

 藤堂も汁粉を飲み干すと満悦の顔でお椀を置いた。


 店を出るとまだ遊び足りないと原田がだだをこねている。めんどくさそうにしながらも「仕方ねえなあ」と付き合う様子の永倉たちと店前で別れた。

 屯所に向かい山南と歩いていると、束の間暖かい春が訪れたような穏やかな時間が流れた。

「平助は、大丈夫ですか?」

 突然問われると、一瞬どのことについてかと戸惑う。

「京に来て、一年でいろいろなことがありましたから」

「はい、本当に。それでもより強く思ったことがあります。私は近藤先生の役に立ちたいし、山南さんの力になりたい」

 山南の笑顔は嬉しいというよりも心配しているようにも見えた。

「山南さん、私は大丈夫です」

 その強い言葉にようやく「そうですか」とほほ笑んだ。

「それより山南さん。最近良い人がいるんでしょ」

「おや、平助はそんな事まで知っているんですか」

 幸せそうな山南の顔を見ると藤堂まで嬉しくなる。

「今度私も会ってみたいなあ」

「ふふ。その内平助にも紹介できたら私も嬉しいです」


 屯所の近くに来ると、同じく出先から戻る途中だったのか土方と出くわした。

「お、ちょうどよかった。今富澤忠右衛門さんが訪ねて来てる」

「ああ、多摩でお世話になっていた富澤さんが」

 旧友の名前に山南の声も弾む。

「夜には島原に出かけようって話してたんだが」

「私は体の事もありますから夜は留守番をしています。今のうちに挨拶をしてきましょう」

 軽い足取りで山南が屯所へと入っていく。

「平助は、来るか?」

「はい! 富澤さんは知見の深い方ですし、いろいろお話ししたいです。あと、昔の先生や土方さんの事も」

「それはやめろ」

 渋い顔をした土方と藤堂も山南に続き屯所へと帰っていった。



 夜になり、珍しく土方が指定した揚屋あげやに入ると、これは珍しく土方が指名した遊女が相手をする。その場には試衛館時代から富澤がよく知る土方や井上源三郎も会していた。あいにく近藤は他用で居合わせられなかったが、昔話や今の情勢、土方も好きな俳句の話にも花が咲いた。

 しかしそれとは別の興味をそそられずにはいられなかったのが沖田と藤堂だ。

「なあ、土方さんにお気に入りがいるなんて初めて聞いたぞ」

「はい。しかもかなりの美人です」

 ひそひそと話す二人が、土方の横にちょこんと座る女性を盗み見る。

「数々の女を泣かせておいて、隠れてこんな別嬪と……!」

 くうっと沖田が泣きまねをする。

「それもですが何というか、土方さんてああいう趣味でしたっけ? 綺麗で静かで大人しくて。というかさっきから一度もしゃべりませんね、あの方」

「いいんだよ、ただ傍にいる。それだけで心が安らぐってヤツなんだろ」

 沖田の泣きまねはもはや本物の悔し泣きになっている。ちらちらと気にしていると、遊女が二人に気付く。袖で口元を隠すとにこっと笑いかけた。

 その百合のように澄まして上品な笑顔を向けられると、沖田と藤堂もほほをぽっと赤らめずにはいられない。

 土方が席を立とうとすると、女が土方の袖を掴み引き留める。振り返った土方に懐にしまっていた手紙を渡した。その瞬間を沖田は見逃してはいなかった。

「こ、恋文だ」

「それほどに惚れこまれているとは。土方さんも罪な人ですね」

 悔しそうに畳を叩いている藤堂と沖田を富澤や井上が不思議そうにすれば、遊女が楽しそうにそれを見ていた。


 ▼▼▼


 藤堂たちが富澤と会食をしていた頃、五条通りでは数名の浪士が暴れ、騒ぎが起こっていた。会津藩士が対応していたが、その様子がどうもおかしい。兇魂に憑かれているのではないかと達しがあり魂喰が出動していた。

 浪士たちが五条大橋に追いやられると、高欄の架木ほこぎに三つの影が待ち構える。それは面を付けた魂喰たちだったのだが、いつも見る狐の面はそこにはなかった。

「当たりや。兇魂憑きやなあ、獅狼しろ

 猫の面に艶やかな着物姿が暗闇に映える。

猫尾びょうび様の察したとおりでしたね」

 黒髪にスマートな出で立ちの男が猫尾に答え、もう一人の男の方を見た。

「いつも通り俺が術をかける間に行けるか、いたち

 鼬と呼ばれた青年がすくっと立ち上がる。顔は半面に隠されているが、その風貌、背格好に見覚えがあった。

「いや、獅狼さんの手間はとらせません」

 架木から飛び上がると、浪士たちに短剣の先を突きだした。

「獅狼、一応援護したってや」

 猫尾の言葉に獅狼が手印を組む。獅狼が術をかける間もなく、鼬が浪士に飛び乗り飛び移り次々と搔き切っていく。鼬の動きがあまりにも速すぎて斬られた方はそれに気づく事もできない。それはもう見惚れるほどの妙技だった。一瞬のうちに急所を突かれた兇魂憑き達が倒れると、体から煙がするすると抜け出す。それを狐火と同じように祝詞を唱えた猫尾が吸い込んでいった。


「なんや最近兇魂憑き多ない?」

煙を吸い込みきった猫尾がけふっと小さく息を吐いた。

「幕府側も改めて長州狩りを掲げて来た。不逞の輩が続々と京に入ってきているのは間違いないらしい」

「いきなり長州はんがここに流れ込んで来た。兇魂憑きが増えて来た。これ、なんやろな?」

 猫尾がうーんと唸っていると、短剣の血を拭っていた鼬が不満そうに漏らす。

「これだけ兇魂憑きが溢れて来たとなれば、そろそろ斬って抜け出た化け物だけじゃなく、人を斬れる魂喰でないと使えない」

 それは特定の誰かを指したような言いようだった。

「まあまあ、身内やろ? そない無下にしなさんな」

 猫尾がなだめても鼬は何かを睨む視線を止めない。

「儂も気が乗らんがこの事態、狐火ともちと話さなあかんなあ」

 またうーんと考える仕草の猫尾が橋の上で月光に照らされ転がる遺骸に目を遣った。


 新選組に幕府、魂喰に朝廷、それぞれの死角でうずまく隠謀がもうすぐそこまで迫ってきていた。



第一章 完。

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