第十三話 「雨を呼ぶ者」 後編
















 ジュリアーノの邸宅が、見えてきた。

 私とディーの後ろは、見物人が増えてきて、結構な人だかりになっている

 この通りを、逆走するのは難しいかもしれない。

 市門に抜ける小路こみちを算段していると、人々が、声にならない声を上げた。

 見れば、ジュリアーノの邸宅の赤い屋根、切り立った棟の向こう側から、何かが立ち上がった。

 大きい鳥のように見えた。

 異様に頭が大きく、くちばしが長い。

 そいつは、屋根から飛び降りて、大通りに着地した。

 頭の高さが、周囲の三階建ての家ぐらいある。

 羽らしき膜がある前肢まえあしを地について、四つ肢で立った。

 羽毛がなく、土気色の肌をしている。

 そいつが私たちに向けて突進してきても、私は、ぼんやり眺めていた。

 ディーが、私を小路に引っ張り込んだ。

 私たちがいた所を、そいつが走り抜けた。

 人々が、なぎ倒される。

 そいつは地を蹴ると、大きく羽ばたき、空に飛びあがった。

 そこで初めて、人々は悲鳴を上げた。


「なんだ、あれ……」


 足が震えて、力が入らない。

 ディーが、私の頬を張った。


「あいつは怪物、ここは迷宮! あんたが前衛、私が後詰め! いつもと同じ!」


 ディーが、杖の石突きを、路上に叩きつけた

 杖の先の太陽石が、輝きを発する。

 私は、肯いて、小刀を抜いた。




「市門へ!」


 ディーの指示に従い、私は走った。

 遠くで、微かに喧騒が聞こえる。

 街の人々が、路地に出てきている。

 しかし、何が起こったか判らず戸惑っている。

 張り出した建物が、見上げる空を狭くしている。

 飛び立った怪物が、どこに行ったのか分からない。

 やがて、市門に出たが、その前で何かが燃えている。

 肥だめのをぶちまけたような、泥の山。

 それが盛大に炎を上げ、市門が通れなくなっている。

 鼻に刺し込むような、ひどい臭い。

 煙を吸い込んだ人が、咳と涙にまみれて、両膝を付いている。

 悲鳴が上がった。

 人々が空を指さす。

 翼ある怪物が飛んでくるのが見えた。

 怪物は通り沿いの屋根に着地すると、長い首を振った。

 くちばしから吐き出された泥が、辺りに撒き散らされる。

 通りに落ちたそれは、一瞬、間を置いて炎を上げた。

 鳥とも獣ともつかぬ奇怪な鳴き声をあげる怪物。

 奴は、再び飛び去った。

 ディーが、頭巾を脱いで、口元に巻き付けはじめた。

 私も帽子を脱ぎ、同じようにする。


「風上の門から出よう。火と煙に巻かれる」


 私たちは、街中を走り抜けた。

 路地裏からでも、立ち上る煙が幾筋か見えはじめる。

 あちらこちらから、激しく叩かれる鐘の音。

 今や、路上は市民たちであふれていた。

 大八車に荷物を積み込む人。子供捜す母親。

 武器を抜いて走る男。路上でつかみ合いをはじめる連中。


「逃げろ! 逃げろ! 持ち物は捨てろ! 家族を捜すな! 身一つで街から出ろ!」


 ディーが走りながら、叫んだ。

 私も声を合わせたが、人々の喧騒に飲み込まれた。




 北側の市門の近くにたどり着いたが、既にそこも火と煙に包まれていた。

 にも関わらず、市民がそこに殺到している。

 路地は、身動きができないほどの人だかりだ。

 ディーが、私を引っ張った。

 見知らぬ家に勝手に飛び込み、家中を走り抜けて、一つ裏の小路に出る。

 その途端、頭上を黒い影が通り過ぎた。

 建物の反対側で、大勢の人間の絶叫があがった。

 鳥肌が立ち、足がすくんだ。


「まずい。罠が閉じた」


 ディーが舌打ちした。


「どうする?」

「迷宮。地下で、やりすごす」


 私とディーは、逃げ惑う人波に逆らうようにして、街の中心に向かった。




 私とディーは、迷宮の下り口の所で身を潜めていた。

 基部しか作られていない大聖堂は、ほぼ石造りだ。

 周りを取り巻くように広場もある。

 ディーは呪を唱えながら、様々な鳥の羽根を焚火に放り込んでいる。

 街は大火に包まれつつあった。

