十一 不退転

 文久三年 九月十五日 夜。


 壬生村も寝静まり、虫の声だけが聞こえてくる頃。一室に近藤一派の面々が集まる。

「それじゃあこの運びで行く。いいな、近藤さん」

「うむ。兇魂が憑いた芹沢先生の処分は松平様からも申し渡されている。芹沢先生の一派は粛清。もう後には引けん」

「なぜ私がはずされるのですか!」

 締めようとした土方に食って掛かったのが藤堂だった。

「今回は人数も絞らなくちゃいけねえ。俺と山南、沖田と原田で行く」

 意気軒昂に腕を回す原田を見ると、藤堂が膨れっ面になる。

「この大事な役目に私も入れてください」

「駄目だ。お前はまだ若い。それに他に任せている事があるだろう」

「若いって、沖田さんだってそう歳は変わりません!」

 「あ!?」と沖田が突然指をさされ素っ頓狂な声を上げる。

「しかたねえだろ。大人数だとバレやすいし、平助には平助の仕事があるだろ」

 沖田になだめられても納得のいかない藤堂に皆が困っていると、外から騒がしい声が聞こえて来た。

「おおい! 酒だ酒! まだ飲み足りねえんだよ」

「ちょっとお前さん、もう歩くのもやっとじゃないの」

「芹沢先生、今日のところは勘弁してください」

 芹沢一派と、芹沢の愛人であったお梅が酔っぱらいながら屯所に帰ってきた。新見の一件以降、酔いつぶれるまで酒を飲む芹沢の姿がよく目についていた。声を聞いた土方が部屋のろうそくをふっと吹き消す。

「平助、今回は諦めろ。それじゃあ皆、明日は予定通りに頼む」

 土方が話し終わる前に藤堂が部屋を飛び出した。その姿に土方がため息を付く。

 皆がぞろぞろと解散すると、部屋には近藤と土方だけが残った。

「近藤さん。俺はこの前狐火のやつに甘いと言われた」

 頬杖をつくと、暗い部屋の中どこともなく遠くを見る。

「俺は甘いか?」

 突然弱音のような事を吐くものだから、近藤が目を丸くする。

「トシ、それは今回野口くんを見逃すと決めたことか? それとも平助をはずしたことか?」

 厭味ったらしく笑うと土方がさらに深いため息を付く。

「そうだな。そういうこった」

 項垂れた土方の肩を近藤がぽんぽんと叩いた。



 縁側に座り込む。ぼうっと庭を眺める藤堂の隣に山南が腰を下ろした。

「平助も分かっているくせに。まだまだ子供だな」

「だから嫌なんです。私は山南さんや近藤先生、土方さんの前では子どもになってしまう。それで足を引っ張る事になるのが、嫌なんです」

「私は嬉しいけどなあ」

 にこにこと笑う山南を横目に見ると、藤堂の口元が少し緩んだ。すすすっとお尻を滑らせ、山南との距離を詰める。そして少しだけ、山南に体を預けた。

「山南さんが心の父であってくれる事、私も嬉しいです」

 くしゃくしゃっと頭を撫でられると、いよいよ頬を赤らめ顔をほころばせる。

「それでも私は心配だよ。平助は平気か?」

「はい。どんな道を進もうと、私は皆とありたいのです」

 山南の口元は笑っているはずなのに、どこか困ったような悲しいような、そんな表情だった。その顔を、この時藤堂は見ることはなかった。


 ▼▼▼


 文久三年 九月十六日 夜。

 新選組屯所 八木邸。


 その日は降りしきる雨の音だけが庭に響いていた。木の葉や屋根に溜まった雨水が落ちれば、ぴちょぴちょと音を立てる。

 雨で霞んだ庭の中、塀の上にしゃがみ込む二つの影が見えた。狐火と貂がかぶる角傘からも雨が滴り続けていた。屋根の上には狸吉がどかりと胡坐をかく。

 三人が静かに息をひそめていると、離れから土方、沖田、原田、山南が姿を現した。足音も雨音にかき消され、気配が隠される。四人は芹沢たちが眠る部屋の外に身を潜めた。部屋には芹沢一派三人と、その女たちも眠っていた。

