第十二話 「地獄への道は善意で舗装されている」 前編






「大蛇、ですか」


「そうだ。身の丈、五間とも六間とも、あるいはそれを超えると言う」



 私とディーは、ユテル師に呼び出された。

 市外の聖騎士拠点を訪れると、怪物退治を依頼された。


 なんでも小さな城を建設している所に大蛇が現れたらしい。

 石工や大工など作業者が襲われた。

 何度も討伐か試みられたがいずれも失敗。

 石工棟梁は、職人集団を連れて現場を放棄した。

 築城が頓挫しかかり、城主になる予定だった下級貴族は困り果てた。

 そこで彼は、縁故を頼り聖騎士団に討伐を依頼した。


「浮世の義理があり、断れなかった。しかし若い兄弟たちには荷が重いのは明らかだ」


 そこで、私達に白羽の矢が立ったという訳だ。


「報酬は、帝国銀貨で三百枚を考えている。どうだろう、我らを助けると思って引き受けて頂けないだろうか?」


「どう思う?」


 私はディーに尋ねた。


「その蛇、毒は持っているの?」


「話に聞く限りでは、無いようだ。獲物に噛みつくと同時に絡み付き、全身を

砕くとか」


 ディーが尋ね、ユテル師が答えた。


「本当に蛇? 手足があったり、頭が二つあったり、翼があったりしない?」


「私もその辺りは裏を取った。少なくとも現場の目撃者たちは蛇だと認識している」


「一当てしてみて、分が悪いと思ったら撤収もしていいかしら。なんだったら、全額成功報酬という形でもいい」


「もちろんだとも」


 ディーとユテル師は、その他にも旅の道中の便宜を図ってもらう事など、細かい条件を詰めた。

 私は余計な口出しをしない。

 話し合いがあらかた済み、彼女の希望で、私達二人で外に出て相談する。

 風に揺れる夏小麦の稲穂の間を縫って歩いた。

 

「やれると思う。一つ、策もある。私たちには、迷宮の外で戦う経験がもっと必要だし、良い機会だと思う」


 ディーは、来たるべき移住を見据えて、そう言った。

 そこで私は、ユテル師に承諾を伝えた。




 私たちは、現地に向かう前に準備を整えた。

 私は、初めて馬を購入した。

 銀貨で二百枚。馬具諸々で三十枚。

 労役用の老いた、小振りな牝馬。

 だいぶ、くたびれていた。

 だがディー曰く、これくらいが私には良いとの事。

 何しろ私は、乗馬の経験がないので、乗り方から学ぶ必要があった。


「馬に乗れない騎士など、聞いた事がない。であったわ」


「すいません、恐縮です……」


 恥を忍んでユテル師に相談したら、乗馬の訓練をして頂ける事になった。

 出発までには、なんとか形にはなりそうだ。



 装備は、板金上着と呼ばれる鎧を準備した。

 これは革や布の上着の内側に板金の小札こざねを縫い付けた物だ。

 私の用意したものは革製で貫頭衣の形をしており、腰帯で留める。

 これの何が良いかというと、あちこち革帯で締める構造上、かなりの余裕があるので、全身板金鎧みたいに"着れない"という事がない。

 それを、五分袖の鎖かたびらの上から着る。

 実はこうやって重ね着をすると、かなり重い。

 全身板金鎧の同部位ぐらいの重さになるし、その割には板金の隙間も多い。

 それでも、一度失敗した身としては、身体に柔軟に適応してくれる方が有り難かった。

 

