第三話 「火吹山の魔女」 前編
私は、目を覚ました。
"ノルド"の小屋だった。
わらが敷かれた寝床に横たわらされていた。
毛布も、何枚も
にも関わらず、寒さを感じる。
目が、頭の後ろの高い所にあるような違和感。
身体が、骨よりも細く、棒か糸のようになってしまったように感じる。
私が目覚めた事に気付いた"竜殺し"の若者が、枕元に歩み寄ってきた。
「気が付いたか?」
ソーリンが、私に静かな声をかけてきた。
私は応じたが、蚊の鳴くような声しか出ない。
若者は肯いて、何とか声を出そうとする私を制した。
「あなたは、血を失いすぎた。おそらく、今夜が峠だ」
彼は、
そうだろうと思う。
今ですら、生きている気がしない。
ソーリンは、無言になった私をしばらく見ていた。
「こういった傷を癒やす方法を、俺たちは一つ持っている。それは、ありていに言って、俺たちに伝わる呪術だ。もし、それを望まないなら、あなたが旅立つまで安らかに過ごせるように努力するつもりだ」
彼は、そう言って、私を見た。
「どうする? 決めるのは、あなただ」
彼は、尋ねた。
「やってくれ」
私は、答えた。
"竜殺し"の姿が見えなくなった。
代わりに、その叔母が小屋の中にいた。
黒衣の中年女が、何かの草を囲炉裏にくべる。
室内に、甘い匂いが広がる。
ヴィグディースは、木製の糸巻き棒を手に取る。
彼女は、囲炉裏の周りを回るように踊りはじめた。
踊りながら、歌を歌う。
深く響くような低音から始まったそれは、徐々に早く、高くなる。
やがて、天を切り裂くような叫びが、何度も繰り返された。
元よりもうろうとしていた私だが、この辺りより、更に記憶が
それが私の見た夢なのか、現実に起こった事なのか、はっきりしない。
囲炉裏の炎は、異様に高く燃え上がった。
深紅の舌が、天井を舐める。
女は、衣服を素手で引き裂いた。
裸で、炎の周りを飛び跳ねた。
無数の黒い影が、小屋の中で踊り狂っていた。
影には、尻尾が、爪が、牙があった
そして黒い狼が、圧し掛かってきた。
巨大な肉色の口腔が、私を丸呑みにした。
目が覚めた。
開け放たれた扉から、陽の光が小屋に差し込んでいる。
天井から吊られた鉄鍋から香る、煮物の匂い。
細い白煙をあげる囲炉裏。
「ソーリン」
私は声をかけた。
声を出してみて、身体が汗ばんでいる事に気付いた。
布団から腕を出すと、冷たい空気が心地よい。
彼は、鍋から木皿に移した煮物を持ってきてくれる。
「食べられるか?」
木のさじで、それをすすった。
一口ごとに、暖かみが腹に広がっていく気がする。
気付けば、小屋の反対側の長椅子に、黒衣の女がいた。
ひどくやつれていて、一瞬知らない老婆のように見えた。
「ヴィグディースさん」
何かを言おうとして、何を言うべきか迷った。
彼女は、私をちらっと見ると、立ち上がって小屋を出て行った。
私は、それを見送った。
彼女の甥に何かを問おうと、口を開いた。
だが、彼は、私を制するように、掌をこちらに向けた。
「あなたが何を見たか、俺は知らない。尋ねたい事は、沢山あると思う。だがそれは、時と場所を選ぶべき繊細な話題なんだ」
ソーリンは、そう言った。
私は、肯いてみせた。
三日後には、私は、寝床から起き上がれるようになった。
十日もすると、縫われた傷口は綺麗にふさがった
うみ汁が、出る事もなかった。
私は、傷が腐って死んでいった傭兵を、大勢見てきた。
これは、本当にありがたい。
精一杯の感謝の気持ちとして、私の給与の半分を毎月渡したいと、ソーリンに申し出た。
若者は、つまらなそうな顔をした。
彼は、自分の
「これは俺が殺した竜の牙だ。この街の商人が銀貨二千枚で買い取りたいと言ったが、断った」
他にも、竜の革の外套、その革を張った円盾、宝石が散りばめられた鎖かたびらなどを見せてくる。
