借用書回収いたします

 番頭の交渉の甲斐があって、二週間後に株の売買開始が同意に至った。取引所の職員からの話によると株の発行量について尋ねに来る投資家がひっきりなしにやってきているという。大手のジョン・フィーネ商会が出資するからとの期待をしている現れだ。フィオーネ王女との約束の日までまだ半分しか経ってない状態で、金が集まり始めようとしている。


「いい調子じゃないか。これで金塊の二倍は達成できそうだな」


 フィオーネ王女の邸宅にある客室で、ヴァールが計画の順調さに感心していた。しかし当のミリアムは、安堵の顔が浮かんでない。


「表面の数字はね。でも実際に扱えるお金の数は違うから」


 ミリアムが普段実験道具を持っている手には商人が木の玉で弾く計算機を手にしていた。発行する株の単価は、一株金貨一枚。興す会社の株の発行予定数は七百程度、そのうちジョン・フィーネ商会と王女がそれぞれ百五十株を筆頭株主として保有する。百五十にしたのは王女が出資した金塊と同等の株であると同時に、株が一つでも多ければどちらか一方が格上とみなされることを回避するためだ。

 これに残りの四百株が一般に販売するのだが、集めた金は当然ながら経営に使わなければならないため、仮に完売しても自由に使える金額は二百株を見積もる。

 金塊と同額の百五十に至るためには完売しなければ、二倍には到底達しない。


「綱渡りだな」

「そうなんだよね。完売できなかった時点で賭けは負けになる。とにかく一株でも買ってもらわないと」


 何か完売できる策をと考えるが、株を確実に完売できる秘策が思い浮かばない、そもそも完売できる見通しが怪しいのが、悪女と噂が立っているミリアムが要因であるのだが。


「金勘定に苦労しているようだな」


 客室のドアの向こうに立っていたはずのリチャールが、心配そうに毛むくじゃらの髪をドアの隙間にねじ込むように入ってくると、ミリアムは手元の計算機を腕の中に隠した。


「監視役なのに口を挟んでいいの」

「監視は任されているが、助言はするなとは言われてないからな。あの香具師やしに陛下の周りをいつもウロチョロされてはたまらん」


 そういえば、隊長さんもあの錬金術師に不信感持っていたわね。最初に出迎えてくれた時のことを思い出した。


「金勘定は完全に専門外だが、買ってほしいものを確実に買ってほしいなら、株を買えるような人の伝手を頼るというのはどうだ」


 いないなら身近な知り合いに買わせればいい、それはいい手段なのだがとミリアムたち二人はお互いの顔を見合わせた。


「あいにく俺の知り合いたちは、少額の賭けはしても金貨一枚もの金を投資に使う人間はいない」

「私は錬金術師界隈でははみ出し者なので」

「難儀だな。金塊一枚分でも買う人間がいないとは」

「投資は一般庶民にはハードルが高いので」


 ミリアムの人間関係はともかくとして、一般的な視点ではヴァールの方が正常である。投資というのは未経験の者にとっては手を出しにくい。ましてや金貨一枚は、一般の庶民の半月分の生活費に匹敵する金額、おいそれと聞いたことがない会社に金を預ける度胸などは普通はない。

 投資家は利益が出るかもしれないものを探す感性を持ち合わせている。そのために普段から金貨を大量に懐に貯め、大量に吐き出す。金銭感覚が違うのだ。


「陛下のパーティーに参加した者たちはどの方も、金貨を常に口頭で貸したり、借りたりとしていたから、金とは頻繁に貸し借りをするものかと勘違いしてしまったようだ。陛下のおそばにいると感覚がずれてしまうな」


 口頭で金の貸し借りができるのも王女の信用力があってのものだ。普通の会社なら収支報告書などを吟味して判断するのだが、王女というブランドと毎回パーティーを開催できる金銭的余裕、そしてパーティーを重ねて積み上げた信頼によるものが債権者たちの判断を鈍らせ、口頭での済ませている。


「……隊長さん、王女様の債権者の方々のお名前と連絡先はご存じですか」

「知っているが」

「その方々を呼んでほしいのです」


***


 城下の酒場に王女の債権者たちが集いだした。集められた債権者たちは目の前にただで振舞われた飲み物に皆手を付けていない。なぜ自分たちが集められた理由がわからず不審にミリアムたちに視線を集中していた。


「ミリアム、債権者たちを集めてどうするつもりだ」

「この人たちに株を買ってもらうようにする」

「彼らにか。借金を抱えているというのに、買ってもらえるのか?」


 ヴァールの疑問に答える前に、債権者の一人がついに我慢できなかったのか声をあげた。


「お嬢さん、その横にいるのはフィオーネ王女陛下の近衛兵だが、陛下の名代という認識でよろしいか」

「いえ、私は名代ではありません。この度私が立ち上げる会社の株についてお願いしたいことがあります」

「ジョン・フィーネ商会と陛下が共同出資する会社だろ。すでに算定は済ませているが、大して利益を上げられないと判断している」


 やはり投資家と訳もあり、情報が早い。そして投資に値するかの判断も早い。商会との共同出資というネームバリューがあるとはいえ、商売のやり方は錬金術を扱った小売店でしかない。投資家が魅力的に映るハイリスクハイリターンな商売の形態ではない。