 大量の煙と大火災が呼んだ雲が、炎の照り返しで真っ赤に染まっている。


「ダメ。蝙蝠こうもりでもない」


 呪を止めて、ディーが嘆いた。

 空が広いここからは、翼ある怪物が悠然と旋回しているのが見えた。


「ディー。人が集まってきた」


 逃げ道を閉ざされた人々が、避難場所を求めて集まりつつあった。


「そうね。そろそろ、迷宮に入った方がいいかも」

「市民たちは、どうなるだろう?」

「……たぶん、広場に入りきらなくなって、迷宮に押し込められる」

「だよなぁ……」


 私は、項垂れた。


「どこかの市門を、破ろう。オレなら、行ける」

「無理。毒の空気で肺をやられる。治るそばから吸い込んで、苦しみ続けるだけ」


 その時、かみなり、雲の間に稲妻が走った。

 熱風が、大通りを吹き抜ける。

 頬を、砂ぼこりが叩いたと思った。

 しかし、周囲の人々が、上を見上げる。

 雨が、降りはじめていた。

 歓声があがる。

 それを打ち消すように、怪鳥が叫んだ。


「日が暮れたら、闇夜に紛れて逃げよう。あいつが鳥目だといいのだけど」


 ディーが言った。


「あの化け物は、何とかならないのか?」

「ならない。私たちだけじゃ、手に負えない」


 私とディーが押し問答をしていると、群衆の誰かが叫んだ。


「見ろ!」


 人々が、指している。

 そちらは、街で唯一の目抜き通りだ。

 大聖堂から南の市門までの中ほどまで続く、五間幅の真っ直ぐな通り。

 雨のとばりの中、騎馬が大聖堂に向かってきている。

 二人乗りの騎馬が、数騎。

 押っ取り刀で駆け付けたのだろう。かぶとや剣、よくて鎖かたびらの胴着をかぶっただけだった。

 彼らの白長上衣は、すすに塗れ、焼け焦げている。

 先頭を駆けるユテル修道士が、空に向かって叫んだ。


「降りて来い! この世界をしろしめす神が、汝の命を奪い、恥多い死を与えるのだ!」


 怪鳥は、一声鳴くと目抜き通りに降り立った。

 あまりの大きさと異形に、人々が悲鳴をあげ、広場から逃げ出す。

 聖騎士の騎馬も、いなないて立ち上がり、乗り手を振り落とした。

 一人、ユテル修道士のみが、巧みに操って馬上にとどまった。

 怪物が、落馬した聖騎士をくちばしで捕まえた。

 首を、左右に振る。

 人間が、人形のように振り回された。

 仲間の聖騎士数人が、剣を抜いて駆け寄る。

 怪物が、再度首を振ると、助けに入った者たちがはじき飛ばされた。

 その後、前肢で獲物を抑えると、三度、首を振った。

 犠牲者の首や手足が、あり得ない方向に曲がる。

 馬上のユテル修道士が、剣を振り上げて駆け寄った。

 怪物が、また首を振る。

 乗騎がなぎ倒されて、ユテル修道士は、路上に投げ出された。

 怪物は、重たげに上を向いて、犠牲者を飲み込もうとする。

 しかし、くちばしの端から犠牲者はこぼれ落ちて、地面に落ちた。

 不意に、隣でディーが、空を切り裂くような甲高い遠吠えを上げた。

 私の犬歯が、伸びる。

 腹の底から、戦意がみなぎった。


「違う、あんたじゃない」


 飛び出そうとする私の襟首を、ディーがつかんだ。

 見れば、怪物のすぐそば、民家の屋根にソーリンが立っていた。








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――








 翼ある怪物のイメージ画像

https://it.wikipedia.org/wiki/Quetzalcoatlus#/media/File:Quetzalcoatlus_by_johnson_mortimer-d9n2d3a.jpg

https://www.vanillamagazine.it/wp-content/uploads/2018/02/Quetzalcoatlus-2.jpg

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/102400008/














  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る