 腕と足は、煮固めた革の補強革鎧にした。

 内側に鉄の細い短冊が鋲打ちされている。

 籠手は、元の五つ指の装甲手袋に戻す。

 兜も同様に、元の水鉢兜。

 面頬だけ交換して、それは額についた蝶番で開閉する。

 だから拍手面頬と鍛冶屋は呼んでいた。


 武器は、腰に小刀をき、馬の鞍に長剣を吊るした。

 刃渡りは三尺。菱形の断面を持つ、当世風の直線的な刃。

 ソーリンやユテル師が好む、剣の平に溝が入った刃より細身で硬い。


 馬は一頭しか用意しなかったので、ディーと二人乗りする。

 道中の私たちと馬の食料、野営道具、着替えなどを鞍袋に詰め、私の長剣、ディーの杖と槍などを吊るすと、もう一杯だった。

 なので、戦槌は置いていく事にした。


 とある日の早朝に、私たちは市門をくぐり旅に出た。

 まだ日差しが強くなる前、朝のひとときは清涼で気持ちが良かった。



 目的の城まで、十日間の旅程だった。

 最初の六日は街道筋を歩く予定。


 初日だと言うのに、何回も武装した男達に道を塞がれた。

 曰く、この小川からあそこの松林までは俺の土地なので“護衛料”を払えとか、この橋の使用料徴収権を授かっているだとか、金品をせびられる。

 要求されるのはせいぜい銀貨数枚なので、払ってやっても良い。

 だが普通、騎士はこういった通行料を免除されるし、よい金づるだと思わせるのも返って危険だと、ユテル師から助言をもらっている。


「私は騎士だ。聖騎士ユテル師から、旅の便宜を図るよう依頼する書状も預かっている」


 私は馬上から、羊皮紙を取り出して見せる。

 腰にいた小刀に手を添えて、男たちを見た。

 つば広帽兜に槍、綿入り刺し子縫いの胴着の若い男。

 綿入り刺し子縫い胴着の肩から腕にかけて、簡素な鉄片を縫い付け、小刀を携えた背の低い中年。

 膝丈の鎖かたびら、鏝型盾と鼻当て付き兜、幅広の片手剣。体格が良く、落ち着いている。一番、つかいそうだ。


 男達が、私の武装を見る。体格、馬、連れを見る。

 こうなってみると、立派な軍馬や従者も用意しておけばよかったかと思う。

 最終的に男達は、非礼を詫び、にこやかに笑って私たちを通してくれた。

 私は、伏兵を警戒しながら、馬を進めた。

 ディーは私の背中で気配を殺してたが、たぶん竜牙兵の準備をしていたと思う。


「俺はもうずっと歩兵傭兵団と一緒に移動してたから、ああいう地回りの連中の事は忘れてたよ」

 

 私はそう言って嘆息した。


「おばあちゃんだけど、こいつに乗ってきて良かったなぁ」


 私は、親しみを込めて、馬の首筋をこすった


「あ」


 突然、ディーが声を上げた。

 振り返ると、気まずそうな表情をしている。


「なに? どうしたの?」


「ごめん、言っとけば良かった……。この馬、罠の餌にするから、あんまり可愛がらないで」


「ええっ?」





 午後も遅くなってきた頃、村の跡地が見えてきた。

 本来であれば宿の一つもある所だ。

 しかしこのご時世なので村人は逃散してしまい、廃墟となっている。

 