 だが、この債権者たちに買ってもらわなければ株の完売など到底なしえない。


「株のご購入開始日はすでにご存じでしょうが、二週間後です。今回のお願いは、皆様が持っている王女陛下の借用手形の一部を株に換えさせてほしいのです」


 債権者たちの顎が一斉にミリアムの方を向いた。

 手形を持っているだけでは、借りた金の金利分しかもらえない。だがこれを株にかえて、価格が上がれば、元本以上の金が増えて返ってくる。それも決められた金額しか得られない金利と異なり、際限がない。それを手形との交換で手に入るのなら、これ以上ないほどお得な話だ。


 だが債権者たちは、ミリアムの顔を見はすれど、誰も交換すると声をあげていない。


「しかし大した額と換えることはできないだろ。予定している株の販売数は四百。販売数だけなら女王様の借金の元本の半額。販売することを明言している以上我々が持っている手形と交換するのは不可能だ」

「株の価格は確実に上がるわけではない。そもそも王女様だから金を預けたが、君のような小娘に金を預けるなど」

「それに『悪女』の株はねえ」


 誰も手形を渡そうともしない。悪評だけではない、そもそもの信頼自体が低いことが裏目に出た。いくら王女の出資があるとはいえ、ではない。王女が投資しただけの会社に資産を失う可能性のある株に換えるリスクを取りたくないのだ。

 すると、ヴァールが債権者たちの前に出た。


「失礼、私フィオーネ王女の近衛兵にして、ミリアム殿の護衛を務めておりますヴァールと申します。この度の事業については王女陛下もご出資されているものでございます」

「そんなこととっくに知っている」

「ではなぜ陛下は借金があるにもかかわらず、ミリアムの小さな会社に金を投じたのでしょうか」


 その一言に、視線がバラバラだった債権者たちが一斉に腕を組みながらヴァールに視線を向けた。


「借金があっても投資はするだろう」

殿。ですが陛下は高貴な身分であるが、投資家ではない。金貸しはあれど貴殿らとは異なる人種、債権者になることはあれど、債務者となっても金を出す思考は持ち合わせておりませぬ」


 ミリアムにとってこれは盲点ではあった。ミリアムも債権者たちも投資家や商売人としての思考を持っているため多少金が減っても気にしないのだが、金を出した王女は素人。借金が増えるリスクを負うのを素人は嫌うのは普通、それを(ミリアムが勝手にしたことではあるのだが)金貨百五十枚と借金の二割にもなる金を投じたとなれば、かなりの大勝負に出ていることになる。

 ヴァールは襟を正して、債権者たちに向き合うと再び熱弁を振るう。


「ですが、陛下は多少の借金などにうろたえぬお方。今まで貴殿らに陛下は頭をお下げになって支払いを待ってもらうようにおっしゃったことはありますか。陛下は大勝負に出たのです。彼女、ミリアムの経営計画とジョン・フィーネ商会の経営陣を迎える体制を整えている。それを踏まえて株百五十もお買いになられている。これを踏まえて投資家の皆様のご判断いただきたい」


 手を心臓のあたりに置いて、ヴァールは頭を下げた。

 すると債権者の一人が、置いていた目の前の飲み物を口につけて、腕を組んで沈黙を始めた。

 測っている。さっきまで歯牙にもかけなかったのに利益の天秤にかけている。苦痛の時間であるはずのこの時間が、初めて心地よい興奮に変わった。


「いくらまで交換できる?」

「俺も」

「ワシのも、必ず収益上げてくれたまえよ」


 一人が声を上げると、あとは堰を切ったようにほかの債権者たちが手を挙げて、手形の交換を申し出始める。


「ミリアム殿、受け渡しは後でいいかね」

「できれば株の一般販売が始まる前にお願いしたいのですが」

「……困ったなぁ。せっかくの儲け話が」

「どうした。何か不都合があるのか」


 申し出た口ひげを蓄えた債権者は、どこか隠し事をしているように視線を泳がせていた。


「実は、手形は手元に置いてないんだ」

「何? 紛失したというのか」

「売り渡したんだ。借金が本当に返せるか疑問で、損切として貸した金額の九十パーセントで売ってしまったんだ」

「いったい誰にだ」


 口ひげの債権者はヴァールの耳元に囁く。するとヴァール手がぐぎぎと音がなるぐらいに手の肉が食い込む。


「厄介なことをしてくれたな……っ!」

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