第3話 けんかの のち

 蒼衣は結局、晴れない顔のまま教室を後にした。

 職員室の前を通り過ぎようとすると、担任の葉月翠に声をかけられる。


「藤白さん、今日は1人?いつも旭さんと一緒なのに。喧嘩でもした?」

「黄美…旭さんとはさっき言い合いになってしまって…。喧嘩って言うほどなことではないんです。よくあることですし」

「にしては、浮かない顔ね」


 正確に言い当てられたのか、蒼衣の笑顔はどこかぎこちなくなる。


「ほんと、いつものことのはずなんです。いつもいつも、黄美歌が何かを言い出すのは突然で。みんなとは違うことを口にしたがるし、やりたがる。私はそれに付いて行くし、黄美歌もそれが当たり前だと思ってる。それでいいと思ってたのに。今日に限って、いつもより少し頭に来てしまったんです。内容が内容だったからかもしれないけど。でも今日は喧嘩にしたらいけなかったのに。先生、黄美歌に何かあったらどうしたらいいんでしょう?」


 話終わる頃には蒼衣の顔から笑顔は消え、不安に満ちていた。脈絡のない話だったが翠は事情を察し、それ以上深くは聞かない。代わりに蒼衣の頭をポンポンと叩く。


「大丈夫よ。旭さんは喧嘩したことを気にしてないだろうし、例えちょっとしたトラブルに巻き込まれちゃったとしても、上手く丸め込めるでしょ。藤白さんもそう思わない?」


 想像したのか、蒼衣の強張りが少し緩む。


「それに藤白さんが今モヤモヤ悩んでもしょうがないじゃない。あなたができることは、できるだけ早く謝ることよ。そしたら喧嘩も終わり。きっと何も起きないわ。もちろん、もうこんな時間だから早く家に帰らないとね」


 蒼衣はハッとして、勝手口に足を向けた。顔はすっかり晴れている。


「先生!聞いてくれてありがとう!私、黄美歌に謝ってきます!さようなら!」

「さようなら〜。天気も今日は良くないみたいだし、気をつけて帰りなさいね」


 翠が言い終わる頃には、蒼衣は背を向けて走り出していた。足取りも軽そうだ。


「若いっていいわね〜。あ、もうそろそろ雨も降りそうね。私も帰りますか」


 予報では今日は春の嵐。この雨風で一気に桜が散ってしまう。翠は名残惜しそうに校庭の桜を眺めた後、鞄を取りに職員室に戻った。


***


 蒼衣が校舎を出ると、たちまち強い風に驚いた。

「藤白、まだ学校に残っていたのか!今日は早く帰りなさい。神様の予報でも今日夕方は出歩くなという話だっただろう。このまま雨も降るらしいからかなわん。とにかくこのまま真っ直ぐ家に帰るんだぞ!」


 体育の太田先生も帰るところのようだ。蒼衣が外から職員室を覗くと、ほとんどの先生が帰り支度をしている。


「…そうですね。そうします、太田先生。さようなら」

「はい、さよなら」


 蒼衣と黄美歌の家は近く、もちろん方向は同じ、学校の北側だ。分かれ道の三叉路まで来て、蒼衣は立ち止まった。風の勢いは増すばかりだ。傘は役に立たないので、このまま雨が降れば、濡れるのは確実だ。


「黄美歌に謝らないといけない。でも早く帰らないと…」


 神様の御言葉に背く。

 三叉路の入り口を行ったり来たりしているうちに一粒の雨。

 蒼衣の足は、三叉路の向かって右側、自身の家へと向いた。


「ただいま戻りました」

「蒼衣ちゃん、お帰りなさい」


 蒼衣の帰る家、街の小さな修道院の玄関に入ると、修道委員長が出迎える。


「今日は少し…遅かったのね。予報では早く帰るように、とのことだったのに」

「そうなの。ちょっとだけ学校でやることがあって」

「そう。もう中学3年生だし、大変なのね」

「うん」


 話しながら真っ直ぐ奥の教会堂へと進む。

祭壇の前まで来ると、蒼衣は膝を折り、両手を組んで目を瞑る。帰宅時の日課である。祈りが終わると、後ろに控えていた院長に再び向き直る。


「今日は少し勉強してから、お勤め入るね」

「分かったわ。勉強頑張りなさい」


 院長と別れて自室に入ると、ベッドに体を投げ出し、しばらくぼーっとする。スマホを取り出すも、無意味にいじるだけだ。

 すると突然ドアが叩かれる。慌てて蒼衣はベッドに座り直した。


「蒼衣ちゃん、来客があって…」

「え!まさか黄美歌…!」

「いいえ、知らない男の方よ。今日、西の方の教会から、うちを管轄する教会に移ってきたからご挨拶だって。

あなたも出てご挨拶する?」


 憧れの聖職者の来訪。本来の蒼衣であれば飛びつくところだ。


「ちょっと今手が離せなくて」

「分かったわ。邪魔してごめんなさいね」


 嘘をついてしまったようで、蒼衣は1人、バツが悪そうな顔になった。

 院長が自室前から離れていった後、蒼衣も深く深呼吸をして勉強机の方に座り直す。


「とりあえず勉強」


 蒼衣は机に向き直り、今日の授業で出た課題と、明日の授業の予習をしっかりこなす。


「蒼衣ちゃん〜。そろそろいいかしら?」

「はい。ただいま!」


 勉強がひと通り終わったのを見計らったように、お勤め、基本的な家事を任される。普段なら畑仕事もあるが、今日は悪天候のためする必要がない。とはいえ、やることは山積みだ。

 あれよあれよという間に、夕飯の時間になり、入浴、修道女全員集まってのお祈りを終え、自室に戻って落ち着いた時にはすっかり夜が更けていた。

 再びスマホの画面を見つめ逡巡するが、結局閉じて眠りにつく。


「大丈夫、明日きちんと謝ろう」


 翌朝、黄美歌は学校に来なかった。

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