いるはずのない人間

「最近、学校はどう?」

 朝食、目の前に座るお母さんは、抑揚のない声で僕に訊いた。僕が昨日目にしたことをお母さんに伝えると、お母さんは僕が狂ってしまったのだと思うだろう。

「全然大丈夫だよ。なんの問題もない」

「そう、ならいいわ」

 お母さんの反応から、本当にこの世界では、亜黒の死がなかったことにされているのだと初めて実感した。昨日までのお母さんは、僕が亜黒を殺してしまったことを知らずに、友達を亡くした僕の心身を心配してくれていた。最近学校はどう、とたわいもない会話をしてくるということは、この状況はなんでもなく流れていく日常の中の一つのページなのだ。その中に、僕という異物が紛れ込んでいるということには、ハイイロさん以外誰も知る由などない。

 僕の家は母子家庭で、お母さんは僕が小学生の年頃にも満たない頃にお父さんと離婚したらしい。よそからしたら、お母さんの声色はとても冷徹なものに聞こえるかもしれないけれど、お母さんはきっと、僕が安心して暮らしていることにとても安堵しているのだと思う。小学生の頃は、僕はずっとお母さんを心配させていたから。

 僕は、僕が日常の中の一ページに紛れ込む異物であることを自覚しながら、あたかもその中の住人であるかのようにふるまわなければいけない。僕はこの世界で、悪者扱いされることなんてないのだから。

 僕はいつものように朝食を食べ終え、いつものように歯を磨き、うがいをし、顔を洗い、準備をしてマンションから出た。

 

 登校中、僕は全く別の世界線に来たのだと思わせるものがあった。

 通学路の坂道に、交通規制がなされていた。勿論坂道には僕がつけた血痕などなく、僕は黄色いテープの前で、この事故とは全く関係のない人間となっているのだとはっきりわかった。

 僕は、いつもとは違うルートで登校することにした。

 曇り空の中、僕は通り慣れない住宅街の道を歩きながら、一人考えていた。

 この世界でキミはどうしたい? というハイイロさんの問いに、僕は亜黒への告白をやり直したいと答えた。それは、告白をやり直して、罰欲センサーという魔法に縋るのをやめるという意思表示でもあった。

 けれど、僕はどうやって告白をやり直せばよいのだろう。もし今、亜黒に告白をするのだとすれば、間違いなくあの言葉が飛んでくるだろう。

『俺とどんな気持ちで一緒にいたんだよ。ほんとキモイ』

 僕はあの、亜黒の言葉を思い出していた。僕は、落ち着いていて、みんなにも優しいあの亜黒が、そんなことを言うのが信じられなかった。けれどもあの言葉は本心だったような気がしてならない。

 僕は、一瞬体に嫌な寒気が走った。あの記憶は、いつの間にか自分の中でトラウマとして植え付けられていたみたいだ。

 そう分かると、僕は、亜黒への告白をやり直すことへの難しさが、だんだん現実味を帯びてきているように思えた。こんな状態で、僕は告白なんかできない。それでも、僕は亜黒のことを好きだと思っているのは確かなのだ。

 僕は鞄の中の水筒を取り出して、温かいお茶を飲んで自分を落ち着かせた。

 白い息が、僕の口から吐き出される。

 こんなことを考えていたって仕方がない。とにかく、亜黒に会わないと何も始まらない。

 僕はなるべく何も考えずに、学校まで歩いた。


 校門を通りながら、上靴に履き替えながら、廊下を歩きながら、僕の心臓は高鳴っていた。今から僕が目にするものは、僕の犯してしまった罪そのもの。それを、僕は目の当たりにしないといけない。

 周りを歩く人たちは、たわいない会話で盛り上がっていて、誰も、亜黒の話題なんて口に出さない。

 やがて、二年の教室が見えてくる。

 僕の心拍音が、嘘みたいに体中に響いている。

 それはきっと、朝から今になるまで心の中でずっと反芻していた、亜黒に会えるという少しの期待と、本当にあっていいのかという不安からくるものだった。

 僕は、教室のドアを開ける。

 教室に入り、僕は周囲を見回す。

 今日の部活だるい、なんていう話で盛り上がる人達、アニメキャラの推しを語り合う人達、そんな明るい声を上げる教室の中、僕は見つけた。決しているはずのない存在を。


 亜黒が、机に座っている亮二と楽しそうに話していた。


 

 

 

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