第2話3


 猫山賀は車を走らせて午前二時までに、目的地についた。

一級河川の土手の県道を下りると、すぐに井山建設の三階建てのビルがある。資材置き場と駐車場が一帯となっているが、その駐車場に猫山賀は車をとめた。

 まわりは田んぼで、ちょっと離れたところに山がある。灯りはどこにもなかった。しかも、曇り空で、雲が山に引っかかるかと思うほど、低く立ち込めていた。

 午前二時きっかり。猫山賀の携帯電話が鳴った。

「空を見ろ」例の男の声だ。

 雪でも降って来るのかと、猫山賀は車から降りて、空を仰いだ。

 すると、低く立ち込めている雲に、光の文字が映し出された。まるで映写機のように。サーチライトを使用しているようだった。近くの山の中腹から、その光の帯が雲に向かって伸びていた。

 真っ暗な山間部だから余計くっきりと映った。字はアルファベットのSであった。Sの部分が黒かった。サーチライトにSの字をはめ込んだのだろう。

 続いてNの字が映し出された。

 と、また携帯が鳴った。

「どうだ。見えただろう。二つのアルファベットを。それがヒントだ。その場所に男は匿われている」

「この井山建設の建物の中ではないんですか?」

と猫山賀は質問した。

「ははは、そう思ったのだろうが、それはお前の勘違いだ。俺はあの女に復讐する。そう簡単にあいつの兄を自由にさせるつもりはない。だが、せっかくお前がここに来たのだ。もう少しヒントをやろう。あいつの兄は、神浦物産という会社に入社した。しかし、ここはやくざ企業だ。今までに何人もの社員が行方不明になっている。また、不自然な死に方をしている。なぜ俺がそんなことを知っているかと言えば、俺の知り合いがそこの重役の息子で、しかもその息子もその会社で働いているからだ。最後に究極的なヒントをやろう。恭子の兄は、K港の倉庫街にいる。じゃあな」

 電話は切れた。

 猫山賀は、ちょっと拍子抜けをした。てっきりこの井山建設の建物に恭子の兄が匿われていると予想していたからだ。

ただ、男が光の文字でそのヒントを与えたのは、猫山賀の興味を引いた。なかなかやるな、洒落の分かる男だな、と猫山賀は、変に男の評価を高めた。声からすると三十歳くらいであった。

 とにかく、まったく手掛かりがない状態であったから、猫山賀はそのヒントにすがる他はなく、ありがたく思った。

 K港の倉庫街は、文字通り倉庫だらけ。商店はない。だから、一般人はあまり近づかない。人を匿うにはもってこいだろう。

 だが、と猫山賀は不審に思う。

 電話の男は何のメリットがあって、こんな手の込んだことをしたのだろう。言葉から、男は井山社長の娘に恨みを持っているようだ。恭子に振られたのだろうか。よくあることだ。男がストーカーとなって、女性を付け回す事例が。

 粉雪が舞い始めていた。

 猫山賀は、すぐに車に戻り、帰路についた。



 事務所のドアを開け電気をつけたとたん、猫山賀はおやっと思った。誰かが入った形跡があるのだ。

 事務所は、三時間以上無人であった。

 もちろんカギは掛けていたが、そんなもの専門家なら簡単に開けることができるだろう。

 壁際の書棚から、クローゼットまで、かきまわされていた。金庫も開けられていた。しかし、その金庫はダミーだ。ろくなものは入っていない。もう一つ金庫があって、それはソファーの中にある。恭子から預かった書類もこの中にある。さすがにここまでは荒らされていなかった。

 他に何か盗られたものはないかと調べてみたが、とくにないようだった。

テーブルの上に千円札を数枚置いていたが、それも無事だった。ということで、犯人は金目のものが目的で侵入したのではないと猫山賀は推測した。

 となると、後は井山恭子から預かった書類である。

 あの封筒は糊付けがされていて、中を見ることができなかったが、侵入者にとっては、きっと大事なことが書かれているのだろう。

 とりあえず猫山賀は、ほっとした。と同時に眠気が襲ってきた。

 車を長時間走らせて疲れたのもあるが、頭をすっきりさせるためにも睡眠は必要である。

 猫山賀は、暇さえあれば眠っている。それこそまさに、ごくつぶしの典型であるが、しかし猫山賀にとって、ごくつぶしは尊称であり、学生の頃から言われてきた言葉であった。もっとも、人からごくつぶしと言われて、喜ぶのは猫山賀くらいのものだろうが。


