第3話7


 猫山賀は、次なる一手を考えていた。

恭子の兄を助け出すことはもちろん大事だが、今回、井山社長殺人事件の方も同時に解決するような予感が猫山賀にはあった。

 というのも電話の男は、わざわざ社長が殺害された会社の敷地に、猫山賀を誘き出したのだ。光の文字を猫山賀に見せるだけなら、他の場所でもよかったわけで、そこに意図的なものを猫山賀は感じたのだ。

 想像するに、男の井山恭子及びその現彼に対する憎悪は、筆舌に尽くし難いものがある。ならば男はこの二人に対して報復を企み、猫山賀(自分)をその仲介に仕立てるつもりではないのか。

 とりあえず猫山賀は、昼寝をすることにした。昼寝は、猫山賀の最大の趣味であった。


 寝すぎて夜になっていた。

 階下の喫茶店で、猫山賀は好物のカレーを食べた。そのとき、電話が掛かってきた。あの男からだった。

「今夜、再び井山建設の駐車場に来い。お前に見せたいものがある」

「光の文字ですか?」

「違う。それよりもっと明るいものだ」

「分かりました。行きます。で、何時ですか?」

「午前二時だ」

「今度も午前二時ですか──井山建設の駐車場ですね」

「そうだ。言うまでもないが、お前一人で来い」

「分かりました」

 猫山賀は腕時計を見た。午前二時までには十分に時間がある。

そこで猫山賀は、男からの電話内容を吟味することにした。

前回の電話は、猫山賀を誘き出すことが目的だった可能性が高いが(事務所を家探しするために)しかし、男は律儀に恭子の兄の居場所を示唆した。K港の神浦物産所有の倉庫であるが、その会社には、男の恋敵が務めている。

 今回の電話は、再びあの井山建設の現場に来い。そうすれば光の文字よりもっと明るいものを見せてやる、という内容だ。光の文字より明るいとは、サーチライトの光よりも明るい、ということだろう。男は猫山賀に何を見せるつもりなのか。

猫山賀は、行ってそれを確かめるしか方法はない。事務所を空けるが、今回は恭子から預かった書類を持って行くことにした。



 空はやはり曇っていた。

猫山賀が到着する前に、早くも井山建設の上空に立ち込めている雲が、オレンジ色に染まっていた。サーチライトではない。

 井山建設の建物が燃えているのだ。

だいぶ前から火事になっていたようだが、消防車は来ていなかった。

川沿い県道は、この時間帯はめったに車が通らない。民家もまばらでみんな寝ているのだろう。この火事に気づく者がいなかったために、消防車が来なかったのだ。

因みに猫山賀は、川沿いの一本道を来るときに、一台のワゴン車とすれ違った。その助手席に井山恭子に似た女性が乗っていたように見えた。確信はない。ほんの一瞬だったから。しかし、猫山賀はそのことが気になっていた。

 猫山賀は、車から降りて、燃え盛る建物の周辺をさぐった。人影も車も見あたらない。

 無人の建物が勝手に燃えるわけがないから、放火であることは間違いない。犯人はやはり電話の男なのだろうか。だとすると、これが光の文字より明るい、と言った意味なのか。確かに明るい。そのうえ熱い。熱が駐車場の方まで伝わってきた。猫山賀の顔が火照った。

 通常なら、猫山賀はすぐに消防署に連絡するのだが、今回はためらった。というのは、あの男からの電話を待ったからだ。

 また、建物は半分以上燃えていた。廃墟でもあった。今さら呼んでもどうにもなるまい、という思いもあった。ただ、儀礼的に通報する必要はあるだろうが。

 間もなく男からの電話があった。

「やあ君。どうだね、明るいだろう」

「あなたが放火したわけですか?」

「いや違う」

「では、なんで火事になることが分かったのですか?」

「ははは、それは前に言ったとおり、俺はあの女に復讐する。そのために、そのチャンスを掴むために、あの女を毎日ストーカーしている。あの女がどう行動するか、全部お見通しだよ」

 やはり、と猫山賀は思った。あの車の助手席の乗っていた女性は、井山恭子だったのだ。では運転手は今の彼氏なのだろうか。

 猫山賀は、あてずっぽうで言った。

「井山建設の建物は、倒産してすでに他人のものになったのではないですか?」

「それはお前の見込み違いだ。井山社長が、なぜこんな辺鄙なところに会社を建てたと思う。土地が安かったからだ。建物は自分の会社で建てた。三階建てだが、安普請だ。大きな地震が来れば、すぐに倒壊するようになっている。これは何を意味するかといえば、保険金が目当てなのだ。火事でも地震で、全焼全壊になれば、三億五千万円になる。社長が死んで、恭子はこの物件を相続した」

