第二話 「死にゆく者への祈りは無い」 後編













 翌朝。

 目覚めてみれば、私は寝床で毛布にくるまっていた。

 まだいびきをかいている男たちが、何人かいた。

 目をこすりながら小屋の外に出る。

 早朝の冷たい空気の中で、ソーリンが両手斧を振るっていた。

 型のような動きを、ゆっくりと行っている。

 武術の事はよく判らないが、滑らかで美しい動きだと思った。

 見ていると、斧頭で引っ掛けて、そのまま突く動作に移る仕草が時々入る。


「それ、昨日、深層でやられたよ。おかげでこの様だよ」


 声をかけて、私は、前歯の抜けた歯並びをむき出して見せた。


「俺たち"ノルド"の男がよく使う手なんだ」


 ソーリンは笑って、そう言った。


「円盾の守りをこじ開ける時なんかに、重宝する」


 彼は円盾を私に持たせて、軽く実演して見せてくれる。

 なるほど、と思った。

 中心についた把手を握っただけで保持しているので、端の方に力がかかると弱いようだ。


「ほかにこんなやり方もある」


 彼が、円盾の端を、斧の握りの方ので突いた。

 握りが滑って、円盾がパタンと縦に開いてしまう。

 守りが開いた所に、返した斧頭がスッと滑り込んでくる。


「おお。すげぇな」


 手品のように守りを崩されて、私は感心した。


「だから盾は、真正面を向けるんじゃなくて、斜めにして構えるんだ。盾の壁を作る時は話が別だが……」


 彼も、興がのってきたようで、あれこれと話が続いた。

 そんな風にしていると、小屋に中年の女がやってきた。

 足首まで長さのある、亜麻あまの女性用長衣。

 肩かけを飾り細工で留めた、短めの毛織の前掛け。

 頭には、ほっかむり。

 全体に色合いは灰色か黒で、不機嫌そうな顔をした女だった。

 女が小屋に入ると、ののしる声が聞こえてきた。

 やがて、寝坊助ねぼすけの男どもが追い出されてくる。


「叔母のヴィグディースだ。彼女に、傷を見てもらおう」


 小屋の方に戻りながら、ソーリンは言った。




 黒衣の中年女は、まず私の傷を清めた。

 更に、粘つく何かを塗り込んだ。


「これ、何だい?」

「羊の脂に薬草を練り込んだ物。あとで分けるから、日に一度塗ったらいい」


 尋ねると、彼女はそう答えた。

 それから私の胴着を脱がせると、寝床にうつ伏せに寝かせ、湯に浸した手拭いを肩から背中にかけた。

 痩せぎすに見えて、意外に力強い手で、丁寧に背中を揉みほぐしてくれる。

 終わってみれば、肩がとても楽になった。


「どうだい、上手いもんだろう? 親父も俺も、彼女には助けられた」


 ソーリンが言った。


「おべんちゃらは結構」


 彼の叔母は鼻で笑ったが、片方の口角を上げていた。

 甥の仕草によく似ている。

 私は、身体だけでなく、心持ちまで楽になった気がしていた。

 暖かく歓待され、面倒を見てもらう。

 すると、人はこうなるのだと、初めて腹落ちした。


「ありがとう。本当に楽になったよ」


 彼女の眼を見て、気持ちを込めて礼を言った。


「まあ、養生してね」


 彼女は、私にも口角を上げて笑みを見せた。




 その日の晩、円盾の持ち主の葬儀が行われた。

 私が持ち帰った円盾が、四角く組み上げられた薪の上で燃やされる。

 "ノルド"の男女が、それを見守った。

 私はふと思い立ち、巾着袋から自分の前歯を取り出して、火に投げ入れた。


「何を投げたの?」


 ヴィグディースが、私に尋ねた。


「オレの前歯。彼のは折ってしまったんで、差し歯にでもしてもらったらいいんじゃないかと」


 私は、そう答えた。

 中年女は、吹き出した。


「あんた、彼に歯を折られたんでしょ?」

「まあ、それはそれとして。オレは色々もらったんで、お返しはしたいなと」


 炎に視線を戻して答えた。


「ふうん」


 横から、つまらそうな彼女の声が聞こえた。




 結局、ノルドの居留地に三日ほど厄介になった後、いとまを告げた。


「もっと、ゆっくりしていけばいい」


 ソーリンはそう言ってくれたが、遠慮する。


「まあ、別にどこか遠くへ行く訳でもなし。また顔を出すよ」


 私はそう言って、居留地を後にした。




 私は、街の屋台で、いくつか買い物をした。

 まず、松明たいまつ

 松脂まつやにを含ませた布切れを巻き付けた木切れ。

 五本で銅貨三十枚。

 蝋版ろうばん

 これは枠をつけた小さな板に蝋を流し込んだ物で、蝋を引っ掻いて書き付けをするのに使う。

 銀貨二枚。

 革の水袋。

 これは銅貨二十五枚だったが、まけさせて葡萄酒ぶどうしゅを詰めてもらった。

 それから、亜麻の古い風呂敷を、三尺四方さんしゃくしほうほど買った。

 これに松明と水袋を包み、対角に丸める。

 細長い包みになったそれを、はすかいに背負って、胸の前で結び合わせる。

 これは値切りに値切って銅貨五十枚。

 お宝が見つかれば運ばないといけないし、松明と短剣を持つ以上、両手は空けておきたい。

 痛い出費だったが、必要な経費だ。

 残金は、銅貨九枚。

 武器と言えるものは、私たち歩兵傭兵が"喧嘩刀けんかがたな"と呼ぶ短剣のみ。

 一尺七寸ほどの刃渡りの、両刃の直剣。

 S字に曲がった十字鍔じゅうじつばがついている。

 刃は、だいぶなまっている。

 二カ所ほど、大きく欠けてもいる。

 こんなものでも、買えば銀貨百五十枚は下らない。

 今は我慢するしかない。

 野営地に自分の槍があったが、片手では扱えない。

 それに、どうせ今頃は、分隊の連中に売りさばかれている。


 


