八 一丘之貉
文久三年 八月二十四日 早朝。
八木邸では
「平助、ちょっといいか」
羽織を着こみ気合を入れる藤堂が土方の声に振り向く。
「今回の出陣だがな、平野捕縛はあくまでも建前だ。他の奴らにも伝えたが、真の目的は反幕組織の頭数を減らす事。そして新選組の名を挙げる事。分かるな」
「はい!」
「斬ってもいい」。その言葉に藤堂の瞳孔がきゅっと縮まり、殺気が顔に滲んだ。
「暴れてきてくれ」
もう一度大きく返事をした藤堂がにかっと笑う。
「それじゃあ手筈通り、出陣だ」
土方の号令に隊士達が三条木屋町へと出発する。今回
「ふぁあ」と
「今日の仕事はかなり大きいと聞きました。新選組も総出で来ると」
「心配せんでも若虎も来るわ」
狐火が
「いえ、そういうわけでは……」
「さよか? なんやそわそわしてるかと思うたけど、気のせいかいな?」
狐火はよく他人の心を見透かす。それが分かっているので口を噤むしかなくなる。
「冗談は抜きにしても、斎藤の話が本当なら今回の仕事、お前の負担も大きくなる」
「
「慣れとる」と小さく付け加えたが狸吉は言葉を返さなかった。
「狐火様、来ました」
貂が見つめる先、新選組隊士が姿を現すと瞬く間に豊後屋を囲む。
藤堂と野口の組は裏口を固める。
「私が先に踏み込む。野口は逃げ出て来た奴らを頼む」
「分かった。気を付けて」
表の方から「御用改めである!」と叫ぶ声が聞こえた。それを合図に隊士が一斉に押し入った。
藤堂が裏口から二階へ続く階段を駆け上がる。新選組の奇襲に気付いた天誅組が瞬時に戦闘態勢に入り襲い掛かってくる。武装集団だけあって真正面から相手をすれば押されると分かっていた。
藤堂が階段を上がり切る手前で止まる。奥から
藤堂の作戦通りだった。
階段へ続く廊下は狭く、刀を振り回しながらであれば人一人通るのがやっと。藤堂は一人、一人と切り捨てていく。それでも全員を相手にしていれば不利になる状況であり、何人かの刀を躱すと足蹴りにし階段下へ突き落していった。
転がり落ちた先には藤堂と同じ組の隊士達が待ち構える。それらをすり抜けていった先、堂々と道を塞いでいたのが野口だった。逃げたが最後、一人残らず野口に仕留められていく。
「ねえちょっと、わざとこっちに流して来てるでしょ」
愚痴を吐きながらも野口が天誅組を片付けていった。
地上と同じく騒がしくなっていたのが豊後屋の屋根の上。
「うっわ。思ったよりヒドイねえ」
「小粒だがどれくらいの数が沸いてくるかわからん。備えろ、貂」
貂が短剣を二本引き抜くと両手に構えた。
血がしみ込んだ床や地面から
人と化け物。混沌とした戦陣の中、貂が屋根を駆けだす。
「狸吉さん、頼みます」
狸吉が手印を組む。
「
目に見えない鎖が空間を走り抜け、蠅たちを拘束する。勢いをつけた貂が屋根を飛び出し宙で動けなくなった蠅へ飛び乗ると、その胴を搔き切っていく。次々と蠅に飛び移り切り裂いていくその様は圧巻だった。
「貂すまん! 一体取りこぼした!」
まだ浮上していなかった蠅が一匹地上から矢のように飛び上がった。
「行けます」
冷静に貂が蠅を視界にとらえる。今仕留めた蠅を足場に飛び込み、逃すまいと食らいついた。そのまま自身の体重をかけると共に地上へと降下させる。地に着いたところで短剣に体重をかけ、化け物に刃を食いこませた。風船がはじけるように化け物が血をまき散らすとそのまま動かなくなった。
ひと息ついたのも束の間、地に着いた貂の手足を黒い手が掴んだ。地面から伸び出ている無数の黒い手が引きずり込むように貂を絡めとる。
「しまった!」
引きはがそうとするがずるずると地面に沈んでいく。焦るほどに抗うことが出来なくなる。
「貂!」
狸吉の声が頭上から響く。見上げようにも自分の力ではどうにも出来ずもがいていると、ふいに服を掴まれ吊り上げられる。地を離れていく手足からめりめりと黒い手が剥がされていく。手が惜しそうに貂を探すが、次第にするすると地面の中に消えていった。
「あ?」
宙ぶらりになった貂が振り返ると、むすっとした表情の土方が片手で貂を掴み上げていた。
「本当、お前ら魂喰はどうなってんだ。平助から聞いている。お前ら地上に足つけれねえんだろ」
「すみません。助かりました」
「土方はん、おおきにー」
屋根の上からひょこっと顔を出した狐火に舌打ちをする。
「あれー!? 貂だ。土方さんと遊んでるの?」
笑顔の藤堂が姿を見せると土方がぽいっと貂を投げやる。投げられた貂がそのまま庭に置かれている大きな石に飛び乗った。
「血まみれだな」
「貂もじゃない」
殺気立っていない藤堂の顔に安堵の表情を浮かべる。二人の様子を見た土方がその場を離れようとすると、屋根の上から激しい嗚咽が聞こえてきた。藤堂が何事かと空を仰ぐ。
「狐火様だ」
コロコロと音がすると小さな黒い玉が数粒屋根から降ってきた。その一つを土方が拾う。
「兇魂です。狐火様が一旦腹に入れ、玉へと封印する。その術を帰穢と言います」
「お前ら魂喰に出来る術か?」
「いえ、全員ではありません。最高階の魂喰にしかできません」
「あんなでけえ化け物がこんな風になっちまうんだな」
兇魂をまじまじと見つめ、ぎゅっと握り締めると土方がその場を去っていった。
二人になった後も貂が心配そうな目を藤堂に向けていた。
「兇魂や
貂が服の袖で藤堂の顔に付いた血を拭う。
「大丈夫だよ。私は無駄に斬ったりしない」
どうにも不安気な顔を止めない貂を安心させようと、藤堂が目を細めにこっと笑った。
新選組と天誅組の乱闘は混戦を極め、後始末も大仕事となっていた。その頃屋根には狐火が足を放り出し、ぷらぷらとさせながら座っていた。二階の窓から土方が声を掛ける。
「あんたいつもすぐ帰っていくのに、今日はまだいたのか」
「ちょっと考え事や」
「この前の件、貂には御咎めなしか」
狐火が声の方をちらっと見降ろすと、興味がなさそうにまた前へ視線を戻した。
「魂喰は厳格な組織だと思っていたが、案外甘いな」
「なんや、そんな事わざわざ言いに来たんかいな。そっちこそ、こんだけ暴れまくっといてお尋ね者も捕り損ねたんやって?」
「ああ、それなら目的のヤツを捕えたから、それでいい」
「ふーん」と狐火が
「それより狐火さんよ。耳に入れときたい話――いや、相談なんだが」
「相談」とは、いやに素直な態度が気にかかった。
「
「なんやきな臭い話には関わりとうないけど。それなら聞きましょか」
豊後屋で起こった襲撃で町が騒がしさを増す中、話し込む二つの影が朝日に照らされ怪しく浮かんでいた。
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