後編

「さて、嫌がらせも済んだことだ。宿舎へ戻ろうか」

「了解であります」


 スッキリとした笑顔を見せる穗村の指示に、カミツは死んだ魚の目を細めて答えた。


 下士官用宿舎へ向かって、節電のために薄暗い廊下を歩いていると、顔以外は全体的に真っ黒い2人とすれ違う夜警の兵士に、幽霊でも見たような顔で頻繁に二度見された。


「……む。面を着けていないのだが、そんなに恐ろしく見えるのだろうか」


 狐のような面はわざとやっている節があるが、素顔でもされる事に対して穗村はやや傷心気味に眉をしかめる。


「いえ、恐らく自分を見てかと」

「よし、じゃあカミツ君を前にしてみようじゃないか」

「了解であります」


 そこで、試しに隊列の前後を変えてみると、


「うわあ! 出たッ!」

「まてまて、こりゃただの機巧兵だ」


 カミツを一瞬、完全に幽霊と認識した兵士が腰を抜かしてしまった。


「ふふ。指揮官殿の思った通りでありますな」

「それはまあ良いとしてだ。……私は君が幽霊扱いは多少複雑なのだが」

「で、ありますか? 幽霊のようにつかみ所のない方が、自分としては指揮官殿をお護りするには好都合だと思うのでありますが」

「うっかり成仏されては困るのだよカミツ君」

「なるほど」


 自身の外套の裾を掴む穗村の手を見て、カミツはフッと笑うとその手を包む様に握る。


「見られてしまうのでありますよ指揮官殿」

「おっと。どうやら私も流石にこの度の一件は堪えているようだ」


 カミツがそう言いながら手を離すと、不本意そうに穗村はそう言って口を曲げつつ腕を組んだ。


「さあて、面倒だが書類を片づけねばな……」

「書類でしたら、あらかた片づけておいた、との事であります」

「や。私の部下は皆、優秀で助かるな」

「でありますから、このところロクに寝ていらっしゃらない指揮官殿は、ゆるりと休まれて欲しいのであります。――失礼」

「下ろしなさいカミツ君っ。私は自分で歩けるぞ」

「そのご指示は拒否するのであります」


 穗村の足が疲労で微かに震えている様子をセンサーで検知していたカミツは、ひょいと穗村を横抱きにすると、有無を言わさずあてがわれている部屋へ連れて行った。


 2段ベッドが左右に並ぶ、本来4人用の部屋へと入ると、穗村はカミツに着替えから入浴まで全部世話されて、ドライヤーで全くクセのない肩に掛かる黒髪を乾かされていた。


「融通が利くように指導はしたがね、そういう効かせ方はどうかと思うぞ私は」


 嫌がってはおらずカミツの好きにやらせているものの、不本意ではあった穗村は渋い顔でほんのり抗議する。


「自分には、指揮官殿は体力の限界がきている、という様に見えたものでありまして」

「いやあ、実際体裁を保って歩くだけで精一杯ではあったけどね? 君の前で保つ必要はないとはいえ、赤子の様に扱われるのは流石にこう……」

「お嫌でありましたか?」

「嫌とは言っていないんだが……。なんというかこう……、わからないかね?」

「はて」

「主人を困らせるんじゃない。意地悪め」


 櫛を入れつつニヤニヤ笑ってすっとぼけるカミツを、穗村は横目で見上げて口を尖らせる。


 低温でじっくり時間をかけて、穗村の髪を乾かしたカミツが、


「指揮官殿――」

「何と言われても、流石に歯磨きは自分でやるからな!」


 歯ブラシと歯磨き粉、水の入ったコップにガーグルベースンを持ってきたため、流石に断固拒否して自分で磨いた。


「私を何だと思っているのだね君は」

「流石に行き過ぎでありました。反省であります」


 二段ベッドの下の段で、ワイシャツ姿で寝そべる穗村は、傍らで怒られて申し訳なさげに頭を下げるカミツへ、ムスッとした顔をして文句を垂れる。


 全く、と言って、一通りの小言を締めた穗村は、肺にある空気をすべて出さんとばかりに深くため息を吐いた。


「――やっと、心が安まったでありますか。指揮官殿」

「ああ。……疲れたなんてものじゃないね」


 張り詰めていたものが切れた途端、穗村は襲ってきた眠気を無抵抗で受け入れ、それを察知したカミツが生気の無い目を穏やかに細めて穗村へ毛布をかけた。


「カミツ君……。私が眠るまで、手を触っていてくれないだろうか……」

「お安いご用であります」


 カミツはそう言ってひざまずくと、毛布の中から伸ばされた、軍人の物としては小さく見える穗村の手に自らの手を差し出す。


 手袋状に特殊ゴム製人工皮膚が覆っていて、加温機能によって温かさを感じるが、機械的な硬さやゴツゴツした感触は隠し切れていない。


「もう少し、温もりのあるものなら良かったのでありますが」

「いいや。これでいい……。私を絶対に護ってくれる……、そう心の底から思える、頼もしい手だ……」

「で、ありますか」


 両手で確かめるように触る穗村は、睡魔と不安が合わさった、消え入りそうでなんとも不安げな声色でそう言う。


「指揮官殿。かつてあなたは、人類は生き残れるか、と自分に問われましたが、今なら答えられるであります。可能であると。あなたと自分がいれば必ず」


 気休めではない事を示す、真っ直ぐな目で見てくる確かなカミツの物言いに、


「君がそう言うと、なんとも心強いな……」


 いつも穗村の眠りを妨げる不安がバラバラに解け、彼女は深い眠りへと誘われていった。


「その日まで、きっとあなたをお護りするであります」


 実に久しぶりの穏やかな寝顔の穗村を見つめるカミツは、祈る様にその手をとった自身の手を額に付けて続ける。


「――この人ならざる身、砕け散って朽ちるまで」

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“機巧兵”カミツの忠誠 赤魂緋鯉 @Red_Soul031

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