第7話:いつかは話すから

 その日の放課後。俺は坂本と一緒に彼女の家へ向かった。小森は学校にスマホを持ち込んだことが担任に見つかり、呼び出されたため置いて行くことに。


「桜庭くん、ちょっと待って」


「ん?」


 彼女の家の近くまでくると、坂本は近くの自販機に走って行った。戻ってきたその手にははちみつレモンのジュース。坂本はそれを「お金返さなくて良いから」と言って彼女に渡した。彼女はそれを受け取るとソファに座り、下腹を温めるようにして膝の上に置いた。それを見て、姉がよく生理痛が辛いと言って同じように腹を温めていたのを思い出し、彼女の体調不良の原因をなんとなく察した。男の俺には分からないが、姉曰く、女に生まれたことを呪うくらい辛いらしい。


「……俺もなんか買えばよかったか?」


「ふふ。来てくれるだけで充分だよ」


 ありがとう。桜庭くんと彼女は微笑む。告白すると決めたからだろうか。以前より笑顔の眩しさが増した気がする。思わず目を逸らす。


「二人とも、上がって」


「「お邪魔します」」


 家に上がらせてもらい、彼女についていく。なんだか良い匂いがする。リビングに行くと、背の高い女性が二人分の土鍋をカウンターの上に用意していた。


「いらっしゃい。あれ? 希空ちゃんは?」


「スマホ持ち込んだのがバレたんだって」


「あらら。何やってんだか」


 この女性が彼女の母親なのだろう。背が高いとは聞いていたから170くらいを想像していたが、思った以上に高い。


「……二人とも?」


 小桜に顔を覗き込まれてハッとする。


「はっ……。す、すまん。あの、俺、桜庭楓って言います」


「あぁ、君が例の転校生か。愛華の初めての友達の」


「え、あ、は、はい」


「愛華の母親の鈴木すずき海菜うみなです。聞いてると思うけど、私は女性と結婚していてね。うちは父親は居なくて、母親二人なんだ。あと、別姓婚だから愛華とは苗字が違うけど、戸籍上はちゃんと親子です」


「……」


 女性だと聞いていたし、声は確かに女性だ。しかし、やはり背が高い。カッコいい。そして、なんだか不思議な雰囲気の人だ。


「……その……カッコいいっすね」


「ふっ……あははっ! ありがとう。よく言われる。男性に間違えられたり、本当に女性なの? みたいな反応されることは多いけど、こう見えても一応、女性です」


「わ、分かってます」


「ふふ。性別を疑っちゃって失礼だなとか思わなくていいからね。昔からこうだし、私は性別不詳な自分が好きだから」


 そう言いながら海菜さんは小桜の隣に座って土鍋の蓋を開ける。その瞬間、ふわっと梅の甘酸っぱい香りが漂った。「美味しそう」と坂本が唾を呑んでから呟く。彼女はいつも三段重ねの大きめの弁当を持ってきている。その上、たまに小桜が食べきれなかった分をもらっている。細身の割には食いしん坊だ。