 私は馬を適当な柵につなぎ、鞍袋から、燕麦えんばくが入った麻袋を取り出す。

 綱の届く範囲に、燕麦を巻いてやった。

 村の家々を見ると、荒れ果てているが、未だ屋根が抜け落ちていないような小屋もある。

 誰か住み着いている者がいるかもしれないので、確認しに行こうとする。


「後で、ちゃんと話し合おうって言ったでしょ。いつまでも、へそを曲げてないで」


「……ああ、すまん」


 黙って行こうとしたので、ディーにとがめられ、私は頭をかいた。

 この馬を大蛇に食わせるという話は、あまりいい気分はしない。

 それでも、連れ合いに対して配慮を欠いていいという事にはならない。


「すまん。とりあえず、一回りしてくる」


「うん。気を付けて」



 村を見て回っていると、村はずれに不自然な土の山があるのが見えた。

 近寄っていくと、そばに大きな穴が掘られている様子。

 嫌な予感がしてのぞき込んでみると、数多くの白骨が転がっていた。

 おそらく、流行り病だろう。

 見ると、大人の骨格の傍らに小さな骨格があった。

 見慣れた光景ではある。

 ただ、迷宮の成り立ちを知った今となっては、意味合いが変わって来る。

 その事を、今の今まで考えるのを避けていた。

 そう、気付いてしまった。



 同じような旅路が六日続き、大きな村にたどり着いた。

 ここで一泊して、街道から外れる。

 活気のある村で、人の出入りも多い。

 村の外には結構な大人数の一団が天幕を張って野営している。

 旅籠はたごも、盛況だった。

 私は、旅籠の主人を捕まえた。


「こんにちは。にぎやかな村だな。ここの所、廃村ばかり見て来たので圧倒されるよ」


「まあ生き残ったからには、生きにゃぁなりません。働いて、食って、ガキこさえて……幸い持ち主のいない畑はいくらでもありますからね……」


 答えた宿の主人は、私の装備を見た。


「騎士様かい? お泊りで?」


 私たちは旅籠の主人に、四人分の銀貨を握らせた。

 私とディー、馬、それに心づけの分。

 その甲斐あって、私とディーで一つの寝台を得る事ができた。

 同じ部屋にあと二つ寝台があって、そちらは三人ずつ詰め込まれている。

 装備と服を寝台の下の長持ちに入れ、ディーと一緒に裸で寝具に入る。

 寝具は垢じみてはいたが、シラミはそれほどいない。

 久々に屋根の下で、快適に眠れて良いはずだった。

 しかし、あまり寝つきは良くなかった。



 翌朝、旅籠の主人から食料を買い付けた。

 馬の為の燕麦が思ったよりも高くて驚く。

 次の日から街道を外れる予定なので、道行きの状態も尋ねた。


「お城を作ってた訳ですからね。道はしっかりならされてやすよ」


 そう答えた後、主人は改めて、私の装備を見た。

 少し待って欲しいというのでそうすると、彼は四十絡みの男を一人連れて来た。


 赤と金の布に暗色の毛皮で装飾した贅沢なガウン。

 頭はフードを巻き上げて帽子の形にしている。

 彼は、件の城から避難してきた石工棟梁だと名乗った。

 村の外に野営していたのは、彼の配下の職人集団らしい。


「貴方が、大蛇を退治してくれるという聖騎士様ですか?」


 石工棟梁が、私に尋ねた。


「その代理といった所です」


 私の答えに、石工棟梁は私を上から下まで眺めまわした。


「失礼ですが、貴方が? お一人で? 相手は、怖ろしい魔物ですぞ」


 その声と表情に、落胆の色を感じる。

 馴染み深い嫌な気持ちが、みぞおちに生まれた。


「ご心配なさるな! 魔物退治には精通しております。大蛇ごとき、この剣の錆にしてくれましょう!」


 私は力強く宣言したつもりだが、上滑りした言葉だと自分でも感じる。

 案の定、石工棟梁は不安そうに何か口籠った。


 なんというか最近、一角ひとかどの男になったような勘違いをしていたが、私は未だに、騎士という器に全く馴染めていない。


 気まずくなった私は、石工棟梁にやや強引に別れを告げる。

 旅籠を出て、私たちは目的の城を目指した。







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板金上着。コートオブプレート。

Coat of Plates Part 1 - Early Forms Through the Mid 14th C https://youtu.be/ebiIMLA0L4c

カスパーが着てるのはヴィズビーという所で沢山発掘されたタイプ。

動画の翻訳は最後に。


もうちょっと時代が下るとプレートアーマーの胴体部っぽくなってブリガンダインとか呼ばれたりする。

Coat of Plates Part 2 - Later Forms and Variations

https://youtu.be/1XGS_Slqb_A



拍手面頬。クラップバイザー

https://youtu.be/JYXu8LGddWU?t=471



Coat of Plates Part 1 の機械翻訳


00:00


こんにちは、皆さん、おかえりなさい。私はイアン・ラスピナです。今日は、14 世紀半ばまでのプレートのコートの初期の歴史を見ていきます。やあ、おかえりなさい。そこで今日は、プレートのコートの初期の歴史を見てみましょう。