「なんや、若虎はおらんのかいな」

 塀の上から狐火がつまらなそうに零す。

「平助は他の隊士を座敷に引き留める役目だそうです」

 「ふーん」と興味なさげに返す狐火が、どこか安心したような表情の貂を見遣った。

 芹沢たちが完全に眠っていることを確認すると、土方が左手を上げる。他の三人が刀を抜いた。土方が手を下げるのを合図に四人が一斉に部屋に押し入った。

「芹沢ああああああ!」

 土方が雄叫びを上げる。

「やああああああ!」

 土方に続き他三人の叫び声が響いた。

 土方が衝立越しに突いた刀が芹沢の脇腹に刺さる。

「土方ああ! 謀ったか!」

 突然の奇襲に飛び起きた芹沢だが、さすが状況判断は素早く、枕元に置いてあった短剣を引き抜いた。容赦なく迫りくる斬撃を躱す。腹を庇いつつ縁側へと飛び出した。


 「きゃあああ」と悲鳴を上げお梅が部屋の奥へと這いずり逃げる。それを沖田が容赦なく切り捨てた。体から血煙が舞い、壁や畳、天井まで赤く染め上げた。死にゆくものには、一瞬で間違いなく仕留める沖田の太刀筋がせめてもの救いだった。

「原田さん、平間と女たちが逃げました! 我々はそちらを追いましょう」

 奥の部屋で寝ていた芹沢一派の平間とその女はすでに姿を消していた。山南が表を飛び出す。

「マジか。逃げられるとおもっちゃ困るなあ」

 獲物は追う方が楽しい。そんな笑みを浮かべた原田が山南に付いて駆けて行った。

 一心不乱に隣の部屋へと逃げ込んだ芹沢だったが、文机に足を掛け前のめりに倒れてしまう。背後からはぎしぎしと縁側を踏み鳴らす足音が近づいて来ていた。振り返ると月の光を背後から浴びた黒い影が立ちはだかっていた。

「てめえらが俺の命狙ってた事なんざ分かっていた。しかし、まさかこんな姑息なやり方で来るとはな!」

「あんたを禁令で処分しようにも言い抜けされるだろうからなあ」

「新選組がここまでこれたのも武家おれの名があってのことだろう」

 額からは汗が流れ、全身の力は弱まり、そのままでも命が長く持たないことを物語っていた。それでも芹沢の力強い生命力を宿した瞳が土方を睨む。

「だからだよ。だからあんたを武士らしくなんて死なせてやらねえ。腹斬られるくらいなら、汚くても卑劣でも俺の手で斬ってやるよ」

 刀を高く振り上げると一気に振り下ろした。芹沢は抵抗も出来ず、割かれた身から血だまりが広がった。

 お梅が倒れたその奥に、刀を青眼に構え震える男がいた。平山五郎というその男もまた芹沢に心酔し、江戸を出る時から慕っていた一人だった。沖田を目の前にすれば、新選組の誰もが勝てないと知っていた。それでも最後まで切っ先を向けるその姿は、やはり芹沢の強い意思を思わせた。


「えっげつな」

 壊れた襖や衝立。壁や障子に飛び散った血が垂れる。天井から滴った赤い糸の先には屍が転がる。

 狐火が扇で鼻を塞ぐ。

「なあ、貂」

「化け物か人か。ほんまに怖いんは、どっちやろなあ?」

 くくくっと笑うが、貂は答えることはなく目の前の光景を見つめていた。すると血の水たまりをひたひたと踏み歩く音が聞こえて来た。雨音が煩いはずなのに、貂にはそれがはっきりと聞こえた。

 暗い部屋から足音の主が次第に姿を現す。それが月明りに照らされるところまで来たとき、貂がぎょっと目を剥いた。

 血を浴びたその顔から白目がぎょろっとのぞいた。ここにはいるはずのない藤堂がそこにいた。藤堂の目が貂を捕える。その瞬間貂の心臓がどくりと波打った。

「なんや、若虎もおったんかいな」

 狐火が再びくくくっと笑う。

「平助……」

 力のない声は雨音に消される。狐火がふんと鼻息を漏らす。

「狐火、貂、来るぞ」

 狸吉が叫ぶと兇魂が遺骸を抜け出し形作ろうとしていた。未だ放心している貂に狐火が声を掛ける。

「ほな、仕事や」

 ぶよぶよとした液体が今までにないほどに大きく膨れ上がっていく。狐火からも珍しく緊張が伝わってきていた。

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