四 邂逅

 昨晩の出陣から一夜明け、新しい門出を迎えた八木邸を穏やかな陽が照らす。

「よう!」

 庭の木の陰に身を潜める藤堂の背後から声を掛ける者があった。

「何!?」

 ばっと後ろを振り返った藤堂の目には塀の上にしゃがみ込む男の姿が映る。

「だ、誰!?!?」

「俺だよ」

「俺って誰!?」

「あ?」

「あ、じゃなくて。知らないんだけど! も、もしかして不審者!?」

 慌てる藤堂に対して冷めた表情を見せるてん

「ああ、ごめん。そうだった」

 貂が背中に垂らして掛けていた面を顔に当てる。

「これ、魂喰たまくいの貂」

「ああ!」

 貂を指差し、藤堂が叫ぶ。

「貂さんだ」

「貂でいい。藤堂さんだったか?」

「私のことは平助でいい」

 にこにこと笑う藤堂にどうも調子の狂う貂が顔をしかめる。

 ――昨晩までのヤツと同じヤツか?

 怪訝な顔をする貂をよそに、藤堂が再び背を向け木陰に身を潜めてしまう。


「なあ」

「しっ。静かにして」

「なあって」

「今話しかけないで」

「なあってば」

「……」

 勢いよく振り返った藤堂が鬼の形相で貂を睨む。

「今かくれんぼしてんの! かくれんぼ! 分かる!? だから静かにして」

「……はあ!?」

 威勢よく放たれたひそひそ声の怒号に呆れたのは貂だった。

「だから! 今沖田さんと野口とかくれんぼの最中なの! 鬼が沖田さんと野口、私が隠れる役。……貂、かくれんぼ知らないの!?」

 真剣にかくれんぼをしていると抜かす同い年程の青年に唖然とする。

「いや、知ってるし。だけどいい大人がそんな真剣に――」

「これがかかってるの!」

 藤堂が懐から大きな饅頭を取り出し貂に差し出す。それを見せられた貂から「ええ……」と間抜けな声がこぼれた。

「少し話がしたい」

「後で」

「後は用事がある」

「もう、そんなうるさくして見つかったら貂のせいだか、ら――」

 唐突に貂がひょいと藤堂を担ぎ上げると塀や木を伝って飛躍する。「え!」と声を漏らす間もなく、貂が空高く藤堂を連れ去った。

「ここなら見つからない」

 藤堂がどさっと下ろされたのは屋根の上。「いたたぁ」と藤堂が起き上がり、屋根から下を見下ろす。

「すごい! 一瞬で屋根に上ったの?」

 はしゃぐ姿を前に緩んだ貂の口元はまんざらでもなさそうだった。


「おーい。平助ー? 野口、そっちいたか?」

 屋根の下から聞こえて来たのは沖田の声。

「あ、沖田さん。こっちにはいません。どこに隠れちゃったんでしょうか?」

「ああ、くっそ。あの饅頭すぐ売り切れんだよなー。大人しく分けてくれって頭下げりゃよかった」

 野口が「そうですね」とくすくす笑って答える。藤堂も2人の様子を見てふふっと笑う。

「沖田さん、すみません。この後芹沢先生に呼ばれておりますので」

 野口が丁寧に頭を下げると去っていく。

「おお、分かった。平助のやつも飽きてどっかいっちまったか?」

 沖田も頭を搔きながら諦めて退散していくようだった。

 下をのぞいていた平助が改めて貂の横に腰を下ろす。懐から饅頭を取り出し半分に割ると貂に差し出した。

「はい、あげる」

「いいのか?」

「饅頭を3分の2取られなかったお礼。半分だけだよ!」

 「はいはい」と言いながら貂が饅頭を受けとる。

「それで何? 話したい事って」

 饅頭にかぶりついた藤堂が顔をほころばせる。

「あ、いや、何かあったわけじゃないんだけど」

「何それ」

 藤堂がけらけらと笑う。

「実は私は聞きたい事がいろいろある。昨日の化け物は本当にびっくりした」

「あれはほとんど京でしか生まれないからな」

「どうして? 多摩でも江戸でも兇魂くたまの存在はあるのに、どうして京だとあんな化け物になるの?」

 貂が指先についた饅頭の欠片をぺろっと舐めた。

早九字はやくじって知ってるか?」

「聞いたことはある」

 貂が人差し指と中指を伸ばし、刀印を結ぶ。

「臨兵闘者皆陣烈在前」

 指先を横縦横縦と切っていく。

「これは化け物を祓う為の護身法とされてきた。だからみやこみかどが住む場所を中心にこの呪法で化け物から守ろうと町を作った」