00:25


14 世紀半ば頃に発展したもので、その後は今後のビデオでさらに高度な例を見ていきます。馴染みのない方のために説明すると、プレートのコートは基本的に胴鎧の一種であり、14 世紀後半以降に見られるような単一の大きな固体の胸当ての代わりに、リベットで留められた一連の小さなプレートが見られます。基礎織物、主に織物に。


00:54


それは実際にその構造を与えています。なぜなら、それは単一の大きな胸当てのように自立していないからです、その構造を提供するために何か他のものが必要です、そして歴史を見る前に。これらの基礎が通常何から作られているかを簡単にメモしておきたいと思います。


01:13


これまでのところ、目録、遺書、生存記録に基づいて、プレート スタイルの鎧のコートの基礎に使用されているのを最も一般的に目にするのは、ある種の織物であり、多くの場合、布製キャンバスのような非常に丈夫な織物です。麻もよく使用され、これがリベットの基礎層を提供し、プレートをリベットで固定します。


01:45


これらの基礎と組み合わせてカバーが使用されることもあります。したがって、プレート自体は、実際の構造を提供する基礎にリベットで固定され、その基礎の上にシルクやベルベットのような派手なカバーが見えるかもしれません。これは、単独で強力な基礎として機能するのに適切または十分ではないかもしれませんが、それでも存在します。鎧の外側からのより派手な外観。


02:13


また、ウィスビーが発見したいくつかのプレートでは、元のリベットの頭の下に革の破片があり、カバーとして使用されている革も見られます。これについて注目すべき興味深い点は、革を示す例のほとんどが、存在していた布地から残された痕跡の例もプレート上に示していることです。


02:38


つまり、生地自体が主要な基礎構造コンポーネントであり、レザーが外側に追加のシェルを提供するカバーとして機能しているようです。『ウィスビーの戦いの鎧』の著者で鎧自体の分析も行ったベングト・ソルデマン博士は、歴史的に革はプレートのコートの唯一の基礎として使用されていた可能性があると主張しています。


03:10


これが行われた場合、ええと...私たちが持っている証拠に基づくと、それは最も頻度の低い方法であったでしょう。なぜなら、革のカバーまたはベルベットまたはシルクのカバーが付いた繊維ベースが最も一般的だったようだからです。構造の進め方。さて、歴史に戻りましょう。プレートのコートは 13 世紀後半に遺書や目録に現れ始めます。


03:43


多くの場合、皿の束または皿のペアのようなものと呼ばれます。そして、それらがほぼ同時に芸術作品に登場するのが見られ始めます。多くの場合、私たちが目にするプレートのコードの最初の視覚的表現はドイツの聖マリー像であり、通常は 1250 年頃のものとされていますが、気づくのはプレートのコートの最も初期の種類の化身です。ウィスビースタイルのプレートコートのような見慣れたものを使用すると、プレートで補強されたフルレングスのサーコートが見られます。


04:21


そのため、フルレングスのサーコートは、13世紀に一般的だった郵便ハーネスの上に着用されることが当時非常に一般的でしたが、今では、彼らが実際にそのサーコートを厳格な防御で強化しているという証拠が見られ始めています。ここで彼が着ているサーコートの前面にリベットの頭のようなものがあるのがわかります。そして、それを後ろから見ると、それがどのように体の側面から背中に巻きつき、バックルで閉じられているかがわかります。後ろ。


04:49


紋章を飾るために、ただの布製の外套をかまどの上に着るよりも、明らかにはるかに実質的です。プレートの初期のコートと一致する他のいくつかの初期の例は、これが特に興味深いものです。別のサーコートのスタイルです。これは、ドイツの修道院にある眠っている衛兵の像で、これも 13 世紀後半のものです。ここでは、衣服の前部のサーコートにリベットで留められた個々のプレートが見られます。


