第8話:近いうちに

「じゃあ、俺らは帰るよ」


「うん。またね」


 海菜さんが仕事に行くタイミングで、俺と坂本も家を出た。坂本と別れて、一人になったタイミングで海菜さんに声をかけられる。


「桜庭くん、ちょっとだけ良いかな」


「俺は大丈夫ですけど……今から仕事じゃないんですか?」


「大丈夫大丈夫。すぐ済む。あんまり時間ないから単刀直入に言うね。君、愛華のこと好きだよね」


「……はい」


「あー。そんな警戒しないで。別に娘に近づくなって言いたいわけじゃない。そこまで過保護じゃないつもりだよ私は。ただ……君と愛華が、昔の自分と友人に重なってね」


「海菜さんの?」


「そう。……彼は私に恋愛感情を抱いていた。私はそれが嫌だった。だから気づかないふりをした」


「……彼女も同じだと?」


「いや。彼女は本当に気付いてないと思うよ。というか……気づけないのかも」


「気付けない?」


「……桜庭くんさ、君の愛華に対する想いは、ただの恋じゃないよね? 付き合いたいとか側にいたいとか、それ以前に大事にしたいって、思ってくれてるよね?」


「俺は……彼女には笑っていてほしいです。あいつの泣いてる顔を見るのはフラれるより辛いです」


「……そっか。やっぱり君は似てるなぁ」


「友人にですか?」


 その問いには答えず、彼女は「娘のこと、愛してくれてありがとね」と笑う。


「あ、愛……って言われると……ちょっと……」


「あははっ。恥ずかしい? けど、誰かを愛することは恥ずかしいことじゃないよ。それと、捨てなきゃいけないものでもない」


「……でも、あいつは多分俺のこと……」


「あぁ、えっとね。私が思うに、愛と恋は別物だと思うんだ」


「恋と愛は別?」


「恋は時に諦めなきゃいけない。けど、恋を諦めても愛することをやめる必要はないと思うんだ。愛は恋愛だけじゃなくて、友愛とか家族愛とか、色々な愛があるんだよ。私は彼をフったけど、友人として彼を愛してる。彼も今は普通に友人として接してくれてる。恋愛感情が友情の崩壊に繋がることもあるけど、君達と愛華ならきっと大丈夫」


「……そう……だと信じたいです。俺も」


「信じて。大丈夫だって。……なんでこんな話をするかっていうとね、あの子は多分、近いうちに辛い過去と向き合わざるを得なくなる時が来ると思うんだ。そうなった時に、あの子を支えてあげてほしい」


「近いうちに? なんでそう思うんですか?」


「うーん……大人の勘?」


「なんですかそれ」


「もしかしたら今日かもしれないし、明日かもしれない」


「そんなにすぐに?」


「うん。本当にそれくらいすぐだと思う。あぁでも、君一人で頑張る必要はないからね。私も妻も居るし……そう身構えておく必要はないと思う。むしろ、俺が守らなきゃってなると逆に重荷になっちゃうかも」


「……過保護になるなってことですね」


「そうだね。……もしかして満ちゃん——カウンセラーの月島先生にも似たようなこと言われた?」


「はい」


「そっか。なら、私が口を出すまでもなかったな」


「いえ。ありがとうございます」


 彼女が頭を下げると、彼女の電話が鳴った。その瞬間に応答し「今行きます」とだけ言ってスマホをしまう。


「最後にこれだけは言わせて。例え今後何が起きても、あの子を好きになった自分を責めることは絶対にしないで。君が自分を責めれば、きっとあの子もまた自分を責めてしまうから。それじゃ」


 そう言い残すと彼女は俺に手を振りながら目にも止まらぬ速さで走り去っていった。


「はっや……てか、やっぱ時間ギリギリなんじゃん」


 この時俺は、海菜さんの言う勘を信じてはいなかった。彼女の過去のトラウマのことを、心の奥底にある闇をどこか甘く見ていたのかもしれない。

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