 それでは、ごくつぶし探偵・猫山賀が寝ている間に、ここまでの流れを、簡単にご説明しよう──。

〇 井山社長の娘(井山恭子)が、猫山賀の探偵事務所に依頼に来る。

〇 依頼の内容は、兄が今ある組織に軟禁されている。その居場所を探し出してほしい、というもの。

 警察に届けない理由は、警察に知らせたら兄は組織に殺されるおそれがあるから。

というのも、兄は、やばいものを運ぶ任務を言いつけられていた。いわゆる運び屋。

〇 猫山賀にとって、興味のある依頼であった。しかし、あまりにも手掛かりが少ないため、探し出す自信がなかった。で猫山賀は、いったんは依頼を断った。すると、井山恭子は、ではこれを預かってほしいと、書類の入った封筒を猫山賀に差し出す。中には恭子の遺書が入っている。恭子は猫山賀が拒否した場合、自分一人で命を懸けて兄を探す覚悟であった。その心意気に猫山賀は感動し、できるかぎりの調査をすることを心に決めた。

〇 猫山賀は、あちこちのハローワークをまわって、それらしき会社を探した。また恭子の話にあった国際港・K港にも行ってみた。しかし、いずれも不発だった。

そしてその夜、見知らぬ男からの電話があった。──お前が探している男の居場所を教えてやる、と謎の言葉。

 猫山賀は、すがる思いで男が指定した時間に、その場所へ行った。

 午前二時。一級河川の中流域。廃墟となった井山建設の駐車場。

 この井山建設は、依頼人の井山恭子の父が社長をしていた。が、井山社長は三年前にこの建物の社長室で殺害された。犯人は不明。

〇 午前二時、猫山賀の携帯が鳴る。例の男が、空を見ろ、と言う。

猫山賀は車の外に出て見晴らしのいい場所で空を仰いだ。

 すると、低く立ち込めた雲に、山の中腹からのサーチライトによって、Sというアルファベットが映し出された。続いて、Nという字が。

 男は、恭子の兄の居場所は、SとNが関係している。さらにK港であると言った。

〇 事務所に戻った猫山賀は、事務所の中が荒らされていることに気づいた。しかし、テーブルの上にあった紙幣は無事であったことで、侵入者は金目のものではなく恭子が持って来た封筒が目当てであると、猫山賀は推測した。封筒は、ソファーの中の金庫にちゃんとあった。──以上ここまで。

 疑問点は多いが、最大の疑問は、猫山賀に電話を掛けた男の目的である。

 男は恭子に対して、あの女に復讐する、と言った。ならば、男は、かつて井山恭子と親しい関係にあり、その兄とも知り合いだった可能性がある。また男は、恭子の兄が入社した会社の人間とも知り合いであった。

 そこで猫山賀は、こう推理した。──恭子が猫山賀に持って来た書類の文面に、電話の男に関することが書かれていた。それは男にとって公にされると困る内容だった。それで男は手の込んだ方法で猫山賀を誘き出し、その隙に事務所に侵入して、書類を探した、と。

 いずれにしても、井山建設の廃墟が加わったことで、今回の流れは、三年前の井山社長殺しとどこか繋がっているような気が、猫山賀はしてきた。



 猫山賀は、男が言ったK港の倉庫街へ行った。SとNはその倉庫に記されているような予感があったが、予感通り、そのアルファベットが記された倉庫を猫山賀は見つけた。

 古いレンガ造りの建物で蔦が壁にはびこっていた。

 鉄の扉にSNと大きく記されていた。神浦物産とも明記されている。

 猫山賀は、車をわきに置いて、その扉に近づいた。

 しかし、扉には厳重にカギが施されていた。

 猫山賀は早速、神浦物産に連絡を取った。倉庫の中身をたずねたのだが、神浦物産は、当社と関係がない者には答えられない、と至極真っ当な返事をした。防犯上の理由からである。

