七 狐疑

 新選組が結成されてからというもの、壬生の地は朝から活気にあふれるどころか、少々煩いほどだった。手狭になった八木邸を抜け出し、向かいに構えていた前川邸までも新選組の稽古の場となっていた。

 毎朝いそいそと連れ立って出かける永倉新八と原田左之助は誰よりも熱く今日も稽古に打ち込む。

しんちゃん! 剣の道は人の道! 『人として成長したくば剣を極めるべし』よ!」

 原田がびしっと稽古用の槍を永倉に向けると構えた。

「いやいや、お前にもう人として成長は望んでねえよ。ただ手合わせしたいだけだろうが」

「ええー。ひどいよ新ちゃん。せっかく山南さんの難しい話を覚えてきたのに」

 泣きそうな顔をして見せる原田の服や体は砂まみれで、すでに幾度となく負かされた事を物語っていた。それでも喜色満面に挑んでくる原田を永倉は健気で可愛らしいとも思ってしまう。

「あ、新ちゃん。今オレの事小ばかにしてるでしょ」

 むっとむくれた原田が永倉の目の前まで近寄ると大きく胸を張った。永倉より数寸背が高い原田が見下ろし、そしてあからさまにため息を吐く。

「あーあ、新ちゃんがもう少し背が高けりゃもっと――」

「てんめえ、サノ! 小ばかにしてんのはどっちだよ、この馬鹿サノ!」

 木刀を振り上げると、原田が嬉しそうに逃げていく。

「はいはい! もう一本もう一本」

 素早く構える原田に、仕方ないと永倉が両手で柄を握り直した。

「永倉さーん。原田さーん」

 二人が踏み込もうとした時、藤堂が走ってやって来た。

「近藤先生と土方さんが呼んでます。みんな奥座敷に集まれとのことです」

 永倉と原田が顔を見合わせると、一時休戦と刀と槍を仕舞う。



 八木邸の奥座敷には幹部の面々が揃い坐していた。局長である近藤と芹沢、そして新見にいみが隊士達の前に並び座る。皆が揃ったところで近藤が口を開いた。

「最近、町では倒幕論を広める動きが出ている。今その主体となっているのが平野国臣ひらのくにおみという男だ。松平様からもこれの捕縛を任ぜられていたのだが。島田、掴んだことがあるんだったな」

 近藤のすぐ傍にどっしりと座り込む島田が「うむ」と頷く。

「まあ、平野っちゅう男の居場所が分かったのだが、少し厄介でな。そこには天誅組も出入りしているようなんだ」

「ちょいちょい、天誅組って言ったら尊王攘夷の武装集団っしょ。朝廷・幕府こっちに楯突いてる逆賊が今度は弁の立つヤツを盾に攻めようってんの?」

 身を乗り出し興奮する永倉に対し、冷静さを崩さない山南敬助が熱くなりかけた空気を抑える。

「いや、天誅組か平野か、どちらが主導しているのか、はたまた誰かが裏で糸を引いているのか。今は判断できないでしょう。まず平野を捕縛し、会津に渡す。そうすれば事の全貌は明らかになりますよ」

 柔らかく語る山南に、興奮気味だった隊士達も落ち着きを戻す。

「と、言うことでだ芹沢先生。少し大事になってきたもんで、お力貸していただけますかな?」

 近藤がにこやかに語り掛けるとうっとおしそうに芹沢が息をつく。

「新見、なんだ面倒な事になってきた。お前に任せる」

「先生はどっしりと構えるのが仕事ですから。この件は承知しました」

 新見が芹沢にへつらうものだから、新選組の中で近藤の存在は明らかに三番手のようになっていた。それが土方は気に入らない。芹沢と新見のやりとりを不快に思った土方が横やりを入れる。


「そういや芹沢先生、この程も問屋への押借りの苦情が入っている。そろそろ控えてもらわないと新選組の面目が潰れる。店に火まで付けた事件。あの件で未だに町ではこっちを目の敵にする者がいる。京の治安維持にも助力してくれねえと、あんたが新選組ここにいる意味もなくなるんじゃないのか」

「ああ、あの焼き討ちの件はな――」

 土方に答えようとした芹沢を遮ったのは新見だった。

「先生、今回は相手もそこいらの不逞浪士というわけではない。こちらも総出で」

「ああ、そうだな。これが上手くいきゃあ朝廷くにのために酬いれるってことよ」

 豪快に笑う芹沢に面白くなさそうにする土方。その睨んだ視線の先は芹沢を通り越し、新見の不気味な笑みを捕えていた。


 隊士たちが奥座敷から退散していく中、藤堂が野口に声を掛けた。

「また同じ組だね」

「ああ、出陣のときは平助とよく一緒になる」

「土方さんはわざと私と野口を一緒にしているのかな? だって、私たちが一緒だとほら、強いでしょ」

「たまたまだと思うよ。でも平助の強気なところは僕も好きだ」

 野口の言葉に照れたように嬉しそうに破顔する藤堂。

「この後甘いものでも食べに行こうよ」

「いいね。今日は芹沢先生からもいとまをもらっているし、行こう」

 二人が足早に駆けていく。その後ろ姿を腕を組み壁にもたれ掛かった土方が見送っていた。


 ▼▼▼


 同刻。御所近くの立派な屋敷を狐火が歩く。表立っては他の公家邸宅に交じって何ら変わりのない屋敷だったが、奥へ行けば行くほど昼間だと言うのに薄暗い空間へとつながっていた。

「のう、狐火こっこ。先頃夜に出かけておったが、どこへ行っておった?」

 どこからともなく聞こえて来た声に狐火がうざったそうに頭を搔く。

「なんや猫尾びょうびか。あれは散歩や散歩」

「非番の上新選組絡みの用もないのに、狸吉たぬきてんを連れてか?」

 「話しかけるんやったら姿くらい見せえや」と舌打ちをする。

「まあよいわ」

 狐火の愚痴も気にせず姿を見せぬ声が話し続ける。

「ほんま、新選組やて。我ら魂喰たまくいと外のもんとを繋げるなんて、帝は何をお考えなのやら」

「別に、なんでもないやろ。効率がええと思った。それだけちゃうか?」

 狐火が立ち止まっている廊下の死角に艶やかな着物に身を包んだ猫尾が座り込む。

「儂はな、貂を心配してるんよ。あれは今まだ外の人間と関り合う事がない。刺激を受ければすぐに人の念が入り込む。普通に人として生きるならそれもまた良し。しかし魂喰として生きるならそれは枷にもなりかねん」

 ――ああ、それはもう手遅れかもしれんけど。

 狐火が扇で口元を隠すとふふっと笑う。

「わざわざ心配してもろて、おおきに」

 のらりくらりと躱す狐火に猫尾も言葉を返すのを諦めた。

「狐火様」

 一人の従者が狐火を見つけ駆け寄る。

「新選組の斎藤一殿がいらっしゃっております。間もなく大きな出陣があるとの事」

 斎藤の名前を聞いた狐火が空を仰ぐ。

「あはは。ほな狐火、お気張りやす」

 猫尾が嬉しそうに笑うと立ち上がりその場を離れていった。

「なんでこんなしょっちゅうしょっちゅう。新選組あれが来てからの方が京が騒がしくなってるっちゅうねん」

 苛立ちが歩く足音に滲み出る。狐火が斎藤の待つ部屋へと向かった。

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