”悠久”という時の流れは、我々にとって”永遠”

くるをさんワールド全開かな?

終活を思わせる作品。
その最終章を、誰かの手に委ねる女性。

きっと、いつかは追体験するかもしれない情景。
そして、最後に問いかける”永遠”への探求。

この落差が、とても興味深い作品です。

私個人としては、”永遠”は存在しないと思います。

しかし、”悠久”という時間軸は存在しています。
それが、我々の”一生”という時間枠に収まらないため、”永遠”という概念に囚われてしまうのでしょう。

人の一生は、個人レベルでは限られた時間ですが、子や孫へ語り継がれる"あなた”という存在は悠久を生き続けるのです。

いやぁ、おじさん、お馬鹿なこと書いちゃってゴメンナサイ。

でも、みんな読んで下さいよ、”生きる”事ができますよ。