第4話 告白のやり直し

神様が見せてくれた夢

 数秒間、僕はベッドの上で何もない暗い天井を見上げていた。

 その間に、僕はさっきまで起こっていた事実をまとめていた。

 車に轢かれて、それで、坂の下まで転げ落ちて、時間が止まって、血痕から謎の赤い糸が出てきて、僕はそれに包まれて……。いま、ここでベットの上で、パジャマ姿で目を覚ましている。体は、なんの痛みも感じていない。もしかして、さっきまでのことは夢だったんじゃないか……。

 しかし、その僕の考えは小さい男の子の声でかき消されてしまった。

「車に轢かれるなんて、ラッキーだったというべきか、それとも災難だったというべきか……」

 呆れているようで、それでいてなんだか少し楽しそうな声。

 僕はその声が聞こえて、体を起き上がらせる。

 そこにいたのは、昨日会った、謎の男の子だった。自室のドアの前から、僕を見ていた。

「ハイイロ、さん……。これって……」

「魔法が発動したんだよ」

 僕はあたりを見回す。デジタル時計から、今は車に轢かれた次の日の午前五時半だということが分かった。

「じゃあ、僕の罪は……」

「ああ、今は完璧に消えている。あんたは今、完全に潔白の身だ」

「僕が、事故にあったから?」

「ああ。あの時あんたの体は傷ついただろう? それが罰となったんだ」

「あの車って……」

 僕は、あのタイミングで車が突っ込んでくるのが、何故だか偶然だとは思えなかった。

「あの車とボクは何の関係もないよ。どうせ飲酒運転でもしてたんでしょ。あ、でも……」

「でも?」

 そう言って、ハイイロさんは白い歯が分かりやすく見えるほどに、にやりと口角を上げた。

「あんたが交通事故に遭うタイミングになるまで、ボクがキミを引き留めてしまった、と考えれば、キミが車に轢かれたのはボクのせいだとも言えなくもないけどね」

 軽い口調で言うハイイロさんの声に、鳥肌が立つ。

 そうだ、僕がハイイロさんに話しかけられなければ、あの時、事故に遭わなくて済んだんだ。これはハイイロさんが狙ってやったことなのかどうか、判断がつかない。僕は本当に、人間のさまざまなものを超越した存在と出会ってしまったのかもしれない。

「ねえ、訊きたいことがいろいろあるんだけど……」

 とりあえず今の状況を整理したくて、僕は言った。

「そうだね。具体的な話は明日にしようって約束だったからね」

 ハイイロさんは、説明を始める。

「まず最初に、あんたに設けられた制限時間の話をしよう」

「制限時間……」

「言ったでしょ? 自分を傷つけて、『一定期間内で』罪を無くすことが出来るって。昨日あんたが受けた痛みからして、設けられた制限時間は十日間だ」

 十日間。長いとも、短いともつかない期間だった。

「十日間、それを過ぎると、どうなるの?」

「SFとかでよく見るパラレルワールドってのを想像するとわかりやすいかもね。元の、罪を背負った世界線に戻るのさ。この潔白な状態を継続させるには、また自分を傷つけないといけなくなる。制限時間はあんたが受けた痛みによって変わる。痛ければ痛いほど、制限時間は長くなるってことだ」

「十日経ったら、また自分を傷つけないといけないってこと?」

「まあ、あんたが継続を望むならね」

 十日経ったら、今度は自分の意思で、自分を傷つけないといけないのだ。

「じゃあ、次に、この世界について説明する。ここは、あんたが嘉瀬亜黒を殺さなかった場合の世界線だ。この世界線には、あんたが亜黒を殺してしまった原因である事柄もすべてなかったことにされている。キミが亜黒に告白をしたことも、亜黒にキミの部屋に来るように言ったこともね。後別に話すことでもないだろうけど、あの交通事故は無かったことにはされていないよ。あんたが亜黒を殺そうが殺さまいが、あの交通事故には何の関係もないからね。あんたがあの場所にいて、轢かれたという事実だけがなかったことにされているんだ」

「この世界では、亜黒に会えるんだよね?」

「ああ、そうさ。じゃあ、最後にボクからの質問だ」

 僕は、ごくりと唾を飲む。

「キミは、罪がなかったことにされたこの世界で、これからどうしたい?」

 答えは、たった一つだった。


「告白を、ちゃんとやり直したい。あの時は、パニックになってしまって、殺すつもりもなかったのに亜黒を殺してしまったんだ。だから、もう一度きちんと想いは伝えるんだ」


 自分が殺した人との関係をやり直すだなんて、正気の沙汰ではない。そんなの分かっている。だけれど、僕は僕を傷つけて、それを罰にしてやり直す権利を与えられた。潔白な人間に、もう一度戻れたのだ。

「……わかった」

 と、ハイイロさんは言った。

「どうかしてるって、思わないの?」

「それをあんたが訊くことがどうかしてるさ。それに、殺人犯の罪をなかったことにする魔法を与えたボクだってどうかしている。罪はなかったことになったのさ。自分の頭で考えて、好きにやりなよ。ボクはキミに魔法を与え、それについて説明するだけさ。基本的にはね」

 まるで、明晰夢を見れる人が悪夢に悩まされている人の相談に軽く答えているみたいだった。そこは君の夢の中なんだから、好きなように好きな夢に変えればいい、というように。

 そうだ。この状態は、夢の中みたいなものなのだ。僕が罰を受ける前に、神様が見せてくれた夢。

 亜黒に僕の想いが伝わったら、僕はきっと、神様にこの夢を終わらせるように言うだろう。


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