「翼ちゃんの分も作ろうか?」


「い、いえ! お構いなく! 夕食入らなくなるので!」


「……いや、お前なら全然余裕だろ」


「う、うるさいなぁ! もー! 私今ダイエット中なの!」


「……え……ダイエット……?」


 今日の昼もいつも通り三段重ねのお弁当をきっちり完食していたのにどの口が言うのか。そもそも彼女は元々細いから痩せる必要もなさそうだが。


「翼ちゃんはダイエットなんて必要無いと思うけどなぁ」


「うぅ……でも、この間2キロも増えてて……」


「そりゃあれだけ食ってたらな」


「うるさいなぁ! もう!」


「2キロぐらい誤差だよ」


「いや、誤差では無いと思いますけど」


 思わず突っ込んでしまった。そういうことを言うような人には見えない。


「女の子には太りやすい時期があるんだよ」


「そうなんすか?」


「そう。基礎体温つけておくと良いよ。今太りやすい時期だなって分かるから」


「基礎体温……?」


 坂本と一緒に首を傾げる。「いずれ保健の授業で習うんだけど」と海菜さんは説明してくれた。


「女性の身体には低温期と高温期ってあってね。高温期の終わり頃が太りやすい時期なんだ。二、三キロの増加は想定内だから、あまり気にする必要はないよ」


「そう……なんですか……」


「それよりも、無理にダイエットする方が身体に悪影響だからね。特に今は成長期だから、食事は抜かないように。もちろん、食べ過ぎも良く無いけど」


 そういえば、今はまだ夕方だ。小桜はともかく、何故海菜さんまで食べているのだろうかと今更ながらに気になってきた。


「ん? 桜庭くんも食べたくなってきた?」


「いや……いつもこんな時間に夕食食ってんのかなって」


「あぁ、私はこの後仕事だからね。愛華はお昼まだ食べてないから、遅めの昼食」


「この後?」


「海菜さんは夜勤なんだ」


「あぁ、バーテンダーだって言ってたな」


 そういえば以前小桜が言っていた。夜勤と日勤で一緒に過ごす時間が少ないから交換日記でコミュニケーションを取っていると。


「そう。私は夜勤で、妻は日勤。ちょうど入れ替わりで出勤するんだ」


「帰ってくるのって、深夜ですか?」


「うん。そう」


「ってことは、同じ家に暮らしてるのに、あんまり顔合わせないんですか?」


「うん」


「の割にはいつもラブラブですよね。何か婦婦円満の秘訣とかあるんですか?」


 質問責めをする坂本。彼女は確か恋人は居なかったはずだが、聞いてどうするのだろう。


「恋人居ないのに聞いてどうすんだ」


「うるさいなぁ。これから役立つ日が来るんだよ」


「ちょっと顔の良いロリコンに引っかかりそう」


引っかかんないわよ」


?え? すでに一回引っかかったことあんの?」


「……若気の至りってやつよ」


「中学生が何言ってんだ」


「うるさいなぁ。とにかく、私はもう年上は懲り懲りなの」


「年上好きなくせに?」


「好きだよ。けど、もう付き合いたいとは思わない。まともな大人は中学生に手出さないって身をもって知ったから」


 どうやら俺の知らない間に色々あったらしい。


「……ふぅん。けどさ、お前の好きなのぞむ様もちょっとロリコンっぽいよな」


 望様望様と、坂本はよく言っている。星野望という俳優のことらしい。この間たまたまテレビで家庭の様子が映されていたが、顔出ししていない妻はかなり小柄だった。かなり年下なのではないだろうかと思ったが、坂本曰く同級生らしい。


「えっ、嘘。一回りくらい下だと思ってた」


「一回り下だったらまだ高校生だよ」


「マジで? 望様いくつ?」


「今年で三十。……老けてるって言いたいわけ?」


「いや、見た目は全然だけどさ、すげぇなんか、ベテランって雰囲気あるからさ……若いのか若くないのかどっちなんだろうってずっと思ってた」


 三十となると親よりも若い。ふと、何故か坂本は海菜さんを見る。視線に気づいた海菜さんは「ん?」と微笑んで首を傾げた。慌てて目を逸らす坂本。明らかに様子がおかしいが敢えて触れないでおく。


「ごちそうさま。美味しかった」


「お。今日は食べ切ったね。偉い偉い」


「お腹空いてたから」


 空になった土鍋を見て嬉しそうに笑ってから小桜の頭を撫でて、土鍋を片付けに行く海菜さん。その姿を見て、血の繋がりが無くても彼女の母親なのだなと改めて感じた。彼女は親と血が繋がっていないことでよく周りから哀れまれているが、この光景を見ればきっと可哀想なんて言葉は出てこなくなるだろう。見なくとも、普段の彼女の様子を見ていれば家庭環境に問題がないことはなんとなく分かるが。


「良いお母さんだな」


「うん。もう一人のお母さんも、いつか桜庭くんに紹介するね。平日は日勤で働いてるけど、土日は休みだから」


「じゃあ、今週の土曜日にまた来てもいい?」


「うん。良いよ。おいでー」


 軽い。本当に全く意識されていないことを感じて少々複雑な気分になる。


「……あ、今週ってそういや、明日からテスト週間じゃない?」


「げっ。もうそんな時期?」


「そっか。そういえばそうだね。じゃあ、希空も呼んで勉強会だね」


「……小森もかぁ……」


「桜庭くん、希空とちゃんと仲良くしてる?」


「……いや、突っかかってくるの向こうだし」


「もー。希空は君の何が気に入らないんだろうね」


 苦笑いしながら小桜は言う。


『怖いんだって。人からの恋愛的な好意が』


 小森の言葉が蘇る。小桜は本当になにも気づいていないのだろうか。


「……本当に気付いてないの?マナ」


 坂本も同じ疑問を抱いたようで彼女に問う。すると彼女は首をかしげた。彼女はそこまで鈍感なようには見えない。むしろ人の顔色には人一倍敏感な気がする。しかし、気づいていないふりをしているようにも見えない。どちらにせよ、今はまだ踏み込むべきではない気がする。


「余計なこと言うな坂本」


「……ごめん」


「……私に言えない話?」


「……すまん。けど、そのうち話す。……俺からも、小森からも。必ず話す」


「……よく分かんないけど、こっちから話すまで聞かないでってことだね?」


「あぁ」


「……分かった。じゃあ聞かないでおく。けど、絶対話してね」


「……あぁ」


『友達の君やボクが告白したら、彼女を傷つけてしまうかもしれない』


 小森の言葉が蘇る。彼女の言う通り、隠し通すべきなのだろうか。


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