「ちょっと待って、井山建設には多額の負債があったのではないですか?」

「それは数千万円程度のもので、社長の生命保険ですんだ。恭子は負債を言い訳にして、会社を倒産させたのだ。しかし建物の保険料は毎月払っている。近いうちに、この建物を燃やす計画があることを俺は知っていた」

「ところで、あなたは井山社長に嫌われていたようですね」

「なんでそう分かる?」

「恭子さんから聞きました、一時は結婚をする計画だったのが、父に反対されたと」

「ふふふ。じゃあお前は、俺が井山社長を殺したとでも思っているのか?」

「いえ、そうではないですが……」

「ははは! ごまかさんでいいぞ。このへっぽこ探偵が──みんな俺が井山社長を殺したと思っている。だが俺ではない。井山社長を殺したのは、恭子の兄だ」

「ええー!?」

 猫山賀はさすがに驚いた。

「俺は全部知っている。恭子の兄は井山社長の前妻の連れ子で、恭子とは血が繋がっていない。社長の前妻は病気で死んだ。その後結婚した女性から恭子は生まれた。恭子の母もまた若くして事故で死んだ。井山社長は、恭子ばかり可愛がり、会社の跡継ぎは恭子と決めていた。それで兄が井山社長を恨み、そのあげく殺意を抱いたのだ。

 警察は基本的に被害者の子供を疑わない。血縁関係がどうのこうのは調べなければ分からないことだ。このままいけば迷宮入り間違いない」

「そこまで知っているのなら、なんであなたは警察にそのことを告げないのですか?」

「警察に告げたら、俺に何か利益があるのかい。懸賞金でも掛かっていればそれもありだが、何の得にもならないことをしても仕方ない。第一、俺の敵は恭子の兄ではない。──恭子自身だ。そして、その恋人だ。はっきり言おう。この火事は恭子とあの野郎が共同でやったことだ。俺はただの傍観者だ。恭子の兄は、とっくに死んでいる。二人に殺されたのだ。恭子にとっては父の仇討。また遺産相続を独り占めしたかったというのもあるだろう。しかしそれ以上に、恭子は兄を嫌う理由があった。それは、恭子は中学生のとき、兄にレイプされたのだ。以来、恭子は兄を嫌っている。だから兄がやばい仕事を任されたというのも、真っ赤な嘘だ」

 猫山賀は、唖然として聞いていた。

 男は続けた。

「恭子はお前に兄の捜索を持ち掛けたようだが、それは兄が外国で行方不明になるという前提だ。警察も証拠がなければ手が出せない。だが俺は、あいつらに復讐する、確実な証拠を掴んで奴らを刑務所に放り込んでやる。ふっふっふ」

不気味な笑い声に、猫山賀は寒気を覚えた。

 電話は、そこで切れた。

 雪がちらついていた。

井山建設の建物は、三階部分から徐々に崩れ、そのたびに火の粉が、ぶわっと舞い上がった。

猫山賀は我に返った。

消防署に電話した。そして自分は、消防車が来る前に、車を飛ばして事務所に向かった。



 猫山賀は、午前七時に携帯の呼び出し音で起こされた。

 県警の魚木警部からだった。

魚木警部は、以前、猫山賀とある事件で知り合いとなった。それ以来、ときどき電話で話し合う間柄であった。馬が合うのだろう。

 魚木警部は、四十代の後半で、口ひげを生やしたバイタリティーのある男である。

「魚木だが、猫山賀君かね、今日未明の火事を通報したのは──というのも私は、消防署の通報履歴を見て、あれっ、と思ったのだ。これは猫山賀君の携帯ではないかと。で、確めると、やはり君の電話番号だった」

「ええ。間違いなく僕が消防署に電話しました」

「しかし君、あんな時刻に、しかもあんなところで、いったい何をしていたのかね。使われていない建物で火事が起これば、当然誰かが火をつけたことになる。もちろん私は君を疑っているわけではないよ。しかしあんな辺鄙なところだ。通りすがりの者が遊び半分で火をつけたとは考えにくい。もちろん、ホームレスが寝泊りに使って、誤って火事を起こすことはあるだろうが、しかしホームレスがいるような土地ではないからな。警察としては、一応、通報者の確認だけはしておく必要があるのだよ」

