十三 恩讐

 芹沢たちの葬儀では近藤が故人をほめたたえ、土方が亡き者を悲しんだ。隊士たちは暗殺者について思考を巡らせ噂した。藤堂が心配していた野口も最初こそ悲しみにくれていたが、次第に元気を取り戻してきた。

「ねえ、平助。今日は四条の辺りに出てみようか。この前誘ってもらったのに行けなかったから」

 藤堂は野口が元気になるのならと、誘いにはよく付き合った。近藤や土方たちも野口の事をよく気にかけてくれていた。

 そんなこともあったと、あの凄まじい出来事から日常へ移り変わろうとしていた。そんな中、山南が体を壊したことにより一線を退きたいと申し出でいた。聞きつけた藤堂が山南の元を訪れる。

「山南さん?」

 障子を少しだけ開けると部屋の中を覗き込む。山南は背筋を正し書き物をしていたようだったが、藤堂の声ににこりと笑い招き入れた。

「体調は大丈夫ですか? 寝ていなくても良いのですか?」

 心配そうな藤堂の頭をいつものようにくしゃくしゃと撫でる。

「もしお身体が悪いのなら、いっそ療養に専念した方が……」

 山南がおもむろに筆をおくと、藤堂へと向き直った。

「私はね、前線で刀を振るえなくともここにいなければいけないのですよ」

 穏やかに話す山南の言葉を、藤堂が理解できずにいた。

「平助も覚えているでしょう。試衛館で上洛するよう近藤さんを焚きつけ鼓舞したのは私です。貴方たち若い人も巻き込みました。ですから、新選組がどのような道を進むのか、近藤さんや貴方たちを見守らなければいけません」

「山南さんがいてくれたおかげで近藤先生は思いを達する道が開けました。私は力になりたく自ら着いてきました。山南さんが自責の念にかられているのであれば――」

 山南が静かに首を横に振る。

「新選組はもっと大きくなるでしょう。さらに混沌の渦へと飲まれていくかもしれません。もし近藤さんたちが道を見失いそうになった時、それを伝えるのが私の役目なのです」

 納得のいかないと言った顔の藤堂だったが、口を尖らせながらも山南に伝えた。

「それでも、やはり私は山南さんが傍にいてくれて嬉しいと思ってしまうのです。試衛館にいた頃から、みなを優しく包み、暖かくする。時に難しい話をして場をシラケさせるけど、空気の読めない山南さんもみな大好きなのです」

 最後の言葉に山南が吹きだす。

「はい。では空気を読まず、ここにいすわりたいと思います」

 にこりと微笑むと、「はい!」と藤堂も笑った。

「そういえば、今日は近藤さんが公武合体派の会合?に呼ばれたのですよね」

「芹沢さんが世を去って、ついに近藤さんの一極体勢になりました。会津藩の松平様も近藤さんには一目置いておられる。ここからは今までの新選組とはまた大きく変わっていくでしょう」

 山南が外を見遣ると藤堂がその視線を追いかけた。外では隊士達が稽古に励む声が響いていた。とても晴れわたった気持ちのいい日だった。悩むことなどないように、澄んだ空が広がっていた。



 青々とした空から陽の光が障子を照らす。土方が報告書などを確認していると、珍しい人物が訪問してきた。

「土方さん、お時間よろしいでしょうか」

「野口か。ああ、入れ」

 すっと障子を開け、すばやく中へ入る。野口の改まった様子に土方も居住まいを正す。

「どうした、何か困りごとか?」

 土方が問うと、「いえ」と首を振る。

「芹沢先生についていた僕を、みなさん本当によくしてくださる」

 土方は腕を組んで野口の話を聞いていた。

「土方さん。今日は近藤局長が会合に向かわれたとのこと。これからの新選組は何をめざすのでしょうか」

 突然の予期せぬ質問に土方が驚く。

「僕たちは派閥があれど、江戸を出る時は同じ思いを掲げていたはず」

「……何が言いてえ」

「尊王攘夷。それこそが大義であったはずが、今や幕府に忠誠を誓い、会津の為に長州を駆逐する組織へと成り下がっている。近藤局長に至っては松平公に心酔し――」

「野口」

 聞くも堪えないと土方が制した。

「俺らの思いはなんら変わってねえ。この国の為に、国を守るために出来ることを模索してきた。やっと新選組が認められてきた。不逞浪士や長州を取り締まる。行くべき道に必要な仕事だ」

