第十話 「空の終わり」 後編
数日後。
結局、私は、ジュリアーノを訪ねた。
いつもの豪華な私室で、マリオンから譲られた品々を見せる。
「いまさら言うのも何だけど。オレたちが偽物を持ち込んでるとは考えないのか? これなんか、そこら辺の牛の角をへし折ってきても、見分けがつかないと思うんだけど」
私は、牛頭人身の角を指して、ジュリアーノに尋ねた。
「そこは長年の信用というやつですね。まあ、取引先相手にも、もちろん私にも、多少はそういった方面に心得のある者がおりますので」
そんな風に、商人は答えた。
私は、出された
「そう言えば、例の木彫り人形は売れたのかい?」
ふと思いついて、鎌をかけるつもりで、尋ねた。
しかしジュリアーノは、薄ら笑いをうかべた。
「ああ……。では知っているのですね?」
予想もしてなかった反応だった。
「どこまでお察しか存じませんが、私が迷宮に戻したんですよ」
商人は、そういう風に私に言った。
私は、動転した。
ジュリアーノは、私程度に知られても何の問題もないのだ。
発言力が、違う。
社会的、あるいは物理的に私を片付けるのも容易だろう。
なのに、私が知っている事を相手が知らない、という唯一の有利を自ら捨ててしまった。
私は、自分が馬鹿なのを忘れていた。
何が、鎌をかける、だ。そんな腹芸ができる訳がない。
「で、何かご質問は?」
無言になった私の顔を、ジュリアーノは、のぞき込んだ。
「……この迷宮は、お前が作ったのか?」
私は、やけくそになって尋ねた。
「最初の投資をしたのは、公爵でしたよ。私は助言をしただけです」
「公爵は、どこに行った?」
「今はもう、迷宮のどこかで怪物の一部になっています」
私は、腹痛を感じた。この場から逃げ出したい。
「流行り病と飢きんも、お前のせいなのか?」
「それは過大評価ですよ。黒死病に関しては、以前から何度も大流行を起こしてます。凶作については、ここ数年来、夏場に長雨が続いているのが原因です。現在の耕作方法は、深く土を掘り起こすので、雨が続くと容易く沼地になる。またその際、腐敗したわらや干し草を家畜が食べてしまうのも、疫病の一因になってますね」
ジュリアーノは、手酌で杯に葡萄酒を注いだ。
「ねえ、カスパーさん。ちょっと想像してみましょうよ。この迷宮が無くなったら、どうなるのか」
商人は、猫なで声を出した。
「ソーリン殿は、どうでしょうか? 彼は土地を開墾し、羊を飼い、漁をして大勢の人間を養わなければならない。気候の厳しいかの地で、毎年、それができるのでしょうか? いや、できないから出稼ぎに来ている。彼は戦士に戻らなければならないでしょう」
飢えた妻子を見かねて、武器を取る彼の姿を想像した。
「戦う相手は、違う首長に仕える同胞でしょうか。あるいは、他の地方に略奪行に出るかもしれない。西方の島国では、彼らに退去してもらう為に、毎年大金を貢ぐそうです。彼らは奪い、殺し、犯し、その地方を荒廃させる」
あの誇り高い若者が、そのような事をする所は想像できない。
できないだけに、怖ろしい話だった。
「ユテル修道士は、どうでしょうか? 長年焦がれた聖戦を奪われ、同様にそれを奪われた若い修道士を大勢抱えた彼は? それに、ご存知ですか? 彼ら聖騎士はかつて東方で、大虐殺を繰り返しています。聖地が非戦闘員の血に沈んだ、と言われた事もあるそうです。私はね、彼が密かにこれを、その
明言された事はない。
だが確かに、そう感じた事はある。
「マリオン殿は? 父君の領地を継ぐ彼には、問題ないかもしれませんね。彼は必要なら、領民や他の貴族から、いくらでも奪う事できる」
私は、開いた膝に両肘を付き、考えた。
彼も貴族だ。そういう事もあるだろう。
だが、迷宮があれば、それをしなくても済むかもしれない。
ジュリアーノは、一息入れて、杯をあおった。
「我々は、他の生き物の命を奪わないと生きていけない。そういう
運悪く、彼らの望みはかないませんでした。しかし、彼らの賭け金が成功者に渡る事は、正当な取引ではないでしょうか」
我知らず、私は首を振った。
ジュリアーノは席を立つと、黒い長机を回り込んできた。
項(うな)垂れる私の肩に、彼は手を置いた。
