六 涸沢之蛇

 藤堂が蟇蛙の腹を斬りつけるが、その化け物は怯むことなく迫りくる。今度は蛙の腕を斬り落とす。藤堂が蛙を斬りつけている隙にてんが短剣を拾い上げた。

「平助ありがとう。これでいける」

 藤堂の顔の横から貂の手が伸びる。貂は斬られて割れた蛙の腹に腕をねじ込んだ。腹の奥へ奥へと腕をねじ込んで行く。

「ここだ!」

 貂がバク転をするように地を蹴り舞い上がると、蛙を腹から顔にかけて上下真っ二つに斬り割った。

 ――ああ、やっぱり貂の剣捌きは綺麗だ。

 降り注ぐ血の雨を浴びながら、そんなことは気にもならないくらい貂の姿を凝視する。


 ぼたっと両断された蛙が地に倒れる。着地した貂が短剣を仕舞った。

 狐火こっこが手印を組み祝詞のりとを唱えると化け物が黒い煙になり、吸い込まれていくそれを飲み込んだ。

「貂、やったね」

 駆け寄る藤堂の顔を見た貂の顔が青ざめる。化け物の血を大量に浴びた藤堂の顔や腕からどす黒い痣が広がっていた。

「平助!」

 貂が慌てて着ていた水干の法衣を脱ぐと藤堂に頭から被せ、そのまま地面に押し倒す。いきなり布にくるまれ倒された藤堂が暴れ出す。

「いきなり何するんだよ貂! 私は男に乗っかられる趣味はない!」

「おい、頼む。ちょっと大人しくしてくれ」

 じたばた暴れる藤堂を力づくでしばらく押さえつけると、貂が力を緩めた。法衣からひょこっと顔を出した藤堂は膨れっ面になっていた、痣は綺麗に消えていた。

「化け物の血は浴びすぎると身体を蝕む。この法衣は邪除けの香が焚いてあるから」

 ほっとした貂が法衣に付いた土埃を払うと、再びそれを着込んだ。

「え、あ、なんだそうなんだ。早くいってよ」

 腕や足の状態を確認しながら藤堂が答える。その後ろでは先ほど兇魂が抜け出し気を失っている近藤を土方たちが運んでいた。

「どういうことだ。近藤さんを斬るんじゃ」

 土方が狐火に問いかけると狐火がふいと顔をそむけた。

「狐火さんよ、何はともあれ助かった。どうだ、少し休んでいくか?」

「いや、ええわ……」

 顔をそむけたままの狐火の目に喜び合う藤堂と貂がうつる。

「……。ほな、少しだけ」



 屋敷の縁側に藤堂と貂が腰を掛けて座る。

「今日は本当にありがとう。私の大切な人を傷つけずに祓ってくれて」

「……家族なんだろ?」

 ぼそっと貂が零す。

「私にはね、血のつながった家族の記憶はなくて」

「そうなのか?」

 気まずそうにする貂ににこっと微笑む藤堂。

「でもね、江戸には大切な師がいて私をここまで育ててくれた。新選組にも近藤先生という人生に光を射してくれる存在がいて、本当の父のように慕える山南さんもいる。野口っていう友達や、沖田さんや原田さん、永倉さんは兄のように心強い」