 相手に警察のように思われては、元も子もないと思った猫山賀は、倉庫の中を確認することもなく、事務所に戻った。

 事務所に入るとき、猫山賀は再び部屋が荒らされているのではないかと心配したが、大丈夫だった。犯人も明るいうちは人の目が気になるものだ。また一階は喫茶店で、人の出入りがある。おまけに外階段。



 猫山賀は、ソファーに座り、思案に暮れた。

 そして、井山恭子に電話をかけて、昨夜からのことを伝えた。

 すると、恭子は驚いた声で、「ええー、あの人がそんなことを……」と言った。

「あの人、とは、ご存じなのですか?」

 恭子は少しためらったあと、「隠しても仕方ありません。以前の私の恋人でした。しかし今は、私のストーカーをしています。あの人しか、こういうことをする人間はいませんわ」

「ストーカーですか。道理で、あの女に復讐する、と言っていましたよ。気を付けてくださいよ」

「まあ、そんなことを……。でもそれは仕方ないのです。私が悪かったのです。一時は、結婚の約束を交わした仲でした。それを私が、一方的に破棄したのです。父も結婚を反対していました。父が反対した理由は、あの人が冴えないサラリーマンだったからですが、私の理由は、他に好きな人ができたからです」

「あなたのお父さんは、井山建設の社長をしていたようですが、三年前に殺害されましたね。犯人はまだ捕まっていません。犯人の心当たりはありますか? 怨恨が犯行の動機ではないかとの警察の見方ですが──」

「今まで何度も警察から同じ質問を受けましたが、私には犯人像など浮かびません。父にはいろいろライバルがいましたから。建設業界だけではなく、さまざまな業界で──父は一人で井山建設を立ち上げました。真っ当なことをしていては、無理だったでしょう。他の競争相手を蹴落としてきたのです。なので、父が死んだとき、会社はどこにも助けてもらえず倒産をすることになったのです。父が死んで喜んでいる人は多かったですよ。ですから、誰が犯人と決められないのです」

「殺害された夜は、井山社長は、誰かと会う約束があったようですね。というのは、井山社長はいつも早く退社する、という話ですから。誰かを待っていたのでしょう」

「そうかもしれませんが……私は会社のことは詳しくありません。父のことは警察にすべてお任せをしています」

 そこで猫山賀は、話を変えた。

「僕は今日、K港の倉庫街、アルファベットのS Nが記された倉庫を調べたのですが、その倉庫は、神浦物産が所有していました」

「神浦物産!?」

 恭子は驚いたように言った。

「神浦物産をご存じですか?」

「はい。今の彼が、その会社にいます」

「なんと。僕はてっきり電話の男の人の知り合いが関係する会社だと思っていましたが……」

「その知り合いというのが、私の彼です。と言いますのは、今の彼と電話の人は、もともと友人でした。じつは電話の人が私の最初の彼で、今の彼を紹介してくれたのです。と言うと、ちょっとおかしいと思うかもしれませんが、あるパーティーで、私たち二人は、偶然今の彼と一緒になったのです。今の彼が私たちの姿を認めて近づいてきました。それであの人が、しぶしぶ私を彼に紹介したのです。まあそれがきっかけですから、あの人が私を憎むのは当然なのです」

「その神浦物産の倉庫にあなたのお兄さんは軟禁されているようです。厳重にカギが掛かっていましたから、中に入ることはできませんでしたが」

「そうですか。では私は今の彼に相談してみます。そして、そんな恐ろしい会社に勤めているのなら、彼と別れるつもりです」

「あなたのお兄さんが、神浦物産に入社したというのも、奇遇ですね」

「いえ、まだその会社に正式に入社したかどうか分かりません。見習い期間がありますから。しかし、兄が言っていることが本当だとすると、とんでもない会社ですね。私が直接行けば開けてくれるかもしれません。その倉庫の扉を」

「しかしそれでは、向こうは警察に知られたと勘ぐって、お兄さんが危険な目にあいませんか」

「それもそうですね。じゃあどうすればいいのでしょう」

「お兄さんは、たぶん任務が終わるまでは無事だと思いますから救出は慌てることはありません。しかしその任務が違法なもので警察に捕まった場合は、国によっては日本に生きて戻れなくなりますね。ですから、この日本にいる間にお兄さんを救出する必要があります」