「カスパーさん、私はあなたを、面白いと思っている。歩兵傭兵でありながら、北方人の女を奥方に持ち、聖騎士と誼(よしみ)を通じ、またついには騎士の位まで得た。あなたは、とてもちぐはぐだ」
彼は、腰を屈(かが)めて、私の顔をのぞき込んだ。
「でも、それだけではない。あなた、何か混じってるでしょう? 狼か、熊かな?」
私は、何も答えなかった。
ジュリア―ノは、笑みを浮かべ、舌先で唇を湿らせた。
「あなたのような人間には、どこにも居場所がない。吹き溜まりのような歩兵傭兵団に流れ着いてさえ、あなたは馴染めなかったはずだ」
私は、彼を見た。
彼は、真摯な顔で私を見返した。
「私に協力しなさい。なに、今まで通りにしてくれていい。あなたが成功した姿を市民に見せればいい。それだけで、迷宮への志願者は増える。
私は膨大な富を蓄えつつある。私は、既知の世界の半分は手に入れるだろう。それこそ、耕作の仕方を改善したり、流行り病に対抗できるようになる。
その事績にあなたも加われ。
あなたを無視した世界に、あなたの足跡を残すんだ」
ジュリアーノが私の肩を握る指に、力が入った。
私は、それを振り払って、立ち上がる。
立ち上がるが、しかし私は、その場を動かなかった。
「……その、なんだ。今日は、連れが一人いるんだ。良かったら、会ってやってくれないか?」
私は、強引に話題を変えた。
「ええ、いいですよ」
ジュリアーノは、にこやかに答えた。
控えの間に通されていたディーが、小姓に案内されてきた。
ディーが頭巾を脱ぐと、ジュリアーノは驚きの表情を見せた。
「おお! まさかカスパーさんの相棒が女性とは……驚きました」
「彼女は、ヴィグディース。ソーリンの叔母で、槍の達人です」
私は、そう紹介した。
ジュリアーノの表情筋から、力が抜けた。
「"火吹山の魔女"?」
「そんな風に呼ばれてた時もあるね」
ディーが、肩をすくめる。
商人は、すぐに笑顔を取り繕い直した。
「"勇者"ソーローブ殿とソーリン殿、親子二代に渡る活躍を支えたと聞き及んでおりますが、まさかお目にかかる事があろうとは。驚きました」
ジュリアーノは、片足を下げて膝を曲げ、目礼しようとする。
しかし彼は、釣り合いを失って一瞬よろめいた。
「いやいや失礼。あまりのお美しさに驚いた私の胸が、ひどく動揺しておりまして」
商人は世辞を並べたが、どうにも上滑り気味だった。
その日の晩。
寝床に入った私たちは、ジュリアーノについて話をした。
「あいつは、マズい」
ディーは、そんな風にジュリアーノを評した。
「あれは、たぶん人間じゃない。あんなのが、この街で最大の権力者だなんて、ゾっとする」
「そうか」
「何か、言われたんでしょ?」
彼女は、私の二の腕に頭を乗せた。
「実は、口を滑らせたんだ。オレが迷宮の成り立ちを疑ってるのが、バレてしまった」
「オーウ」
彼女は、目に手を当てて、大仰に
「あいつは、自分が迷宮を作ったと認めた。流行り病と飢饉に関しては関係ないと否定したけど」
「それは、うそだね。あの渦の大きさと流れの速さは、そういう天災を起こす為に使ってるんじゃなければ説明できない」
"火吹山の魔女"は、断言した。
「……奴は、オレに協力しろと言った。あいついわく、オレはちぐはぐなんだそうだ。オレを無視した世界に仕返しをしろ、みたいな事を言われた」
「そんな
ディーが、足を絡めてきて、頬を私の胸に乗せた。
「ねえ。ここは、もう駄目だと思う。二人で逃げましょう。ソーリンの農場に行くの。寒いし不便だけど、美しい所よ」
彼女は、静かな声でささやいた。
「それが、いいかもしれないな」
私は、彼女を抱き寄せた。
翌朝。
腕の中のディーが動き出して、目を覚ました。
寝ぼけまなこで見やると、彼女は
壁に四角く切り取られた、青い空。
室内に差し込む、春の陽光。
亜麻の肌着だけ羽織ったディー。
不意に、死ぬ間際に思い出す風景の一つがこれだと悟った。
あと何年後かは分からない。
しかし、この記憶は、死にゆく私を慰めるだろう。
そう思った。
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