第2話 私の好きなこと
今日も、誰とも目が合わなかった。もちろん、誰とも話さなかった。
クラスのみんなは、あからさまに私を避けている。私がクラスの誰かと目があいそうになると、すぐその場から立ち去るか、なにも見なかったようにする。だから私は、できる限り影を薄くする。自分を消す。
普通なら、いじめだと考えるのだろうか。でも、直接何かをされたことがない。むしろその逆。みんな私に近づかない。ただ、宮崎結衣を除いて。
宮崎結衣は、クラスの中心に君臨している。その自信満ち溢れた態度と性格で、クラスの陽キャ女子を引き連れている。そんな彼女は、よく私がいる近くで私の話をする。今日の朝も、いつもの集団でこんな会話が耳に入った。
「わたしさ、髪染めよっかなって思ってんだよね」
この高校では、髪型の規定がない。校風はとても自由で、人気の出そうなところだが、逆にチャラチャラしているように思われていて、意外とマイナーな高校になってしまっている。
「っていっても、今も明るくしてんだけど、なんか、色とか入れてみたいなぁとか思ってさ」
そう言うと、周りの子はただひたすらに首を縦に振った。
「で、ちょっと気になってるんだけど」
すると、宮崎結衣はこっちをチラチラ見ながら、
「日比谷さんの髪って、どこで切ってるんだろ。絶対イカつい店だよね」
私はもちろん何も聞いてない振り。ショートカットのウルフにインナーカラーでシルバー。怖がられてる原因の1つでもあるこの髪型。
でも、中学時代に憧れた髪型。
高校生が待ち遠しくなった髪型。
...大好きな髪型。
私は、その場から逃げるように教室を出ていた。
学校からの帰り道。今日も長い一日だった。体も心も疲れ切っていた。でも、私の足はいつも以上に早く動いた。胸にピアノの楽譜を抱えて。
私は、ピアノが大好きだ。
ピアノは、母が小さい頃からよく弾いてくれた。私の両親は共働きで、毎日仕事で忙しいのに、ピアノが大好きな私のためにいつでも弾いてくれた。そんな母の影響で、私も5歳の時からピアノに触れた。
習っていた訳ではない。母の見様見真似で練習した。楽譜の読み方も、ペダルの使い方も、全部独学でピアノに向き合った。
高校生になって、一人暮らしになった今でも、当時より少し小さいピアノでただひとりで向き合う。
そして昨日。私はついに、大好きな曲の楽譜を手に入れた。
『 ロストワンの号哭』
私の人生のバイブル。そして、私が私でいるための曲。
せめて学校以外の場所では私でいたい。だから早く帰って練習しないと。自分を取り戻さないと。
いつの間にか、全力で走っていた。
───ピラッ
強い風が、私の楽譜をさらっていって、辺り周辺にばらまいた。
拾わないと。私の大事な楽譜が。
私は必死に楽譜をかき集めた。
誰かに見られたりしてないかな。同じクラスの子に見られてたらどうしよう。
とにかく焦って急いで拾った。周りを気にする暇もなく、ただ無我夢中に集めた。
あと1枚。楽譜の1ページ目を見つけて拾った。
あれ、何枚か足りない。
ふと前を見ると、制服の女の子がこっちを見つめていた。その子の手には、残りの楽譜が重なっていた。
そしてその子は、少しおびえた表情で楽譜を何も言わずに差し出した。
全く気づかなかった。私のために拾ってくれたようだ。
「...ぁりがと」
なぜだろう。自分が出したい声と違う声が出た。
変な汗が出た。
私は、楽譜を奪ってその場から逃げた。
知らない人だった。なのに、何故かとても怖かった。私の秘密を見られたようで。
クラスの子だけではなく、きっとこれから会うことない子にも、冷たい目をしてしまった。
あの子は、私をどう思うのだろう。やっぱり怖いのだろうか。私を助けたことを後悔しただろうか。
あの子の顔を、しっかり見れなかった。でも、あの少し震えた目。あの目だけは、脳裏に残っていた。
朝と同じだ。また『 私』から逃げた。
そして、そんな自分が嫌で、私はまた全力で走った。
あぁ、早く帰りたい。そして、大好きな曲に満たされたい。
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