第4話 あくちょう
「蒼衣ちゃん、まだ寝てるの?遅刻するわよ?」
蒼衣は飛び起きた。昨夜は上手く寝付けず本を遅くまで読んでいて、眠りについたのは深夜12時を軽くまわっていたのだ。しかし、その後青ざめたのは、学校に遅刻しそうだった…からではない。
「黄美歌…?」
黄美歌が蒼衣を迎えに来なかったのだ。喧嘩をしたとしても、翌朝には何事もなかったかのように黄美歌は蒼衣を迎えにくる。それが彼女たちの日常だった。
普段は比較的のんびりしている蒼衣からは考えられないほど、てきぱき手早く支度を済ませ、学校に向かった。蒼衣は、そうしていないと身体から心臓が飛び出てしまうのかというほど、手で強く胸を押さえていた。
***
「では今日の終礼も終わります。みなさん、さようなら」
「みどりん、さようなら〜」
蒼衣は今日1日神経を使い、扉が開くたびにリアクションしていたためか、終礼が終わる頃にはすっかり疲れ切っていた。
「藤白さん、ちょっといいかしら?」
教室を足早に出ようとした蒼衣を翠が呼び止める。
「先生、今日はちょっと…」
「いいから、いいから」
翠は蒼衣の様子は意に介さず、スタスタと廊下に出てしまった。蒼衣は渋々といった様子で翠について行く。
向かった先には、理科準備室。理科の担当である翠が、職員室の次によく使う部屋である。
翠の先導で、蒼衣は理科準備室の中に入った。
「疲れた顔してるから、少し落ち着いてお茶でもと思ったけど…落ち着けるものも落ち着けないわね」
微かに漂う薬品臭はまだ良かった。教科書やらノートやらが散乱する机の上、そもそも机自体、荷物の山に囲まれていて圧迫感がすごい。授業で使う備品が入ってあるのだろうと思われるケースやらが雑然と積み上げられていた。蒼衣もさすがに顔を顰める。
翠は蒼衣を手前側の席に座らせてから、机の奥の窓際に置かれたキャビネットの中を探り出す。
「コーヒーしかすぐに出せないのだけど、藤白さんも飲む?」
「いえ、私は大丈夫です…」
翠は結局、自分の分のコーヒーだけを用意して、向かいの席についた。
「今日何かあった?ずっと落ち着かなかったみたいじゃない?何かあったの?」
「…」
「授業にも集中できてなかったようだし、ずっと外を気にしてたって。それに、今はこんなに疲れた顔をして」
「…」
「何か思い詰めていることがあるなら、先生、話聞くわよ?」
蒼衣は顔を俯けて何も答えない。運動部の掛け声や吹奏楽部の楽器の音色が、開けた窓からよく聞こえた。
しばしの沈黙の後、気まずくなってきたのか翠はコーヒーを一口飲んでは机に置き、飲んでは置きを繰り返す。それでも蒼衣は口を開く様子がない。
「昨日の嵐凄かったわね。やっぱり桜は散っちゃって。あの後、無事帰れた?すぐ雨が降り出したでしょ?」
「…あの後はすぐ帰りました。雨が降る前に」
ようやく話し始めた蒼衣に安心し、翠は目に見えて明るくなる。
「そうだったのね、良かった!もしかしたら、雨に降られて藤白さんも体調を…」
「でもそのせいで、黄美歌は…!」
急に蒼衣は顔を上げ、強めの口調で翠の言葉を遮ったが、その後の言葉は続かなかった。
「旭さんがどうかした?あなた、昨日も旭さんのことを気にしていたようだけど、何かあったの?」
またしばらく蒼衣は黙り込んでいたが、今回は少しずつ話し始めた。朝配られた御言葉のこと、黄美歌が変なお願いをし始めたこと、そこから喧嘩になってしまったこと、そして翠と別れた後、結局謝りに行かなかったこと。
昨日起こったこと全てを、洗いざらい聞かされた翠は、何故か笑いはじめた。
「何がおかしいんですか?」
さすがの蒼衣も怒りを隠せない。
「いや、ね。藤白さんは本当に、素直な子だなと思って、つい。昨日の行動もそうだし、それを全部話してくれるところとかも含め。」
今更ながら話しすぎたことに気づき、顔を真っ赤にする蒼衣。それを見て、さらに翠は笑う。
「旭さん、親御さんから体調不良の連絡が来てるって朝礼の時も話したと思うんだけど、ちゃんと聞いてた?」
「あ…。」
「そうなの。だから藤白さんが気に病むことは何もないのよ?」
「そうだったんですね…。昨日あんなに元気そうだったのに。」
「たしかに言われてみれば、普段通り元気いっぱいの旭さんって感じだったけどもね。何にせよ、親御さんから連絡があるってことは家にはいるんでしょうし、数日経ったらまた元気な旭さんに会えるわよ。藤白さんもあまり思い詰めると体調崩すことになりかねないわ。」
「……そうですけど。」
蒼衣がまだひっかかることがあるようだ。
「…でも。そうだとしても、何かしら連絡をくれてると思うんです。今朝から何度もメッセージを送ってるのに、何も答えてくれない。LIMEの既読は付いてるのに。あの子なら、何かしらリアクションをしてくれるはずなんです。」
これまでもそうであったように。
黄美歌は自由奔放だが、心配する友達のメッセージにはどれだけ体調が悪くても答える、変に生真面目なところがある。
だからこそ、蒼衣の胸騒ぎはおさまらないのだ。
「そうは言ってもね…。」
翠は続く言葉を考えるため、再びコーヒーに口をつける。
洗いざらい話してしまった蒼衣は、今度は翠の言葉を、昨日のように何か自分を前向きにさせてくれる言葉を期待して、じっと見つめた。
しかし。
「…昨日も言ったけど…結局ね、藤白さんが気に病んだとしても、何も変わることなんてないのよ。早く元気になるように、神様にお願いするのもよし、やっぱり気になるならお見舞いに行けばいいの。素直なのもいいけど、振り回されてばかりだと、本当にあなたまで体調を崩すことになるわ。」
翠は呆れたような態度こそ見せなかったものの、早口で諭す。
蒼衣は期待とは反対の言葉が投げられ虚をつかれた。
「だから。ね?今日は早く帰ってすぐ休みなさい。そうしてるうちに、きっと不安も消えて、元気な旭さんに会えるわ。」
翠はコップに残ったコーヒーを流し込んで席を立ち、念を押すように、蒼衣の肩をポンポンと2回叩き、そのまま片付けをし始める。
蒼衣はまだ何か言いたそうに口を開くが、確かに翠の言葉は至極真っ当で、結局何も言葉が出てこなかった。
「…そう…ですね。今日も真っ直ぐ家に帰ります。」
「そうした方がいいわ。」
「先生、ありがとうございました。」
「さようなら。」
***
翠は理科準備室のドアから蒼衣を送り出し、また先ほど座っていたテーブルに腰掛ける。
「今日も無事終わったわね。職員室で片付けしたら帰りますか〜。」
伸びを一つし、机に置いていたファイルを取り上げる。その際、紙が一枚落ちた。
翠はその紙を拾い上げ、一通り確認するように上から下まで目を滑らせた後、ファイルに挟み、職員室へと戻った。
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