第2話 ねがいの ゆくえ

 今日の蒼衣たちのクラスは、数学、国語、地理と酷な時間割が続く。極めつけに4時間目は歴史。毎週木曜日のこの時間帯は、1週間で1番空気が重い。

 歴史担当のおじいちゃん先生は、穏やかな声音で授業を進める。

 

「ではここからは、この国、日本聖教国に『神様』が君臨された頃についてを扱います。教科書は105ページを開いてください。


 先日習ったように1900年代から2000年代にかけて、当時の『日本国』は世界で大きな存在感を示し、非常に豊かで平和な国と言われていました。しかし、2050年頃から一気に国力は低下し、この国は近々終わる、と言われるまでになりました。

 

 広がる一方の貧富の差。上がらない賃金。働くことに意欲が持てないばかりか過度な労働に精神をすり減らされた若者達は、自ら命を断っていきました。少子化も相まって労働人口の低下は歯止めをかけられない。

 

 傾きかけた日本を救うよう、神様が顕現されました。2102年2月25日の出来事です。当時、あらゆる電子機器から神様のお声が響いたと言われています。初めは信者として一部の人々が信じる宗教とされていましたが、特にその予知の的確性は世界に類を見ないほどで、たちまち日本を、かつての豊かな国へと蘇らされました。

 

 我々が豊かな国『日本』で暮らせるのは全て神様のおかげであり、全ての国民は神様の眼差しの下にあります。神様に栄光あれ!

 おっと、熱くなり過ぎてしまいましたね。では続いて…」


 教室は真剣に聞いている者から、上の空のように見える者まで様々だが、寝ている者は1人としていない。なぜなら『神様』がからだ。


 とはいえ、例外もいる。蒼衣の頭に丸められた紙が当たった。振り向くとその先にはニヤニヤした黄美歌。


『私、蒼衣の力を借りて、叶えたい願い事あるんだよねー。放課後話そ!』


 蒼衣は盛大にため息をつく。顔に「めんどうくさい」と書かれているのが読めた。再び蒼衣が黄美歌の方を振り向くと、さらにニヤニヤ顔が増していた。

 蒼衣は身震いを一つし、現実逃避のためか先ほどよりも真剣に黒板を見つめた。


***


「私の願い事、叶えてよ蒼衣〜!」

「すごく嫌な予感しかしない……」


窓から風が吹き込んでくる。放課後掃除したばかりの教室の床に桜の花びらが数枚落ちた。


「そんなこと言わないでよ〜。今日の御言葉は、『人に全力で頼れ』なんだから」

「御言葉を捻じ曲げて解釈するとか信じられないし。そろそろ私が怒るし、その前に呼び出しくらって、最悪……教会に連れてかれちゃうよ?」


 後半はできるだけ声をひそめながらも、蒼衣の語気は強い。


「今日呼び出されてた黒崎くん、あの子認可ないのに絵を描いて、裏サイトで発表してたんでしょ?あの子もいよいよ明日から来ないかも…」

「私は別に何かしたわけじゃないし〜」

ね?」

「そんなことより、お願い聞いて!と言ってもお願い叶えるためのお願い…かな?」

「……」


 蒼衣はなんやかんやで聞いてくれることも織り込み済みの黄美歌は、当然のように先を続ける。


「『藍色聖書』。私、あれを探したい」

「それ本気で言ってるの?」

「小さい頃、2人で探したじゃん」

「あの頃は私も何も知らなかったから…。でも今はそんな恐ろしいこと…」

「一般的な白い表紙の聖書は、世が太平されて以来長く信仰されている正教徒の書。一方で藍色の聖書は古来の信仰が示されており、邪教と位置付けられている。噂によると、神様の存在すら否定しているとされていて……」


 蒼衣の顔が青ざめ、心底軽蔑した目を黄美歌に向ける。


「そんな、口にするのも恐ろしいものを探しに行こうと言うの?」

「でも。でもその藍色聖書を使って、私は叶えたい願いがあるの…。藍色聖書がないと叶えられない…」


 いつも必ずおちゃらけている黄美歌が、至極真面目な表情を浮かべていた。そのことに蒼衣は一瞬驚いた表情を見せたが、それより上回る感情に上書きされる。


「そんなものに頼らないと叶えられない願いなんて、この世にあるわけないし、もしあるとするなら、それは叶えられるべきものではないよ」 

「蒼衣の言う通り、叶えるべきではないのかもしれない。でも今日の御言葉で、『願い事は人の助けを』って見た時に、今日、このことを蒼衣に相談すべきだと思ったの」

「なんでそんな急に…。黄美歌のことは友達、いや親友だと思ってるし、私は結局、どんなお願いでも聞いてあげるんだろうなと思ってた。でもこんなお願いだけは、どうしても聞いてあげられない」

 

 蒼衣は落ち着いた様子に見える。しかし声だけは確かに震えていた。


「聞いて、蒼衣。本当に藍色聖書がないと、叶えられない願いなの…。私実は…」

「ごめん、聞きたくない。黄美歌も頭冷やしなよ。その感じだと、いつもの突発的なやつでしょ?明日になったらきっと忘れてる」

「そんなわけ…。もういいよ。蒼衣は、友達よりも神様なんだね」

「そんなの当たり前じゃない。誰だってそうよ。今日の歴史の柴田先生だって葉月先生だって。あなたのお父さんお母さんだって」


黄美歌の頬が強張る。


「蒼衣なら、聞いてくれると思ってた」


 そう言って、黄美歌は鞄を持って、放課後の教室から逃げるように帰っていった。

 一方の蒼衣は、しばらく窓際の自席に座ったまま、外を眺める。窓から吹き込む強い風が、蒼衣のショートヘアをなびかせていた。

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