 どこまでも前向きな言葉を貂は少し恨めしく聞いていた。

「それに貂にも出会えた。京に出てきて、本当に良かった」

 笑顔を向ける藤堂に、貂は嬉しくも悲しそうな複雑な表情を向けた。

「貂、そろそろ帰るで。うちはちょっと挨拶してくるわ」

 居心地が悪いらしく、早く帰りたそうに急かす声が聞こえた。

「狐火様、それでは俺は表でお待ちしております」

 貂が頭を下げると、頷いた狐火がその場を立ち去る。

「じゃあな、平助。また、すぐ会うだろ」

「そうだね。気を付けて」

 貂が縁側を歩き、表へと向かう。それを見送る平助。八木邸の庭が数刻前よりも静かに感じた。



「狐火殿」

 表へと向かい歩く狐火が振り返る。

「近藤はん。もう起きても大丈夫で?」

「あっはは! 全然平気だ。もう帰られるのか?」

「へえ、おいとまさせてもらいます」

 狐火が扇で口元を隠す。

「そうか。今日は本当に助かった。しかし見苦しいところを見られた」

「近藤はん。今日の事やけど――」

「なんだ、兇魂くたまが憑いた者を必ず斬る必要はないんだな」

 近藤の言葉を遮るように狐火が扇で近藤を指す。

「そのことは貂が藤堂はんに伝え、あんたはんに提案した。やな?」

 鋭い視線を感じた近藤が不可解そうな顔をする。

空境破邪くうきょうはじゃ。たとえ死をもってせずとも、それ自身が自分の中の兇魂を認識し、駆逐する意識を強く持てば兇魂を剥離させられる。我々魂喰だけが知るすべ

「平助もそう言っていた」

 狐火がずずいと近藤に詰め寄る。

「この話は他の誰にも?」

「平助は俺にだけ話しに来た。なんでも聞かれてはいけないとかで」


 狐火が近藤に詰め寄ったまま小さく息を吐く。

「この話を口外する事、あまつさえ人の身体から魂喰自ら兇魂を引きずり出す行為。その行為は魂喰の中ではご法度や。この意味、武士なら分かるやろ」

 殺意にも似た狐火から放たれる雰囲気に近藤がごくりと唾をのむ。

「どうして貂が法度を破ってまで今回みたいな愚行を冒したのか。あんたなら察しはつくやろ」

 「ああ」と近藤が頷いた。

「今回は近藤はんの意思が強かったお陰で上手くいったものの。普通の人間では滅多に成功せん」

「しかし人を故意に殺さなくて済むなら、どうしてそうしない」

 聞きたい欲にかられつつも狐火の威圧感に近藤の心臓が大きく鳴っている。狐火が自身の顔を近藤の顔に極限まで近づけた。

「近藤はんは、今長州はんが権威を手放したり、京から不逞浪士が一切おらんなってもええと、ほんまにそう思ってはるん?」

 面の下で不敵に笑う狐火を近藤は感じた。

 近藤がにっと口角を吊り上げ笑う。

「あっはは。 狐火殿は面白いお方だ。しかし、気が合うやもしらん」

 「合いとうないわ」と狐火がふいっと顔をそむける。

「貂殿は、どうなる」

 笑うことを止めると真剣な顔で近藤が問う。

「今日の話は上にも通しとらん。うちらとそちらが黙っとったら露呈する事はない。そうやろ?」

「命を救ってもらった恩人だからな。私らが漏らすことはないから安心してくれ」

「おおきに」

 へこっと頭を下げると踵を返し、表へと向かう。進めた足を止め狐火が振り返る。

「あと近藤はん。芹沢はん、あれももう危ないで」

 そう言い残すと狐火は八木邸を出ていった。


 近藤が狐火を見送っていると障子が開き、土方が姿を見せる。

「お前が隠れて聞いているのもバレてるんだろうな」

 がははは、と近藤が豪快に笑う。

「やはり正体の知れない気味悪いヤツだな」

「あちらも同じ思いじゃないか? だから釘を刺したんだろうよ」

 土方が踵を返し歩き出す。

「それにしても法度という手があったか。なるほど、こりゃおもしれえな」

「おお、トシ。また面白い事を思いついたのか?」

 ワクワクしながら土方の後を近藤が追いかけた。

「それにしてもトシ、狐火殿は私らのことを武士と言った。案外いいやつかもしらん」

「やめてくれよ近藤さん。あんたは流されやすい。しかし今の俺らはあんたを失うわけにはいかん。今日はあれにも感謝するよ」

 二人が話しながら屋敷の奥へと姿を消した。



 狐火の少し後ろを付いて歩く貂。

「狐火様、その」

「このど阿呆が」

「はい、申し訳ございません」

 はああ、と狐火が大きくため息を漏らす。

狸吉たぬき、お前もええな?」

「ああ。俺は何も」

 狸吉が貂の頭をくしゃくしゃと撫でる。

猫尾びょうびの奴がおらんくて良かったわ。あれが知ったら厄介やからな」

「俺はもう新選組に近づかない方がよいでしょうか?」

「それはお前がそうしたくないからか? もしそうやっても引き続き新選組あれを張っとけ」

「はい。承知しました」

 貂が唇を噛みしめ、狐火の後ろに付き歩き出した。その胸には今まで感じたことがなかったもやが何かを訴えていた。


 近藤の騒動が終わり、再び静かな夜に返る。揺れるろうそくの灯が障子に影を映していた。

 土方が文机に向かい筆を走らせる。

「あとはあいつが上に報告し、下命が下れば」

 不敵に吊り上がった口角を怪しい光が照らしていた。

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