十 瞞天過海

 突然現れた土方が訝しむ新見をよそに言葉を続ける。

「先日取り決めた禁令は覚えているな」

「ああ、それがどうした。もう誰かが破ったか」

 笑みを浮かび続ける土方に酒を飲む手が止まる。

「まさか、私が禁令に反したとでも? 新選組に必要な資金の調達か、逆らう不逞浪士を斬ったことか。それならば規定違反とはいいがたい」

 芹沢の入れ知恵によってつらつらと言い訳を並べることなど土方には想定内だった。

「そこじゃない」

 土方の目を見ると、顔は笑っていないくせに瞳の奥がほくそ笑んでいた。

「まさか兇魂……か」

「残念だよ、新見さん」

 先ほどまで余裕綽々としていた新見も焦り出し、立ち上がった土方の服を掴む。

「わ、私の金策や手討ちは自らの意思だろ。兇魂に憑かれてのことではない。それは己で分かる」

「なんだ、自分の増長は認識していたのか」

 「いや」と言いかけたがこれ以上喋るのは得策ではないと感じた。

「では兇魂が私に憑いていると、どうしてわかる。今あんただけがここにいる。誰がこのことを証明する。一旦屯所に持ち帰るのが筋だろう。芹沢先生にも相談――」

 新見の言葉を遮るように土方が奥の襖をスパンと開けた。


「おばんどす、新見はん」

 綺麗に正座をし、静かに茶をすする狐火が姿を現した。

「なんや長々と喋るから、もう帰ろうかと思ってたんやけど」

 狐火がまたずずっと茶をすする。

「先日狐火さんから報告を受けてな。今日はあんた一人だったから丁度良かった。わざわざ呼んで真偽を確かめてもらってたんだよ」

 新見がぎりっと奥歯を噛んだ。

「それで、どうだい狐火さん」

「ああ、間違いなく憑いてるねえ」

 新見が膳をひっくり返し投げつけた。

「茶番だな! 魂喰めが、あんたらごときがそっちに付いたって利用されるだけだろうが! 馬鹿が!」

 狐火がゆっくりと湯呑茶碗を膳に置いた。

「どっちに付くも何も、うちが新選組と組むこと自体不愉快。誰が兇魂に憑かれようが粛清されようがどうでもええ。帝の命やから来たまでや。付け上がんなけが」

 狐火の凄みに気圧されるとさすがの新見もこれが運の尽きだと悟った。刀に手をかけ土方に唾を飛ばし怒鳴る。

「どうせ憑けばいずれ化け物になるしかない。ならばここで腹を斬るまで!」

 刀を抜こうとする新見の手を土方が制した。

「何言ってんだよ、新見さん」

 土方の薄ら笑いに背筋が凍る。

「斬首だよ、斬首。兇魂に憑かれしもの、斬首を言い渡す。もう禁令を忘れたのか?」

 いつの間にか部屋の隅には斎藤が佇み、事の始末を見ていた。

「切腹なんて、死なせてやると思うなよ」

「この百姓上りが! 最後は化け物になって食いつくしてやる。覚えておけ!」

 ギリギリと歯を食い締め血走った眼で土方を睨むが、外堀を固められた今言い逃れは出来ないと腹をくくるしかなった。悔しさで顔をしわくちゃにしながら頭を垂れ差し出す。斎藤が刀を抜き傍に近寄る。ふっと振り上げた刀を躊躇いもなく振り落とした。


 首のなくなった胴がどさっと転がる。他には何も動くものも音を立てるものもない。遠くからくぐもった男女の笑い声や、どんちゃん騒ぎが聞こえてくる。

 新見の体からゆらゆらと黒い煙が抜け出ると狐火の元へと流れていく。手にした湯呑をくるくる回すと煙がみるみる器の中に納まっていく。最後は狐火がこくりとそれを飲み干した。

身体を斬るとその煙みたいなもんが出てくるだけか」

「人の魂や。怨を持ってると今みたいに黒くなる。これがさまよい兇魂となり、人の体に入り込む」

 狐火が黒い玉をぺっと吐き出した。

「あんたがこの話に乗って来るとは思わなかった。こういうのは、非道だろう」

「嘘ついて兇魂憑きでもないもんを殺めることか?」

 何も言わず部屋に転がる遺骸を土方が眺める。

新見それは長州と繋がってた。あんたが調べ上げたことや。こちらの情報も流れてることやろ。それに、こないだ芹沢はんが金を出し渋った商家を焼き討ちした件。あれも新見はんが仕向けたらしいな。なんか臭う。こちらに対して脅威となる存在は早めに消して当然」

 それでもまだ土方に迷いがあるように見えた。


「甘いわ。ほんま、甘い。化け物くらいコワならな」

 土方に近くより顔を突き合わせると、扇を開き鼻をふさぐようにあてがう。

「せやろ? 土方はん」

「……大切なものを、守るためにか?」

 土方の言葉にぶはっと狐火が吹きだす。予想外の反応に土方も斎藤も目を見張る。

「ちゃうちゃう。にや」

 「やっぱり甘いなあ」と楽しそうに狐火が立ち上がり窓の方へと向かう。

「次こそ最初の山場やろ? ほな、楽しみにしとります」

 ぴょんと窓から飛び降りると、すでにその姿を見ることは出来なかった。


 ▼▼▼


 新見の粛清は翌朝には屯所内のみなが知るところとなった。

 屯所近くの壬生寺の境内。拝殿の階段に野口がぼんやりと腰を下ろしていた。

「野口、こんなところにいた」

 藤堂が隣に座り込むと、懐から大きな饅頭を取り出す。それを半分に割り、野口に差し出した。

「これ好きでしょ」

「ありがとう平助。でも今は食べる気にならなくて」

 苦笑する野口に対し、出来る限りの笑顔を作った。

「うん、そうだね。じゃあ、これは置いておこう」

 饅頭を再び懐にしまう。少し気まずそうに藤堂が俯くと足先をぱたぱたと動かす。

「新見さんが」

 野口が口を開くと、藤堂が顔を上げた。

「化け物になる前にかたを付けてくれてよかった。化け物になった新見さんを見たくなかったし斬りたくはなかったから」

「うん」

「新見さんが人として死ねたのなら、本当に良かった」

「野口、大丈夫?」

 顔色が冴えず覇気のない顔を覗き込む。

「ねえ、甘いもの食べに行かない? 草紙屋にいくのもいいし。あ、四条の辺に見世物小屋が出来たみたい」

「平助は優しいね。でも今日は芹沢先生の傍にいるよ。あの人はね、案外心が細いお方なんだ」

 を思う野口の表情が柔らかくなる。藤堂にも野口の気持ちが本当によくわかった。きっと自分もいつもそんな顔をしているから。

「うん。今日は芹沢先生についていてあげて。また遊びに出よう」

 くったくのない笑顔を見せた野口が足早に屯所へと走っていく。その背中を藤堂がずっと見つめた。野口の姿が見えなくなるまで、ずっと見つめた。

「ごめんね、野口」

 ぽつりと零すと膝に顔をうずめ、しばらくそのままうずくまった。

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