最後には、剣を抜いて刀身に刻まれた文字を見せた。
「この剣は"インゲルリ"と呼ばれる。はるか東国で、鍛えられる物らしい。親父の代から使われ続けたのに、折れも曲がりもせず、そして竜のうろこを切り裂いた。この剣を持っている奴は、俺たちの首長連中にも滅多にいない」
私は恥じ入って、詫びを入れた。
彼は、さらりと謝罪を受け入れた。
「それより、深層で何があったんだ? 教えてくれ」
彼は、尋ねた。
どうやら、ノルドの男たちが迷宮に潜ろうとして、倒れていた私を見つけてくれたらしい。
青銅の鍵も見張り番から奪い返して、ここに運び込んでくれたそうだ。
"竜殺し"は、その前の事を、知りたがった。
私があらかた話を終えると、彼は、腕組みして天を仰いだ。
両目を閉じて、考え込んでいる。
「……まず。まず、昇降機の話だな」
しばらくして、彼は口を開いた。
「昇降機は必ずしも同じ所に辿り着かない。"青銅の鍵"を使って着く所は三カ所。一番右端の操作棒を引くと四つ
これらの場所は、直接は繋がっていないが、階段で行き来できる。それで便宜上、"層"と呼ばれている。右端の把手から、"青銅の一層""青銅の二層""青銅の三層"と言った具合だ。
ただ、階段はどこも昇降機から離れた所にある。層にもよるが、一日ぐらいは歩かないと階段には着かないので、普段は滅多に使わない」
「他にも鍵はある。"
「それから、猪男の牙を持って帰れば、商人が銀貨百枚で買い上げてくれる」
そんな物に高値が付く事が、ふに落ちない。
「貴族やなんかが厄除けに求めたりするらしい。それから、ある種の魔術にも使う事があるとか。ここの商人は、あちこちの国を股にかける豪商だから、そういうのに
「最後に。猪男や骸骨戦士は、迷宮の奥では、たやすい方の怪物だ。それに遅れをとるようでは……あなたは深層潜りに向いていない」
ソーリンは、言い辛そうだった。
「……。なあ、ソーリン。迷惑かけついでにお願いがあるんだが、少しオレを鍛えてくれない?」
しばしの沈黙の後、私は尋ねた。
「いや、あなたには、見込みがない」
彼は、答えた。
「なあ、頼むよ。何も、ひとかどの戦士にしてくれとは言っちゃいない。迷宮で小銭を稼げるぐらいの立ち回りができればいいんだ」
「そういう
若者は腹を立てたようで、私をにらんだ。
私は、竜殺しの若者の後を勝手に追いかけて走った。
彼は、私を無視して速度を上げる。
次第に引き離され、最後には歩くようにして居留地に戻った。
既に彼は、市壁を素手でよじ登っていた。
三階建てほどの高さのそれを、彼が十往復する間に、私は一往復した。
彼は、薪を割り、大きな岩を持ち上げて運び、木の枝に差し渡したはしごにぶら下がり、腕だけで移動する。
午前の早い時間に、彼は驚くほど大量の食事を平らげ、昼寝をする。
たっぷりと寝た後に起き出すと、日が暮れるまで居留地の大工仕事を手伝った。
木を切り倒し、運び、斧で板を削り出す。
それが済むと、また夕飯をたらふく食べる。
私は疲れ果てて食欲がなかったが、意地になって腹に詰め込んだ。
「ずいぶん、タフなんだな。あの傷の後で……」
ソーリンは、不思議そうに言った。
彼の叔母も、私の顔を見ている。
私は、肩をすくめた。
体力の回復が順調なのは、悪い事ではないだろう。
「ヴィグディースさん、おかわり下さい」
木の椀を差し出した。
彼女が戸惑いがちに返してきた椀を受け取り、麦粥をかき込んだ。
ちょっと時代が違うけど、騎士が行ってた鍛錬を再現した動画だそうです。
https://youtu.be/q-bnM5SuQkI
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます