九 陥穽

 豊後屋とよごやの一件が落ち着いて間もなく、八木邸の一室には近藤、土方、芹沢、新見が集っていた。

 最初に土方がその後の件について話し出した。

「平野国臣はどうしてか事前に逃げ隠れちまって捕縛し損ねた。ただ、代わりに豪農庄屋の男が店にいてな」

「とっ捕まえて会津に引き渡した奴か」

 芹沢が崩して坐すると、退屈そうに鉄扇で膝をぺしぺしと叩く。

「どうやら天誅組に資金援助をしていたのが此奴こやつだったそうだ」

「平野は天誅組との手も切れ、雲隠れして活動も出来ない状態。天誅組も後ろ盾をなくした今大きな動きはできない。この一件は一旦収束といっていいだろう」

 まるで他人事関わりない事という風に話す新見。それに対し土方が腑に落ちないといった風だった。


「新選組結成以来の大一番だったが、みな健闘してくれた。松平様からもお褒めの言葉があったとのこと。尽忠報国! これからも上様のため腕を振るおう」

「おっと待った近藤さん! 尽忠報国それは最もだが、俺らはあくまでも尊王攘夷で動いていることを忘れるな」

 鉄扇で指された近藤が不服そうな顔をする。「芹沢先生それは」と反論しかけたところを土方が割って入った。


「まあまあ、今集まってもらったのは別の話があってだ」

 土方が一枚の紙を三人の前に置く。

「この前提案した禁令だ。俺らは未だ有象無象の浪士の集まり。しかしこれからさらに規模を拡大させる。近藤さん希望の通り身分を問わず迎え入れるとなれば厳しい隊規が必要となる」


 一. 士道に背くまじきこと

 一. 局を脱するを許さず

 一. 勝手に金策いたすべからず

 一. 勝手に訴訟取り扱うべからず

 右条々、あい背き候者、切腹申しつべく候也


 兇魂憑かれし者、即刻斬首申しつべく候也。



 禁令を見た芹沢と新見は予想通り面白くないと顔をしかめる。一読すると芹沢が紙をぽいと捨てやった。

「士道に背く。含んだ言い方じゃねえか土方」

「いや、これほどの禁令はどの藩でも当たり前にある。特に含んだ意味はない。まあ、心当たりがあるなら話は別だが」

「ふん。別に好きにすりゃいい。どうせあんたが都合よく使いたいってことくらい見え透いているからな」

 話しは終わったと芹沢は煙管を取り出した。

「それじゃあこの禁令通りで」

 土方が紙を仕舞いかける。


「この最後の兇魂の件だが」

 新見が禁令の最後の行を指さす。

「ああ、芹沢さんたちも見たと思うがここの兇魂ってのは他国と比べもんにならんくらい狂暴だ。放っておいて手が付けられなくなってからじゃ遅い。これから俺らも恨みつらみをかって行くだろうからな。魂喰のかたには兇魂が憑いている者を見つけ次第報告をもらうように頼んだ」

「手筈だけは立派だな」

 新見と土方互いの視線に火花が散る。

「近藤さんも了承してくれるか」

「うむ、これから新選組を大きくするにあたって良い案だ。隊士への周知と、監察へ協力を頼む」

 ちっと芹沢が舌打ちをすると立ち上がり部屋を出る。新見も納得がいかない様子のままその後を追いかけた。

「芹沢先生、よろしいので?」

 どすどすと足音を鳴らし歩く芹沢は悠然としている。

「あんなもの、抜け穴くらいいくらでもあるわ」

 鉄扇をばさりと開くとおもむろに仰ぐ。

「お前こそ、気を付けておけよ」

 そう言って新見を横目に見ると豪快に笑う。芹沢が前に向き直ると、新見がその背中をいかめしい顔で睨んでいた。



 芹沢と新見が部屋を出た後、こっそりと障子の向こうに影が控えた。

「ようやくしっぽでも掴んだか」

 土方が問いかけると障子かすっと開き、島田が姿を現した。

「やはり土方さんがふんだ通りのようです」

 辺りを気にしながら部屋の中へと入る。

「なんだなんだ。また私に黙って面白いことに手をだしよって」

「近藤さんの周りには常に人がいるだろ。どこから話が漏れるか分からないからな。諦めてくれ」

 ふくれっつらの近藤をなだめると、「じゃあ聞かせてくれ」と目を輝かせて土方を見つめる。

「実行はそうだな、一週間後。抜かりなくいこう」

 ふむふむと近藤が頷き、続きの言葉を楽しみにしていると、再び障子に別の影が映る。

「土方さん、魂喰よりことづてです」

 斎藤の声が聞こえると、中へ入るようにと促した。

「なんだなんだ! まだ私に隠していることがあるのか、トシ!」

「声がでけえよ近藤さん」

「なんだか最近皆は暴れまくって楽しそうだが、私は仲間外れになった気分だよ」

 普段の風格からは想像もつかない子供っぽい口調に呆れる。しかしそれが土方には嬉しかった。昔のままの関係を、変わらぬ近藤を感じることが心をすっと穏やかにする。

「近藤さんは皆を、新選組をしっかりと見守ってやっていてくれ。あんたが見てくれている目のおかげで、皆信念を持ちまっすぐに行動できる」

 「そういうもんか?」と未だ訝しげにしている姿を土方が誇らしげに見つめていた。


 ▼▼▼


 文久三年 九月十三日 夜。


 土方が祇園を歩く。着流しを纏い袖手して歩くその様はなかなかに目立つ。手招く女たちには目もくれず土方が歩いていると、斎藤が道端に待ち構え佇んでいた。

「新見は予定通り山の緒に入りました。亭主には話を付けてあります。あと、あれの手筈も整っていますので」

 土方が一度頷くと、「山の緒」と書かれた標牒がかかる座敷へと足を踏み入れた。

 土方を見るや否や亭主が縮こまる。それを横目にゆっくりと階段を上る。襖で仕切られた部屋の一室の前に立つと、がらっと扉を開けた。

 いきなり現れた土方に驚いたのは新見だった。言葉を失う新見の傍に土方が腰を下ろす。

「新見さんよ。今日も羽振りよく飲んでるじゃねえか。芹沢先生から離れて羽伸ばしてるのか?」

 驚いたのも束の間、新見が酒をお猪口に注ぐ。

「なんだ突然現れて。休みの時くらい何をしていてもいいだろ」

って新見さん。何もなくて現れると思うか?」

 新見と土方がお互いの視線と空気を感じ取り合い、探り合う。

「嬉しい報告でもしに来たか」

 酒を煽る新見に満悦の笑みを浮かべた。

「いいや。だ」

 土方の口元がにっと笑った。

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