「それは当然のことです。僕も魚木警部には話したいことがありますから、一度会って話をしませんか」

「いいだろう。今はちょっと現場検証をしている最中だから、午後にでもそちらに行くよ」

 猫山賀は、今回の一連の動きを魚木警部に伝える考えでいた。ただ、井山恭子の犯行であることは言わないことにした。

 午後一時過ぎ、魚木警部はやって来た。

「現場検証の結果は、どうでしたか?」

と猫山賀は早速聞いた。

コートを脇において、警部は言った。

「現場検証の結果だがね、灯油をまかれた形跡はあったが、それ以外は犯人に繋がるようなものは何も見つからなかった。駐車場に数台のタイヤの跡があったが、一つは君の車かね?」

「そうです」

「で、君は、なぜその時間に、あんなところにいたのかね?」

「それを説明するために魚木警部をお呼びしたわけです。電話ではちょっと説明しづらいですから」

「ほう。では早速、それを聞かせてもらえるかね」

「分かりました」

 そこで猫山賀は、今までの経緯をごく大雑把に魚木警部に説明した。

聞き終わって魚木警部は、

「井山社長が殺害されてから、もう三年になるが、私たちはまだ犯人逮捕をあきらめているわけではない。ただ手掛かりとなるのもが希薄で、捜査は難航している。井山社長の家族については、あまり調べていなかったが、では今回、君のところに来た社長の娘が、奇妙な依頼をしたということかね」

「はい、そうです。井山恭子という名前です」

「で、その井山恭子という女性が、現在、自分の兄が、ある会社に軟禁されていて、その居場所を探してほしいということだね」

「そうです。警察に頼めないのは警察に知らすと兄は殺される、と脅されているからです」

「なんとも、訳の分からない依頼だね。まあ兄は、違法な物を密輸入する仕事をさせられる、ということだから会社としては、警察に知られたらまずいわけだな。だが、君には言えるという。なるほど、君には逮捕権がないから安心できるのだろう。ところで、その井山恭子という女性は、あの井山建設をどうするつもりだったのだろうか。彼女が相続したようだが、会社を倒産させて、そのままの状態だ。売りに出しているわけでもない。固定資産税が毎年掛かるというのに。まあ、今回の火災で保険金が入って来るのかもしれないが、しかし、放火となると誰かが火をつけたわけで、関係ない者が無意味に火をつけたとは思えんね。こういうことは、一番得をする者の仕業と相場は決まっているのだ」

 猫山賀は、恭子が犯人と一言も言っていないのだが、勘の鋭い魚木警部は、井山恭子が最も怪しいと、すでに判断しているようである。

 魚木警部は続けて言った。

「だがそれにしても、君に電話を掛けた男は、よっぽど井山恭子に夢中なのだね。四六時中、彼女の行動を監視しているとは」

「夢中というか、結婚の約束までしていたのですが、ひょんなことで、自分の長年の友人の方に恭子さんの心がいってしまって、今、二人はラブラブの関係だそうですから、怒り心頭なのです。それで、男は二人に復讐すべく、チャンスをうかがっているというわけです」

「なるほどなるほど。それで結局、男からの電話は、全部で二回あったわけだね」

「そうです。一回目も二回目も僕をあの井山建設の駐車場に呼び出したのです。一回目は、サーチライトを使い、夜空の雲にアルファベットのSとNを浮かび上がらせて、恭子さんの兄が匿われている場所を示唆しました。SとN。そのSNは、じつはK港の倉庫街にある倉庫の扉に記されていました」

「で、その倉庫に兄はいたのかね?」

「分かりません。というのは、厳重に扉にカギが掛かっていましたから、入ることができませんでした。で、その倉庫を所有する会社に問い合わせをしたのですが、相手にしてくれませんでした。あまりしつこく言えば、疑われますから、黙って帰るしか方法はなかったのです。警察でさえ捜索令状がいるわけでしょう」

「まあな。確かな証拠が必要だ。名前も分からない男に言われたからって、そうそう動けるものではない。君もよくそんな男の言うことを信じるね」

「しかし、男が僕に言ったことは、そんなに外れていませんよ。一回目は光の文字で兄の居場所を示唆しました。二回目は、その光の文字よりもっと明るいものだ、と、火事を示唆したのです。そのうえ男は、その二つよりもっとすごい情報を僕に与えてくれました」

「それは何だね?」

 魚木警部は、急に体を前に乗り出した。

 猫山賀は、おもむろに言った。

「井山社長を殺害した犯人です」

「なんだとー! やっ、これは失礼、つい興奮して、で、犯人は誰かね?」

「犯人は恭子さんの兄さんです」

 魚木警部は、あまりの驚きに一瞬言葉が出なかった。

「兄さんが犯人とは。で、その根拠は?」

「はい。根拠に関しては、これが絶対というのではないですが、男が言うには、恭子さんの兄は井山社長の前の奥さんの連れ子で、井山社長とは血が繋がっていない。そのせいか社長は、兄に対しては冷淡で、実の子である恭子さんばかり可愛がっていたと言うのです。会社の次期経営者も恭子さんと決めていたそうで、それで兄は社長に殺意を抱くようになったというのです」