「もしかして、京の町が碁盤の目に作られているのはそのため!?」

 貂が頷く。

「だったらむしろ京こそ守られてるんじゃないの?」

「ただ……。早九字は実は化け物の世と人間の世を繋ぐための術だった事が後から分かった」

「ええ! 後から!? 町を造ってから分かったの!? 造り変えようとはならなかったの?」

「この大きな町をか? 造った後じゃさすがに無理だろ。それに……」

 言いかけて貂が目線をはずす。


「……まあいい」

「じゃあじゃあ、私の推測! 貂たち魂喰がいつも屋根や塀の上にいて地上に降りないのは、その呪法のせい?」

 どや顔で迫る藤堂に貂が目を丸くする。

「昨日もそうだった。貂たちはずっと屋根や二階に潜んでいたし、化け物を踏み台にして飛び上がったり、決して地に足を付けなかった。不思議だと思ってたんだよね」

「すごいな。よく見てるな」

 貂がその観察力に感心する。

「京の町はそれ自体が悪鬼の門だ。俺らみたいなのは地に足付けばあっちの世界に引きずり込まれる。まあ、壬生ここは中心から離れてるから、地上に降りても問題ないんだけど。クセでさ」

 藤堂は目新しい話を楽し気に聞き頷いていた。しかしふっと何かを思い出したかと思うと神妙な面持ちに表情を変える。

「ねえ、貂」

 言いづらそうに顔を伏せる。

「近藤先生がさ、最近少しおかしくてね」

 さきほどと空気の重さが変わったことを感じ取り、貂も真剣な表情で耳を傾ける。

「たまに乱暴に人にあたったり、問屋から押借りしにいって暴れ出したり。まるで芹沢さんみたいになって」

 藤堂は近藤が問屋に押し入り暴れる姿を思い出す。思い出した近藤の目にはぐるぐると嫌なものが渦巻いているのを覚えていた。

 話を聞いていた貂も初日に会った近藤と芹沢の目つきを思い出す。

「兇魂が憑くと人は乱心したり正気を失うって言うじゃない。先生もそうなんじゃ――」

「うん。近藤さんには憑いてるよ」

 貂がふうっと息を吐く。

「本当は、この事を話したかった」

「そっか。この話だったんだ。それなら良かったというか、良くないんだけど。先生が変わってしまったのか心配したけど、兇魂のせいなら」

 そして藤堂が貂に真剣な眼差しを向ける。

「貂になら、先生の兇魂を祓うことが出来る?」

「平助、あのな、兇魂ってのは一度人の体に入れば出てくることはほとんどない。それを蝕み、最後は人ごと化け物になる」

「でも昨日は浪士の体から化け物が抜け出してきて」

「うん。憑いた身体が朽ちれば兇魂は抜け出す。殺すか、死ぬか」

 貂が立ち上がり藤堂に背を向ける。なんとなく表情を見られたくなかった。

「本当は狐火こっこ様から近藤さんの状態を見てくるように言われた。事が事なら対処しなくちゃいけない」

「先生を、斬るの?」

「すべて化け物に乗っ取られてから祓うか。二択」

 貂が振り返り二本の指を立てる。

「貂、近藤先生は私にとって大事な人なんだ。いや、ここのみんなは私の家族で友人で、恩人で。そんな人を斬るなんて出来ない。みなも許さない」

「じゃあ、化け物になるだけだ」


「何てひどい。私の家族なんだ。分かるでしょ? 貂にも大切な人がいるでしょ?」

「……」

「例外はないの? 斬るか化け物になるか。それ以外に」

「……。例外は、ない」

 背中を向けた貂には藤堂がどんな顔をしているのか見ることは出来ない。しかしどんな顔をしているか、なぜだか自然と想像が出来た。

 貂はそのまま立ち去ろうと歩を進めたが、数歩歩いて足を止める。

「『例外がある』なんて、もし俺が喋った事が知られたら首が飛ぶ」

 「物理的に」と聞こえないくらい小さな声で呟く。

 呟いた刹那、貂が背中に大きな衝撃を受け驚く。藤堂がぎゅうっと貂の腹にしがみついていた。

「他言はしない。貂になにかあったなら私の命に代えて守る。だからお願い」

 ぎりぎりと力がこもる藤堂の腕に、貂がゆっくり息を吐ききるようにため息をついた。

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