「その通りです。それで私は自分の命を懸けて兄を救いだそうと、遺書の入った書類を猫山賀さんにお預けしたのです」

「その書類のことですが、昨夜、いえ今日の未明ですが、男の電話によって僕が事務所を留守にしている間に、何者かがこの事務所を荒らしたのです。お金は無事でした。また他に、これといって盗まれたものはありませんでした。ですから、犯人はその書類が目当てだったのでしょう。で、僕の推理ですが、その犯人は井山建設の建物まで僕を呼び出した男、つまりあなたの元彼が、事務所を荒らしたのではないかと思いますが……」

「たぶんそうだと思います。で書類は、無事でしたか?」

「無事でした。そう簡単に盗られる僕じゃあありませんよ。大事なものは、ソファーの中に閉まってあります」

「ソファーの中ですか──」

 恭子は、まるで驚いたかのように言った。 

「ソファーの中と言っても、ちゃんと金庫の中ですから、ご安心ください」

「ええ、それはもちろん」

「では、あの書類には、遺言以外に何か大事なことが書いてあるわけですか? あの人が盗みたくなるような」

「どうでしょうか。私には分かりません」

 恭子はごまかした。そして、不自然に、

「あっ、誰かが来たようですから、この辺で電話は失礼します」

 プツンと電話を切った。

 この行為に猫山賀は、井山恭子に対する信用が少し薄れた。

最初から訳の分からない依頼であったが、井山恭子の言葉は嘘ではなかった。兄はどこかに監禁されている。そのことは、第三者がそのヒントを猫山賀に授けたことで証明できる。だが、どうも腑に落ちない。

 まず、電話の男は、何故、恭子の兄の居場所を教えるのか。また、わざわざ遠い場所まで猫山賀を誘き出したのか。

 誘き出した理由は、何度も言うように猫山賀を事務所から遠ざけるため、つまり事務所の家探しが目的であったと思われるが、恭子の兄の居場所を教えるのは、理解できない。直接恭子に言えばいいだろう。もっとも、男は恭子に恨みを持っているわけだから、復讐の前段階と見ることもできる。

 猫山賀の頭は、こんがらがっていた。もともと回転の速い方ではないが、今回ほど訳の分からない出来事はなかった。

 まず男は、恭子の兄の居場所をK港の倉庫街と特定した。家探しが目的なら、光の文字・SNだけの曖昧な情報ですませばいいのだ。

 さらに男は神浦物産と名指しした。神浦物産には男から恭子を奪った知り合いが務めていた。

 電話の男は、あえて会社名を出すことで、その恋敵となった元友人に復讐をしているのだろうか。

 実際男は、恭子だけを恨んでいるわけではないはずで、元友人に対しても、復讐心があって当然だろう。


 三年前の井山社長殺人事件は、警察が捜査本部を設けて、あれほど厳重に聞き込み調査を行ったにもかかわらず、依然として犯人像は浮かび上がってこなかったが、それは凶器などの遺留品がないことと、もう一つは決定的な殺害動機が見当たらないことに要因する。

 こうなると、井山社長が死んで誰が得をするか、であるが、これもとくに得をする者はいなかった。

 井山建設は、井山社長のワンマン経営で負債もあり、その影響によって、社長が死んだとたん、舵が取れなくなって倒産したのだ。

 だから、少なくとも社長の部下が、社長の椅子を狙っての犯行ではないことは確かだ。

 殺害動機で言えば、電話の男も嫌疑がかかる。

 男は三年前はまだ社長の娘と恋仲であり、結婚の約束もしていたのだ。しかし、父親の社長が結婚を反対していたと言うから、殺害動機はあるだろう。

 また男はこの辺の地理に詳しい。井山建設の近場の山からサーチライトを雲に向かって射たが、その山に道があることを知っていたのだ。

 ただ今回の件、男一人で実行したとは思われない。なぜなら、猫山賀の事務所が荒らされているからだ。それが男の仕業であれば、どちらかの現場に別の人間を手配していたことになる。

 それにしても驚くべき早さである。まるで何日も前から計画を立てていたかのようだ。



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