春季/夜桜くらは への簡単な感想

 応募作品について、主催者フィンディルから簡単な感想を置いています。全ての作品に必ず感想を書くというわけではありませんのでご注意ください。

 指摘については基本的に「作者の宣言方角と、フィンディルの解釈方角の違い」を軸に書くつもりです。

 そんなに深い内容ではないので、軽い気持ちで受け止めてくださればと思います。


 またネタバレへの配慮はしていませんのでご了承ください。




春季/夜桜くらは

https://kakuyomu.jp/works/16817330654556593598


フィンディルの解釈では、本作の方角は北西です。

ただ方角の判断が難しい作品だと思います。


まず、南半球ではないだろうと判断しています。

理由としては、春そのものを描いているわけではなく“春を感じる「私」”を描いていて、かつ内容が微睡んでいるだけで文章そのものは意識清明であるから。

本作が何一つの意思の混ざらない「春」だと、南らしさもあったと思います。「春に対して人が抱く心情」を描くことを試みるのか「春という概念が備え持つ感覚」を描くことを試みるのか。後者だと南的なのですが、前者だと南らしさは相対的に落ちるだろうと考えます。たとえば「木でできたおもちゃ」を描くとして「おもちゃ→木でできている→温もりがある」の「温もりがある」に焦点をあてるのか、「おもちゃ→木でできている→温もりがある」の「おもちゃ→木でできている」に焦点をあてるのか。こちらも後者が南らしくて、前者が相対的に南らしくないと考えます。この例だと「おもちゃって何」という話にもなるんですけど。

もちろん心情ではなく感覚を描くとしても、それを取りだしているのは人間なので明確な線引きはできないのですが、どのような表現方針を持っているのかである程度見分けることはできるだろうと思います。

ただ、春そのものを描いているわけではなく“春を感じる「私」”を描くのも南向きとしてはあります。上述の例が真南周辺とすれば、ここで述べるのは南西方面ですね。ただ南西方面の作品だと、文章には特有の“溶け”が見られる傾向があると考えます。自分(≒作者)と世界の境界線が曖昧になるので、まるで瞳孔を開いて景色を見るようになって、世界をしっかりと尋常に捉えられない。そしてその様が文章に表れる傾向があると考えます。なので南西方面って、論理的に読解するのが通用しない文体になりがちだろうと思います。そう考えると本作は内容は朧気ではあるのですが、文体はしっかりしているんですよね。「私」は微睡んでいるかもしれませんが、文章を書く夜桜さんの意識は清明である。

そういったことから総合的に、本作は北半球だろうとフィンディルは判断します。


そして北半球のどこなのか。

まず東はないと考えます。本作にメタの実験性は感じられませんでした。本作に漂う“三歩進んで二歩下がる”ような描写が手法として採用されているなら東を見る向きもあるのですが、そういう印象も得られませんでした。たゆたって微睡んでいる様を表現した結果、“三歩進んで二歩下がる”ようなかたちになったのだろうと解釈しています。なので東はないだろうと。

ですので北と西のどこに位置するか。そこで重要になってくるのが「彼」です。

まず「彼」の存在を抜きにして、真西はないだろうと判断しました。真西の香りがないからというのがそうなのですが、本作は(あえてかはわかりませんが)浅瀬の表現で泳ぎ続けている印象があり、深いところに入ってこない印象がありました。耳かきをしていて、気持ちいい浅いところをかりかりし続けて、ぐっと怖いところに入る気配がない感じですね。だからこそ微睡み感が出ているのですけども。なので西が強くても、一定の共感を呼べる西北西だろうと。

そのうえで「彼」の存在が方角をある程度決定づけます。本作に「彼」が登場しなければ西北西だったのですが、「彼」が登場することで作品に展開が生まれるのです。冒頭は春の存在感が強く「彼」の存在感は弱かったのですが、文章が進むごとに「彼」が強くなる。この流れは「とある環境に包まれるなかで誰かを想う」という構図となって、北北西の雰囲気小説と似た展開を感じさせます。

そのうえで「彼」は特定の誰かというよりも、一種の概念なのだろうという印象を残している。実際に「彼」と会えたわけではないだろうけど、「彼」と会えたような風情になっている。春と独立した「彼」というより、春とある程度一体化した「彼」なのだろうと解釈しました。それを考えると非エンタメ的で、はっきりしたオチがあるわけでもないので、北も強くないだろうと。

ということでフィンディルは北西という判断をしています。


方角を抜きにして考えると、「やわらかい」「あたたかい」「優しい」などの語彙を中心に平易な描写が繰りかえされることにより得られる微睡みや浮遊感が特筆できると考えます。良かったです。

(これを「彼」の存在なしにひたすら綴りつづけると西北西だったと思いますし、もっと「春」を刺して迫る感覚があれば真西もあったと思いますし、文章そのものも微睡めば西南西もあったと思いますし、「微睡みや浮遊感を与える手法」として野心的に取り組めば東向きもあっただろうと思います)

「彼」の展開の存在など北西ということで微睡みや浮遊感が突き抜ける感覚こそありませんでしたが、そういう作品方針を夜桜さんがとられたこと自体に価値があるとフィンディルは思います。意欲作なのだろうと思っています。主催者として嬉しいところです。


気になったところとしては序盤の文章ですね。

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 なめらかな風が頬を撫でる。風はあたたかな何かを私に運んでくる。それは、幸せとか、喜びとか、そういうものだ。

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 冬の風には芯があって、私の頬を刺してくる。空気に、トゲがあるような感じだ。誰も寄せ付けないような、そんな感じ。

「あっちへ行って」と言われているような気がしてしまう。

―――――――――――――――――――

「風はあたたかな何かを私に運んでくる。」「冬の風には芯があって、私の頬を刺してくる。」は本作のなかでは一文のみを切りとっても含みのある良い描写なのですが、その直後に解説が入っているんですよね。「何か」の解説をしていますし、「風の芯」を解説している。これがフィンディルにはあまり良く映りませんでした。夜桜さんがご自身の文章を信じきれていない印象を受けたからです。

「私」視点に立つと、自分が浮かんだ言い回しの意味を探るという思考はないこともないのですが、それはより北向き作品で見られる所作であって、輪郭が朧な内容を扱う本作ではどうだろうかという気持ちがあります。

また「平易な描写を繰りかえす」という文章コンセプトに立つと「尖った言い回しを解説して平易に均していく」は文章コンセプトには適うとも思いますが、あまりにもすぐすぎて悪目立ちしているようにも感じられます。「尖った言い回しを解説して平易に均していく」を取りいれるとしても、数文で処理するのではなく、もっと長い構成レベルで処理するのが無難だろうと思います。序盤はくっきりした描写もあったけど、文章が進むほどに「やわらかい」「あたたかい」「優しい」に支配されていく微睡みや浮遊感ですね。それと「彼」とが混ざりあうのが、より合うのかなと思います。

おそらく夜桜さんとしてはご自身の文章を信じきれていないところが出ているのかな、とも思いますが。伝わるか不安だったから補強をしたのだろうと。ただフィンディルとしては(文章コンセプトは別にして)、もっと信じてみてもいいんじゃないかなと思います。「風はあたたかな何かを私に運んでくる。」「冬の風には芯があって、私の頬を刺してくる。」だけで言わんとすることは十分伝わると思いますし。

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