05:32


これは別の[例]です。これも 13 世紀後半のイギリスの彫像の詳細で、郵便物で覆われた腕が見えます。ここでは基本的に脇の下の胸の側面を見ています。つまり、郵便物で覆われた腕があり、次に布製のサーコートのように見えるものがあり、その下には、単に布製のサーコートが着用されているよりも明らかに頑丈なもののバックルとストラップの留め具が見えますが、おそらく初期のものと思われますプレートのペア。


06:09


14 世紀に入ると、上着が強化される代わりに、その構造は基本的に同じですが、全長が腰くらいまで短くなっていることがわかり始めます。したがって、そのフルレングスのサーコートの代わりに、私たちが一般的に考えているウィスビースタイルのプレートコートが見られます。


06:34


14 世紀半ばのアレクサンダーのロマンスの写本のいたるところで同様の表現が見られます。そして、このスタイルについて私が注目する重要なことは、このスタイルが示すシルエットが初期のスタイルに非常に似ており、実際の固体の胸当てで見慣れているような解剖学的形状がまったくないことです。


07:02


したがって、ウエストでカットする代わりに、それは側面に向かって非常にまっすぐであり、これらの最も説得力のある例は、Wisby自体から実際に発見されたものです。そこで、1361 年にヴィスビーの戦いが起こりました。20 世紀初頭に集団墓地が発掘され、プレートの表面のほぼ完全な例がいくつか発見されました。重要なことは、私が他のビデオでも言及し、口うるさく言っていたことですが、戦いの日付は 1361 年に遡りますが、実際に着用されていた鎧は当時としては非常に時代遅れで時代遅れだったので、戦いが行われたにもかかわらず、 1361 年には、


07:48


数十年前のプレートの表面はどのようになっていただろうか。したがって、この地域の 1320 年代、1330 年代、1340 年代の方が、このスタイルのプレート コートの年代測定に適していると考えられます。しかし、例を見ると、コートごとに実際に多くの差異があることがわかるでしょう。ウィスビーで発見されました。縦と横のプレートを組み合わせて配置したものもあります。


08:15


基本的に小さいプレートがいくつかありますが、大きなプレートが少数あります。肩の防御を含むものもあれば、肩の防御を含まないものもあります。より充実したバックディフェンスが含まれている場合も含まれていない場合もあります。非常に多数の非常に小さなプレートで構成された例もあります。


08:38


さまざまなスタイルやバリエーションがありますが、全体的には、プレート コートの初期のスタイルから予想されるような、比較的フラットなシルエットが得られます。そして1340年代頃には、より原始的なプレートのコートから、より成形されたプレートのコートへの移行が見られ始め、最終的には、私たちが見るような典型的な14世紀後半の種類のスズメバチの無駄なプレートのコートになります。次のビデオで見ていきますが、1340 年代に私たちが芸術作品を見始めるのは


09:17


その代わりに、私たちが見ているのは、胸部でウエストがかなりカットされているこのようなフラットなプレゼンテーションであり、以前の例で見たよりもはるかに幅広になっています。これは当時の写本画像と人形の両方に反映されていることがわかります。ドイツ語では、特に保持チェーンと組み合わせて、当時のドイツの彫像のいたるところにあります。


09:45


保持チェーンはプレートのコートの胸部分に取り付けられ、通常は短剣、剣、大兜に取り付けられます。チェーンが4本付いているものもあります。4番目のチェーンがどこで使用されるかはわかりません。2つしか持っていない人もいます。いくつかのバリエーションもありますが、これらのスタイルのプレートのコートのもう 1 つの重要な部分は、広い胸部とその下に形成され始めているより原始的な固体の胸当てを暗示していることです。その形を見てみると


10:20


単なる一連の平らな板が織物にリベットで留められているようには見えませんが、さらに何かが起こっているように見えます。今回の生き残りの 1 つを見ると、まさにそれが起こっていることがわかります。より完全な状態が得られます。ヴィスビースタイルの胸当てよりも、それらの個々のプレートが集まって、よりドーム状でより湾曲した大きな固体の胸当てを形成し、最終的にはより洗練され、実際に真の固体の胸当てと非常に湾曲した固体の胸当てが完成するまで、より洗練されています。 14世紀後半。