「ふむ。私ら県警の者は、家族を疑いの範囲に入れていなかったが、確かに家族の者なら、いつでも親に会うことができる。夜の九時に話をする約束を前もって取り付けていたとしても不自然ではない。ただ、問題は証拠だ。証拠がなければ、どうしようもない。凶器となった刃物がまだ見つかっていないのだ」

「そうですね。それが一番の問題ですね」

猫山賀はこのとき、恭子の兄は、すでに死んでいる、ということを魚木警部に言うべきかどうか迷った。それを言えば、恭子が殺人犯であることを言及しないわけにいかなくなる。父の仇討という名目であっても、今の時代それが通用するはずもない。もっとも実際に手を下したのは、恭子の現彼だと思うが、恭子が首謀者であることに変わりはないのだ。

 また猫山賀が言わなくても、電話の男は、恭子に復讐する、刑務所に放り込むと言っていたから、頃合いを見計らって、警察に告げるはずである。

「その電話の男を調べる必要があるな」

と魚木警部。「事情をよく知りすぎている。K港の倉庫に兄が軟禁されているとか、関係者でないと分からないことだ」

「なんでも男は、その倉庫を所有している神浦物産に知り合いがいるようです。じつはこの知り合いが、男から恭子さんを奪ったのです。男にとっては、もはや敵ですが、しかし付き合いは今も続いているようで、そして恭子さんに対しては、完全なストーカーですから、二人の生活が手に取るように分かるみたいです」

「そいつの電話番号を教えてくれるかね?」

「それが非通知にしているようです」

「そうか、それは困ったな。専門家に任せれば分からんこともないが、ただ今回の火事では犠牲者はいない。泣く者がいない。ならば単なる不審火として処理しても差し支えがない」

「そうですか」

 猫山賀は、魚木警部のいつもの姿勢に感心し、かつそれだから井山社長殺人事件が解決しないのだと心の中で嘲笑した。

 猫山賀としても、あえて犯人を捕まえる気はなかった。恭子が手錠を嵌められて連行される姿など見たくないのだ。

「いやっ、やっぱり確認する必要がある」

魚木警部は、急に考えを翻した。「そいつは、井山社長殺しの犯人と繋がっているかもしれんからな」

「では、僕の携帯をお貸ししましょう」

猫山賀は、ポケットから携帯電話を取り出して、魚木警部に手渡した。

「すまんな。じゃあ二、三時間預からせてもらうよ。相手の番号が分かり次第、すぐに君に返すから」

 魚木警部は言って、席をたった。


10


 携帯電話は二時間もかからず、猫山賀の手に戻った。珍しく魚木警部は、にこにこした顔をしていた。まるで事件が一件落着したかのようであった。あるいは、重要なヒントを得たのか。

「非通知電話の男は、井山恭子に恨みを持っていた。だから、警察に非常に協力的だったよ」

と魚木警部は、次のように説明した。──今夜、恭子たちが最後の動きを見せる。警察は、K港のSNという倉庫を、恭子たちに見つからないように見張ってほしい。その倉庫に殺された恭子の兄の遺体が置かれている。今夜、恭子たちが闇に紛れて、それを別の場所に移動させる、と。

「ということだから、私は部下に夕方からその倉庫を見張るように言ってある。もちろん私も、井山恭子の足取りを追うつもりだ」

「僕もそれに加わっていいですか?」

 と猫山賀。「恭子さんに渡したいものがあるのです」

「渡したいもの、それは何だね?」

「彼女の遺書です」

 ぶっ、と警部は、思わず笑いそうになった。

「まあいいだろう。今回は君がかなり関わっているから、最後を見届けたまえ。ただし、くれぐれも警察より先に動かないでくれよ」

「分かりました。それと、もしも恭子さんが逮捕されるとしても、任意同行でお願いします」

「その時の状況によって、どうなるか分からんが、できるだけそうするよ。彼女がすんなり従えば、のことだが」

「それで、男は何時頃に恭子さんたちが倉庫に来ると言っていましたか?」

「そこまでは限定していなかった。たぶん深夜だろう。だから君は近くの陰で待機していたまえ。二人が来たら連絡するから」

「では、そうします」


 夜 猫山賀は、恭子から預かっている書類を車につんでK港の倉庫街に向かった。

 閑静な倉庫街。猫山賀の車はSNの倉庫から数百メートル離れた公園の駐車場にとめた。ここならエンジンを掛けたままでも怪しまれない。

 午前一時を過ぎた頃に、猫山賀の携帯が鳴った。

「猫山賀君かね」

と、いつもの調子で魚木警部は言った。「二人が乗ったワゴン車が今、倉庫の扉を開けて、中に入ったよ。警察としては、その車が再び外に出たときに、呼び止めるつもりだ。電話の男の証言だけだから、捜索令状までは取れなかった。君も慌てずに倉庫の近くまで来たらいい」

