第8話 殺しの決意

『ふっ、空を飛べるというのは悪くないな』


 虫への憑依は簡単だが、逆に殺されるリスクも高いため、これまで控えていた。だが、蜂の場合は反撃を恐れてなのか、人はあまり攻撃してこない。今は教室の中なので、鳥など他の天敵もいない。そして、それなりに殺傷力のある毒針をもっている。これは意外と盲点だったかもしれない。


 教室は、蜂の襲来にちょっとした騒ぎになっていた。そんな中、意識の抜けた俺の体は机に突っ伏して寝ている状態になっている。だが、それほど不自然には見えない。これで誉川を仕留められれば完璧だ。


 教室の天井付近を舞いながら、誉川を探す。彼女は蜂の登場にもお構いなしでテストに夢中のようだ。蜂になって眺める光景は、動画投稿サイトで見かけるドローンに自分がなったような光景だった。


 俺は蜂になった体を操って、彼女の背中を目指す。これまで蜂に憑依した経験はなかったが、頭で念じれば大体思い通りに動かすことができた。念のため、俺を叩き落とそうとするやつがいないかに注意しつつ、誉川の死角に入る。そして、無事に彼女の背中、ブラウスの襟のやや下あたりに着地することに成功した。


 この位置では手で払うこともできまい。


 そして、他の人間は、人に止まっている蜂には手を出してこない。


『悪いがちょっと痛い目に合ってもらう。そして……できればこれで死んでくれ』


 俺は彼女のブラウスの上から、その肌目掛けて毒針を刺そうとした。


 その時――。


「蜂さんは完全に私の死角に入ったんですね! 凄腕の暗殺者さながらの動きです! 表彰ものですよ!」


 誉川はこう言った。


『凄腕の暗殺者だと? この女、まさか俺が蜂に憑依していることに気付いているのか!?』


 背中に冷たい汗が流れる。正確には、今は蜂なのでそういう感覚になっただけなのだが……。


 誉川 芽衣子、やはりこいつはただの女子高生ではないのか……。俺のことに気付いているのか。いや、蜂の殺意に対して「暗殺者」と言っただけなのかもしれない。イコールそれが「俺」にはならないだろう。


 しかし、万が一気付かれていた場合、ここで仕留め損ねると後が面倒だ。より確実な方法で、一撃で仕留めれるときまで手を出さない方が安全かもしれない。どんなことがあっても、暗殺家としての俺の正体がバレるわけにはいかないのだ。


 いくつかのメリット・デメリットを天秤にかけた上で、俺はこの場での暗殺を断念した。憑依を解き、自身の体に意識を戻す。


 元の体に戻った俺は、寝たふりの姿勢のまま、わずかに頭を上げて誉川の方を見た。


『俺が殺しの刃を振り上げた後に生かしているなんてお前が初めてだ、誉川 芽衣子。だが、俺は必ずこの仕事を遂行する。今は首を洗って待っていろ』

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