「そうでしょうか」

 不満の表情に土方が悟る。

「お前の心の内か?」

「そうでもありますが、正しくは、です」

 土方が頭を搔く。野口は顔色を変えずに続けた。

「私がなぜ見逃されたのか、残されたのかを考えていました。きっと私は芹沢先生の思いを繋ぐ執念なのです。私は先生の思いを捨てて屈する気はありません」

「野口、そうか。お前はそうだったのか。俺はお前を飼い殺しにはできないわけだ」

「はい。僕もあなたなどに飼い殺しにされるつもりはありません」

 野口がしてやったりといった顔をするものだから、土方が降参とばかりに笑い交じりに息を吐いた。その息には哀愁が混じり、土方の胸を締め付けていた。


 野口が部屋を出ると、ちょうど藤堂と鉢合った。

「あ、野口。今からおまんじゅう買いに行くんだけど、野口も行こうよ」

「今日の稽古は出なくていいのか?」

 藤堂が屋根を指さすと貂がひょこっと顔を見せた。

「どうしても食べたいって言うんだもん」

 その言葉に顔を赤らめ楯突いたのが貂だった。

「おい、言ってない! 買ってきてあげようかって言ったのは平助だろ」

 ふふふっと笑うと藤堂が野口の手を引いた。

「貂さん、僕も買ってきますから、待っていてください」

「ちょ、野口さん!? 俺は言ってませんからね」

 背中ごしに不満を叫ぶ声が聞こえていたが、聞こえないふりをした二人が笑いながら駆けていった。


 ▼▼▼


 秋から冬に移り変わる頃。あいかわらず屯所は賑やかだった。いつものように貂は屋根の上で壬生村を見渡していた。

「おい、平助! 一回でいいから触らせろ」

「嫌だよーだ」

「原田さん、俺ならいつでも相手しますよ」

「うわ、総司! 来るな寄るな! お前はどう見ても男だろおが」

 ぎゃはははと笑い声が聞こえ、いつもにまして盛り上がっている。何事かと貂が屋根の下を覗き込んだ。

「やだ、来ないでー」

 藤堂が部屋の中から飛び出してくる。その恰好をみて貂が目を丸くした。

 胸のあたりが膨らみ、本当に女性に見間違いそうだが、それは紛れもなく藤堂だった。

「見て見て、女の人みたいでしょ?」

 無邪気にはしゃぐ藤堂の胸元には手ぬぐいが詰められている。

「俺だってちょっと背が高い女性に見えるだろおが」

 叫ぶ沖田も同じように手ぬぐいで胸を作るが、明らかに男性にしか見えない。「見えねえよ」と他の隊士が腹を抱え笑う。

「何してんだ?」

 貂が冷静に問う。

「ほら、ここって女性がほとんど出入りしないから。目の保養に」

 にっと藤堂が笑うと貂が呆れた顔をする。

「貂、屋根に上らせて。今日は空気が気持ちいいから」

 貂が藤堂の手を掴むと一気に引き上げる。屋根の下ではまだ沖田たちがふざけ合って笑っている。

 屋根に上がると手ぬぐいをぽいっと捨てた。両手をぐっと空に突き刺すと大きく伸びをする。

「ここからは京の町が見渡せる。といってもほとんど壬生村しか見えてないけど」

 深呼吸する藤堂が気持ちよさそうに冷たい風を浴びていた。

「なあ平助、その刀だけど」

 「ん?」と平助が振り返り、脇差を一本腰から抜いた。

上総介兼重かずさのすけ かねしげ。この刀に気付いた人はだいたい同じことを考えていると思うよ」

 腰から抜いた刀を見つめる。

「伊勢津藩藤堂家が抱えている刀工が作ったものだってね。これはね、母上が唯一私に残してくれたものだよ」

「じゃあやっぱり、それが平助の出を示しているんじゃないのか」

「さあ? 私は知らない。誰の子でどこで産まれ、どうして一人になったのか。知らなくていい。私は新選組ここの子だから」

 明るい藤堂が解せなかった。本当の親がいたなら共にいるのがいい。そこがこんなにも危うい場所でなく、守られたところならそこで暮らしていてほしい。

「平助は、ここで何がしたい」

 咄嗟に出た貂の言葉にも藤堂は動じなかった。

「私はね、この刀でこの国を守りたい。近藤先生はそう望んだ。私も先生の元でなら叶えられると思うんだ」

「平助が見ている世界は、明るいのか?」

 藤堂が答えようとした時だった。慌ただしい声が藤堂を呼んだ。


「藤堂さん! 藤堂さん‼」

 藤堂が屋根から下を見下ろした。叫ぶ隊士の顔が青ざめていた。隊士が屋根の上の藤堂に気付く。

「藤堂さん! 野口さんが!」

「野口が? どうかしたの?」

「野口さんが禁令に反したと!」

 反応を示したのは藤堂ではなく貂だった。思わず見た藤堂の表情は逆光のせいかよく見えなかった。


「切腹です!」


「切腹を言い渡されました」

 どういう状況で、いつ執行されるのか、叫ばれた言葉はおぼろげにぐるぐると回って消えた。どうしてか冷静に見えた藤堂の横顔に、声を掛ける事は出来なかった。その場にいた隊士達がざわつく声や、冷たい空気が肌に刺さる感覚しか思い出せなかった。

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