 大聖堂の見張り番は、私の事を伝え聞いていたらしい。

 彼は、無言で私を通した。

 地下に降りた私は、例によって裏道を抜けけ、昇降機に辿り着く。

 鉄籠の操作装置に、青銅の鍵を差し込んでみた。

 何も起こらない。

 前回と同じように、三本ある操作棒の右端の一本を引いてみた。

 きしみながら、鉄籠が下がり始めた。

 降下している時間は、長いようにも短いようにも思えた。

 鉄籠が辿り着いたのは、二間幅の通路が交わる四つつじだった。

 私は当惑する。

 前回降りた所は、通路の行き止まりだったからだ。


「考えていても、仕方ないか」


 青銅の鍵を操作装置から抜いて、巾着袋にしまう。

 それから松明を掲げて、迷宮の探索を始めた。




 左手に松明、右手に短剣を構え、私は恐る恐る通路を進んだ。

 曲がり角や別れ道は、蝋板になるべく書き記す。

 ある程度行ったら、鉄籠のある四つ辻まで引き返し、別の道を行った。

 前回はすぐに骸骨兵士に遭遇したが、今回は何にも出会わない。

 かなりの距離を歩いた気がするが、松明の減りを見る限り、さほど時間は経っていない。

 空気が、息苦しい。

 再び胸の発作が起きるのではないかと、不安が頭をよぎる。

 私は風呂敷包みをほどき、薄く酸っぱい葡萄酒で喉を潤した。




 松明の灯火の届くところに、そいつが入ってくるまで、私はまるで気付かなかった。

 猪の面をかぶった、裸の男。

 長さ一間ほどの短槍を構えている。

 いや違う、面ではなく、頭が猪そのものだった。

 その異形におののいている間に、そいつは、槍で突いてきた。

 半身はんみになり、松明でさばこうとする。

 だが、そんな技量は私には無かった。

 顔を突かれそうになり、のけぞる。

 素早く槍が引かれ、今度は、後ろ足の内股うちももに突き込まれた。

 さほど痛くない。浅い。

 とっさに松明を手放し、槍の柄を握る。

 追撃しようとする槍を、左手一本でなんとか反らした。

 を手繰り寄せながら、一気に間合いを詰める。

 左腕で抱きかかえるようにして、右手の短剣で猪男の腹を刺した。

 獣の悲鳴を上げて、猪男の動きが止まる。

 何度も、刺し直した。

 内股に激しい痛みを感じて、体勢を崩した。

 しかし、猪男も一緒に倒れた。

 慌てて組み敷こうとして男に抱きつく。

 もう、異形の怪物は息絶えていた。




 私は、猪男の身体の上から転がって身を離す。

 内股の傷を確かめた。

 羊毛織の長靴下が裂けて、周りが血に染まっている。

 胴着の袖を切り取って、大股ふとももをきつく縛った。

 今度もまた、激しい呼吸が収まるまで時間がかかる。

 それから、猪男の死体を改めた。

 槍は、割った黒い石を木の棒にくくりつけただけの物だった。

 歩兵傭兵が使う槍はもっと洗練されている。

 穂先は二尺ほどの角錐かくきりで、手元を守る丸いつばも備えている。

 見慣れたそれに比べ、あまりに粗末なので、売り物になるとは思えなかった。

 腹からはみ出した腸の臭いがひどい。

 それに耐えながら、怪物の身体を探る。

 他に持ち物は何もない。

 ため息が、漏れた。

 ふと気付くと、右の長靴下が、足元まで全てどす黒く染まっていた。

 猪男の血溜まりに膝を付けてしまったのかと思った。

 しかし、それは、私の流した血だった。

 意識した途端に、鈍い痛みが襲ってくる。 

 猪男の槍にすがって、立ち上がると激しい目まいがした。

 我知らず、唇が震えた。




 帰路は、何度も気を失った。

 目覚めては進む事を、繰り返した。

 昇降機で地層に上がった後、抜け道を使う余裕もなかった。

 やむを得ず、最短の主通路を進んだ。

 狼や猿に遭遇したら、一巻の終わりだったはずだ。

 最後は、階段を文字通り這い登り、そこで動けなくなった。

 地上の見張り番は、私を見て、驚いた。

 やがて、私の身体をまさぐり始めた。

 私の巾着袋から青銅の鍵を取り出して、嫌な笑みを浮かべる見張り番。

 それが、覚えている最後の光景だった。













斧での円盾引っ掛けのイメージ動画です

https://youtu.be/FSLzd74GIko

https://youtu.be/mcakPZdUhFg?t=34

(Youtubeの動画です)

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