第36話

目が覚める。

昨日。私は。


小林彩美に声をかけた。

「私の友人が、売りをしているような発言をするアカウントを消してください。」

背筋を伸ばし、胸を少し張り、顎を引き。

怒りを露わにして。レジカウンターには、店内には今、私一人しかいない。バックルームにもう一人休憩しているだけだ。

この時間のシフトは、これで充分。監視カメラもあるが音は拾わない。

小林だったり。小川だったり。だって、そうなのだ。まるで、大袈裟に言ってしまえば。

作家と本人。

小川は私に気づいていた。突然の怒りにも、動じない。


本が友達だった。父の怒声から逃げていた。でも母の家族にも頼れない。そんな身の上。

もしかしたら。

「アリアとエリス、両方になりたいんですか。」

小川彩美は、小林彩美でもない、でも他の誰でもない佇まいをそこに存在させて。

「自費出版の小説、初めて読んだ。でも、それで苦手な作家がいる。苦手な作品を、苦手な作家が作り出す」。

編集者って、とても必要だと思う。

彼女は言う。

本当は何冊いままで読んできたの。どこまでのジャンルを網羅したの。

すべては、でまかせではないの。それでも彼女もまた、図書館に通う一人の少女だったと言う。

お金がなくても、本が読める。

図書館の話もしたかと思うが、問題は犯罪にだって、慰謝料にだって発展するかもしれない。


小川彩美は微笑んだ。

アカウントは消す。訴えられたくない。しちゃいけないことをしてしまった。良識ある行動が取れなかった。


「どんな説明も、口に出してしまえば言い訳です。」


この点について、私は絶対に許せない。

親友を、思っているのもある。世の中もっと危ないアカウントがある。


「産みの苦しみはどうでしたか。」

彼女の小説は、ちゃんと完結していた。

タイトルは、〈篠崎彩美のものがたり〉。


書き手はこんな時なのにわらってから、

「涙も出なかった」。


それは一人の悪質で陰湿な、美しい社会人が、うんと、幸せになるまでのものがたり。


「不幸にすればよかったのに」

「それはインスタのストーリーで散々やった」

「Twitterじゃなくて?!」


どうだろうね、と彼女は笑う。


「私と彼の初体験と、夫婦生活、書いたこと恨みますからね」心底恨めしく言う。なかなかの濡れ場だった。読んで逆上した夫に「ほんとはアイツにどこまで触らせたんだ!ほかに、どんなことされた?!」と言葉責めされながら初めて荒々しく、激しく、愛された。


何もかも書きやがった。想像だけでぜんぶ!ぜんぶ!!


アカウントは消す。ご友人にも、勿論、一切庇わなくていい。

ほんとは庇ってもらいたいし言ってほしくもない。しかし、彩美はそのアカウントを知っていて放置して、ちょいちょいまたニヤつきながら眺めている。


「恨まれてもいい。憎まれっ子、世に憚る」


なんだそれは。聞いたことがない。

「どういう意味ですか?」

「ひどい奴ほど長生きして世にはばかる。」

はあっ、と、息を飲んだ。

「他には?」

「けっこうけだらけ、ねこはいだらけ。あとは、あがりめ、さがりめ、ねーこのめ。意味は特にない」

なんだかがっかりした。でも。

「恨まれても憎まれても生きたい、という事でしょうか。お客様」

店員の問いに、売り上げは儚げに応える。


今日は本を買いに来ただけだから。




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