十二 瀟湘夜雨
朽ちた体から抜け出した兇魂がどんどんと大きくなる。それは大きな蛇へと姿を変えた。
今まで見たよりも一回りも大きい化け物に土方と沖田も目を見張った。
「隠れといてや。狙われても助ける余裕ないかもしれんわ」
狐火に言われると土方ら三人も身を潜めた。
「この世への未練、無念、憎しみ、
巨大な蛇が庭にとぐろを巻いたかと思うと屋根を上ろうと動き出した。貂が短剣を構えて飛び出す。
「狸吉さん!」
貂が叫ぶと狸吉が手印を組み、「枷」と唱えた。蛇の動きが一瞬止まる。その隙に貂が飛びつき喉元の辺りに剣を突き刺した。
――手ごたえがない。こいつの中心は一体どこだ。
貂が考えを巡らせていると、いきなり蛇が大きく身を震わせた。その勢いで振り落とされ地面に叩きつけられる。驚いたのは貂だけではなかった。
「すまん貂。俺も長くはこいつを止められん!」
狸吉でさえ手に余る化け物の力。剣を突き刺した貂に向かい、蛇が大口を開け牙を剥いた。動きに緩急をつけた蛇が貂に襲い掛かる。すんでのところで短剣を突き立て制するがそのまま吹き飛ばされると塀に背を打ち付けた。
「狐火、
「……」
「ここで意地を張ってどうする!」
再び貂へと迫る蛇に狸吉が術をかけると
よろけて立ち上がった貂が手に持つ短剣を見つめる。
――いつものように口から腹の中に入るか。狸吉さんが動きを止められるのは寸秒。中から搔き切る前に飲まれたら終わりだ。でも外からでは化け物の中心が分からない。胴体が大きすぎて短剣では引き裂けない。引き裂く――。
「引き裂ければ!」
「貂!」
貂は何を考え、何をしようとしている。思いを読み取ろうとじっと見つめていた藤堂が声を上げた。
「これならどう!?」
藤堂が投げてよこしたものを貂が掴み取った。
手にしたのは平助の刀。その施しを見て驚いた。
「平助、この刀は――」
何かを伝えようとした刹那、蛇がいよいよ屋根を伝い町へ出ようとしていた。
「おいおい、魂喰さんたちよ! 化け物が外に出たらやべえよ!」
沖田の声に貂が鞘を抜き、塀と木を伝い駆け上がる。一か八かの賭けだと悟った狸吉が手印を組む。
「迦!」
祝詞の叫び声と同時に貂が大きく飛躍する。刀を両手で構え、振り上げる。蛇の頭蓋に落下すると同時に切っ先を突き立てた。
そのまま刀を鋭角に保ちながら力を込めると、頭から真っ二つに切り裂いていく。
――平助の刀。まっすぐで、ぶれない。浄く強い思いが斬り込むほどに伝わる。手が痺れそうだ。
柄から手を離さないようにぐっと力を入れる。頭から喉、腹、尾と両断していく。蛇が抵抗する間もないまま、一瞬で断ち切った。
狐火が祝詞を唱えだすと、みるみると頭から尻尾から黒い煙へと変容し、その大きな身体は姿を消した。化け物の跡は
貂が刀を鞘に戻すと平助に差し出す。受け取った藤堂が脇に差しなおした。顔を上げると貂と目が合った。
「平助、その刀は」
さっきの言葉を続けようとしたが、藤堂の顔に未だ少し付着している血に気づく。ほとんどは雨で流れ落ちていたが、それを服の袖でごしごしと拭いだした。
「痛いよ、貂ー」
ちょけて笑いながら貂を見ると、深い悲しみの目が藤堂に向けられていた。
「私は斬ってないよ。本当は私も関わりたくて駆け付けたのだけど。沖田さんが丁度ばっさりいったところで血しぶきをあびちゃった」
「ですよね」と沖田を見ると、「あ、ああ」と驚いた沖田が生返事を返す。
「もう、無駄に斬らないっていったじゃない。貂ったら心配性だね」
おどける藤堂に貂が困ったような笑顔を向けた。先ほどの壮絶さの中、その場が温かくなるような二人の存在が救いのようで、その様子を戻ってきていた山南が静かに見守っていた。
やがて表の方からがやがやと人の気配が近づいてくる。藤堂らが誘導し飲みに出ていた隊士達が帰ってきていた。
「貂!」
「平助!」
それぞれが呼ばれると、何か話し足りなさそうに未練を残し、二人が散った。
上機嫌で戻ってきた隊士たちが、屯所の様子に唖然とする。踏み荒らされた八木邸で、中でも被害が大きかった部屋を確認した野口が傘を投げ捨て駆け出した。
いつも芹沢たちと過ごしている部屋。いつもみなで寝入っている部屋。縁側を駆け上がるとそこには変わり果てた平山とお梅の姿があった。部屋からずるずると引きずるようにできた血の跡をたどれば、隣の部屋に芹沢が無残に仰向けに倒れていた。
「先生! 芹沢先生!!」
野口が芹沢の体を抱き起し、名前を叫ぶ。体は反応することはなく、野口の腕にどっしりと重くただ乗っかかり、だらりと垂れた。言葉が出ない野口の目に涙が溜まる。
騒ぎを聞きつけたように近藤が姿を現した。すると見計らったように斎藤が駆け込んでくる。
「屯所から出て来たと思われる浪士数名が目撃されています」
「不逞の輩か長州か。なんとむごい」
近藤の言葉が野口にどう聞こえていたのかは分からない。ただただ芹沢の胸に顔をうずめ震えていた。
「闇討ちとは! なんと卑怯な! なんと卑怯な‼」
野口の叫び声はわざとらしいほどに土方たちの鼓膜を
雨が止まない壬生村を静かに渡り歩く。
「貂、先帰って報告してきい」
静に頷くと、身軽に屋根を伝い貂が掛けていった。ひょこひょこと歩いていた狐火が腹をさする。いつもより苦しみだすとその場にうずくまり魂を吐いた。狸吉は手を貸すでもなく、気に掛けるでもなく、ただ狐火の隣に立っていた。
「あのな、別に意地張ってたわけやない」
狸吉が隣でうずくまる狐火に視線を落とす。
「あれくらいの化け物、どうにかできな今後貂の位地はない」
「
「多少の被害なんて大したことあらへん。人を守る義理も義務もないやろ」
いつものように悪態づく狐火に対し呆れたようにため息をつく。
「立てるか?」
手を差し伸べれば狐火が不機嫌にその手を取る。
「あー、今日のは特にむかつく」
一つの大きな山を越えた夜。まるで月の形が変わっていくように、雨水が周りを映しだすように、それぞれ胸に抱く思いが色を変え、形を変え、映し出すものを変えていく。今は誰もが自分の心の内しか知る由はなかった。
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