 それで猫山賀は、倉庫の近くに車をとめて、様子を見た。

 やがて倉庫からワゴン車が現れると、待機していた二人の警察官がライトをあてて、車を制止させた。

続いて魚木警部が、運転手の男に警察手帳を見せて、車から降りるように命じた。三十歳くらいの、姿形の整った好男子が車から降りた。

助手席には、井山恭子が顔を引きつらせて、その様子を見ていた。

「後部座席をちょっと調べたいのだが、開けてくれるかね」

「なぜ!」

 男は顔を曇らせ、体を震わせた。

「ある人から通報を受けたのだよ。この倉庫に今夜、車が来て、中に置いてある殺された遺体を運ぶとね。警察としては、それを確かめる義務がるのだ」

 男はその場にくずおれた。

 魚木警部は、傍らの警官にドアを開けさせた。

 長方形の大きな箱がある。ドライアイスが詰まった寝袋に男性の遺体が見つかった。

「この遺体は誰のだね?」

厳しい口調で魚木警部は問うた。

 だが男も恭子も口を開かなかった。

「答えられないということは、尋常な遺体ではないと言うことだな。それならそれでいい。署まで来てもらおう。助手席の女の人も任意同行という形で来てもらう」

 二人は意外と素直に従った。抵抗しても無駄と判断したのだろう。二人は別々の車に乗ることになる。

 猫山賀は、そばまで来ていた。

恭子が警察の車に向かうとき、猫山賀は預かっていた封筒を手渡そうとした。が、恭子はそれを受け取らなかった。

そして、恭子は、微笑を浮かべて、車の後部座席に乗り込んだ。

両脇に刑事が座った。任意同行だから、恭子の手は自由に使える。

車が走り出した。

 と、そのとき恭子は、バッグから素早く懐中電灯を取り出して、後ろにいる猫山賀に向けて、何やらアルファベットのような光を走らせたが、英語の苦手な猫山賀は、うまくそれを読み取ることができなかった。

そうして、車の一行が角を曲がって消えると、猫山賀は一人闇の中に取り残された。


一か月を過ぎて、猫山賀は、例の封筒を開けることにした。

大学ノートが一冊入っていた。

一ページ目に、端麗な字で、こう記されていた。


 このノートが猫山賀様に読まれるときは、私の計画が失敗したこととなります。

私の計画は、猫山賀様を、私の犯罪計画の証言者に仕立てることでした。

 私は兄を葬り、それをあたかも外国で行方不明になったかのように見せかけるために、猫山賀様のところへお伺いしたのです。それは兄に対する私の復讐でした。遺産相続のこともありますが、詳しくは書きません。とにかく私は、兄は外国で行方不明になった、そのことを証言してくれる第三者が欲しかったのです。

 しかし、ただ何の罪もない猫山賀様を騙すことは私の心が許しませんでした。

 そこで賭けをしたのです。

 私の計画は、一週間以内に終了する予定です。計画が無事終われば、すぐにこのノートを取り戻すつもりでいます。しかし、もしも失敗して警察に捕まれば、そのときは猫山賀様に謝らなければなりません。

 このノートは、その謝罪文だと思ってください。

 大変失礼いたしました。井山恭子。


 読み終わったあと、猫山賀は、あの夜、事務所が荒らされていたのは、電話の男ではなく、恭子たちの仕業であると断定した。──わざわざこんな危険なことを書いて、もしも猫山賀がふざけて封筒を開けたら大変なことになる。あとになって、そのことに気づいた恭子が、思慮浅く、ノートを取り返すために深夜に忍び込んだのだ。翌朝、堂々と猫山賀にそう言えばよかったものを。

 そしてあの夜、事務所は留守だったが、それはたぶん偶然だったのだろう。

 恭子は、この事務所が猫山賀の寝起きする場所とは知らなかったはずだ。

              了


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ボンボン探偵・猫山賀京志郎 只今昼寝中! 有笛亭 @yuutekitei

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