Let It be

 放課後、僕はいつもみたいに亜黒の演奏を隣で聴いていた。亜黒は新しく別の曲を練習しているみたいだった。

「それ、なんて曲? いつも弾いてるバンドの曲?」

「うん。let It beって曲」

 僕はなるべく、今までの亜黒との会話のテンポに身を委ねて、ぎこちない雰囲気にならないように心掛けた。若干空元気になっている気がしなくもないけれど、明るい気持ちでいられるだけましだ。

 亜黒と会話を重ねる中で、僕の中にあった期待や不安は、少しずつ消えていった。

 この状態で、殺した人と仲良くする僕を非難する人は誰もいない。大丈夫だ。そうやって自分を落ち着かせた。

 そして僕は目を瞑り、亜黒の音色を感じ取ることに集中した。新しく覚えた曲ということもあってか、少しぎこちなさは感じたけれど、触れられそうで触れられないものがあるような亜黒の出す音色は変わらず、けれども優しい曲調に、危うく涙が出そうになった。疲れ切っていた僕の精神を包みこんでくれるみたいで、僕はとても穏やかな気持ちになれた。

 僕は目を開け、小さな拍手を送った。

「どうだった?」

 少し恥ずかしそうな顔をした亜黒が、僕に訊く。

「うん、すごくよかったよ。なんか、優しい感じ。……うまく言えないけど」

 中学生の感想なんてこんなものだ。

「そう、ありがと」

 亜黒はそう言って、僕から目を逸らし、夕日を反射する鍵盤に目を落とす。

「ねえ、どうして別の曲弾こうと思ったの?」

 僕はそう訊いた。いつの間にか、気分はいつもの僕たちのものに戻っていた。

 亜黒は少し考えて言った。

「ずっといつもの曲だと、まーくん飽きるかなーって。そう思って練習してた」

「え⁉ ほんと⁉」

 そう言うと、亜黒はふふっと笑った。

 僕は、亜黒が僕のことを考えながら新しく曲を練習していたのだと知って、とてもうれしかった。いつの間にか、朝抱えていた不安は消えてしまっていた。告白するためにどうしたらいいかとか、今はそんなことどうでもよかった。こういう風に亜黒と話しているのが楽しかった。


 五時になっていつものように亮二が来て、いつものように三人で帰った。午前中は曇っていたけれど、放課後には夕焼けの色が街中を包んでいた。

 スーパーの隣を通ると、広場が見えてくる。その広場が見えてくると、僕は昨日、ベンチに座っていたことを思い出す。なんだか、自分がこの中に入ってはいけないような気分になる。

 亜黒と亮二は、数日後にある修学旅行のことを話している。

「どう? あっくん、自由散策のコース決まった? 確かまーくんとおんなじ班だったよな?」

 そう言って亮二は僕を見る。内心焦りながら僕はうん、と答える。

「あ、あっくんがリーダーなんだっけ」

「そうだよ」

「どう、結構大変じゃない?」

「いや別に、俺の班そこまで行く場所に興味ない感じでさ。適当なとこ頼むわー、って言われてる」

「えーマジ? 俺の班とかめっちゃ大変なんだけど! 特に女子が! なんなのあいつら⁉ ここの店SNS映えしそー! とか言ってきて、その店めっちゃ高いし! てかスマホ禁止だろおい!」

 そんな感じで亮二がつらつらと愚痴を述べ、亜黒は笑っている。その様子が、夕焼けの明るさも相まって、僕にはやけにまぶしく映った。

 そんな二人の中にうまく自分が溶け込めているのか、少し不安になる。


 僕たちは帰宅途中にある亜黒の家の前まで行き、僕と亮二は玄関に入る亜黒に手を振った。

「じゃあ、また明日!」

 そう亮二は言い、亜黒もじゃあね、と返す。

 そして僕たちは同じマンションに向けて歩き出した。

 僕の前を亮二が歩き、少しだけお互いに何も言わない時間が流れる。どうしよう、どうしようと、僕の心は焦っていく。今日一日、僕はいつものように亜黒と亮二に接していたつもりだけど、内心僕が不安を抱えているのを、亮二はもう分かっているのかもしれない。

 亮二は短絡的な人に見えて、人の心には敏感なのだ。僕の感情が読み取られやすいものなのか、亮二がそういう力に長けているのかわからないけれど、亮二は僕の悩みや感情を言い当ててくることが多い。昨日の、別の世界線の亮二だって、亜黒が死んでしまったのはなぜなのか、薄々感づいていたのだと思う。

 住宅街の中、一軒家を一つ一つ過ぎるたび、僕はだんだん気まずくなっていく。

 すると、亮二が歩みを止めて、僕の方へ振り返った。僕も、ピタッと歩みを止める。

「どしたの? なんか今日元気ないじゃん」

 特に真剣そうな顔をするわけでもなく、亮二は訊いた。

「え、えっと……」

 なんと答えていいのか分からず、僕はしどろもどろになってしまう。

 亮二から見て僕が、元気がないように見えている原因を、僕は急いで探す。

 そうだ、朝、僕は亜黒に告白できるかどうか、僕は不安だったのだ。そう分かると、僕はあることを思いついた。

「あ、えっと、あの公園のベンチで、ちょっと話していいかな……」

 僕は曲がり角にある小さな公園を指さした。

「ああ、いいぜ」


「えっと……」

 思いついたはいいものの、やっぱり勇気が必要だ。

 一応公園であると主張しているような、小さな遊具の中、僕はベンチに座って黙り込んでしまう。隣では、亮二が静かに、僕が口を開くのを優しく待っている。

「えっと、実は僕、あっくんが好きっていうか……」

 好き。その二文字を外の空気に吐き出しただけで、僕は顔が真っ赤になって恥ずかしくなる。僕が思いついたのは、友達である亮二にどうすれば告白できるか相談することだった。

「あの、友達としてとかじゃなくて、えっと……」

 変な風に思われないだろうか、馬鹿にされないだろうか。亮二は絶対にそんなことはしないと分かっていても、僕は不安を膨らませていく。だって、亮二はずっと、僕よりも長い間、亜黒と友達だったのだ。亮二は今、亜黒を好きだと言った僕のことをどう思っているのだろう。

 肌寒い風が、僕らの間を通り過ぎ、熱くなった僕の顔の熱を少しだけ奪っていく。

 少しすると、隣からふふっという微笑みが聞こえ、僕はさっと亮二の方を向いた。

「なーんだ! そんなことか!」

 亮二は、ギャグマンガにでも載せたくなるほどの、明るいニコニコとした笑顔で、僕の肩をぱんぱんと優しく叩いていた。


 

 

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