11:01


さて、それでは次に、ウィスビー発見のスタイルに基づいた複製の例を見てみましょう。さて、私の目の前にあるのは、ウィズビーのプレートコートのスタイルに基づいた複製の一例です。内部プレートの構成は、Wisby のナンバー 1 に最も似ていることがわかりますが、これには肩の防御が含まれておらず、リベットの頭などのスタイルが異なります。したがって、これは正確な複製ではありません。あの特定のもの、これも革を使用しています


11:42


リベットを取り付けるための基礎としてのレザーシェルには、繊維製の基礎は含まれていません。しかし、使用してみてわかったことは、レザーはそれ自体でかなりうまく機能するようです。ここでご覧のとおり、先ほどお話ししたような基本的なシルエットは、側面が非常に真っ直ぐで、14 世紀後半に見られるような無駄なハチのような外観ではなく、バレルのような印象を与えていることがわかります。


12:15


内側を見ると、側面や胸部に至るまで、それぞれのプレートが湾曲しているのがわかります。それらはすべて曲がっています。それらはシェルの内側にリベットで留められた単なる平らなプレートではないため、プレートは湾曲しているだけでなく、ある程度の形状を持っています。これにより、フィット感が向上するだけでなく、武器をより適切にそらすのに役立ちます。プレートはすべて互いに重なり合うので、ここでわかるのは、胸部が腹部や腰部と同様に胴体部分と重なり、これらの各プレートが互いに重なり合っていることです。それで


12:55


これは 2 つの重要な機能を提供します。まず最も明白なのは、明らかに装甲に大きな隙間が残らないことです。これらのプレートがそれぞれ隣り合ってリベット留めされている場合、特に武器が貫通できる場所に移動すると、隙間が生じ始めます。


13:15


もう 1 つの重要な部分は、これらのプレートのそれぞれが他のプレートを補強しているため、1 つのプレートが叩かれると力が他のプレートにも分散されることです。したがって、このプレートを叩くと、このプレートにも衝撃が加わり、このプレートに力が分散されることになります。


13:38


したがって、鎧の内側で人が感じる実際の衝撃力が軽減されます。これらは個別のプレートであり、完全に硬くないシェルにリベットで固定されているため、ここで何らかの動きが見られることがわかります。したがって、実際のボディアーマー自体にはある程度の柔軟性が得られます。体の側面を保護する装甲の部分に移動すると、側面も重なっていることがわかります。


14:05


胸の部分。そのため、体の周りを包み込み、体の側面を回り、最終的には体の背面まで重なり合った保護が得られます。繰り返しますが、これらのプレートはすべて、形状を容易にするためにわずかに湾曲しています。留め具は、着用すると閉じるとこの部分が体の側面に沿って閉じます。その後、後ろに一連のバックルとストラップがあり、上部に 1 つ、側面に 2 つあります。モデルとこれらは互いにストラップで固定され、上部のバックルは次のようになります。


14:49


それを無秩序にやっているのです。したがって、最初にできることは、頭を内側に入れて背中の部分を体の周りに近づけることです。これを背中に置き、次にこれらが近づくと、ここにストラップが 1 つあり、これがもう一方のプレートに対応し、両側が互いに取り付けられます。これが Wisby スタイルのプレートのコートの機能です。


15:15


これは私の友人のジェームス・バーカーが作ったものです。彼は私よりもはるかに大きい男なので、このプレートのコートは私にはまったくフィットしません。それは私をコートハンガーのように見せます。しかし、実際にどのように機能するのか、戦闘でこのタイプの防弾チョッキを使用するときにどのような動作が期待できるのかを知るために、内部を十分に見ていただければ幸いです。


15:42


いつものように、コメントや質問がある場合は、以下に残してください。私は常に、できる限り多くの質問に回答するよう努めています。このビデオが気に入ったら、高評価をお願いします。まだビデオを共有していない場合は、ぜひ登録してください。Facebook などでフォローしてください。また次回、次のビデオでお会いしましょう。ありがとう。さよなら






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