第18話 変化


「お前の名前は『シュガ』だ!!」



 途端に真っ黒だった視界が開けた。


 俺は魔宮殿の裏庭から目指していた廊下と反対側に向かって歩いていたらしい。



 いや、待てよ。これはっ!?



 いつもと違う感覚に戸惑う。


 を含め、周囲360度の景色を見せられている。


 俺の意思に反して視線が動き、からすの魔物を見上げるような視点へと変わった。



「……あいつの見ているものを俺も視ているのか」



 悪魔っ子ことシュガは俺の背後しかも上空に停滞して、抱きかかえるように捕えられている。


 病み上がりの身で、魔王国の王子の配下と喧嘩をするつもりはなかったが、契約悪魔を人質に取られたのなら仕方ない。


 俺は何も気づいていないフリをして、純金のネックレスを手に持った。


 背後で風の流れが変わる。

 からすの魔物が攻撃を仕掛ける瞬間――ここッ!


 右足で踏ん張って体を回転し、ネックレスを伸ばす。


 一直線にからすの魔物に向かって何倍もの長さに伸びたネックレスが奴の足首を捕えた。



「くっ!? まぐれでこちらの位置を当てただけだろ。振りほどいてくれる!」



 奴が高度を上げようと黒い翼をはためかせる。

 だが、俺はネックレスの片方を掴んでピクリとも動かない。



「逃がさねぇよ」



 ネックレスをたぐり寄せるように跳躍して、からすの魔物の眼前へ。


 俺が老龍クシャリカーナから教わったことは、たった一つだ。


 それは魔力の一点集中。

 俺は魔力量が貧弱な上に、肉体面も精神面も魔物には敵わない。


 でも、少ない魔力を一点に集めて、力の限りぶん殴れば――



 ほとんどの奴はぶっ飛ばせる。



「こいつは俺のものだ。返してもらうぞ」



 俺の視界には、驚愕に歪む奴の顔しか映っていない。


 とっさにシュガから手を離し、防御態勢を取った翼の上から殴りつけた。


 それでも十分な威力だったようで、飛んでいった鴉の魔物は魔宮殿の柱や壁をぶち抜きながら魔王子――ドゥエチの足元に転がった。


 結構な距離があったとしてもシュガには見えている。

 全方位かつ長距離まで見通せる特殊な目を持っている悪魔らしい。


 これは良い拾いモノをした。



「ちょっと、早く離しなさいよ」

「あぁ、悪か――」



 視線を下げた俺は絶句した。


 今の状況としては、からすの魔物から奪い返したシュガを片手で抱いて落下している。


 落下の方はどうでもいいんだ。

 問題はシュガの方だ。



「……だれ?」

「はぁ!? あんたが名付けたんでしょ!? シ、シュガだって……」



 消え入りそうな声で自分の名前を確かめるように呟く悪魔っ子。


 今の姿は数分前の典型的な悪魔のものとは雲泥の差があった。


 風に流されるピンクのツインテール。頭頂部から突き出る二本の角。

 気の強そうなツリ目にツンと尖った鼻。


 紛れもなく美少女がいた。



「シュガって、メスになったのか……」

「最初から女ですけどォ!?」



 服装は黒を基調としたゴスロリ風で、赤の差し色と艶有りの黒い装飾が施されている。

 さながら、いちごの乗ったチョコレートケーキの上からチョコレートソースを垂らしたような。



「名前を考え直すか」



 真剣に改名を考えていた俺も一緒に支えられるほど、立派に育った悪魔の翼を何度か動かし安全に着地した。



「いいわよ。シュガで。甘い物好きだし」



 そっぽを向いてぶっきらぼうに告げる悪魔の少女。

 髪色に負けず、頬がピンクに染まっているのは戦闘直後の興奮によるものだろう。

 それともやっぱり名前が気に入らなかった?



「本契約ってこういうメリットがあるのか。お前の目はいいな。あんな景色を見たのは初めてだ。背中にも目があるのか?」

「知らない。乙女の体をジロジロ見んな」



 おっと、失礼。

 今では俺の見えているものは自分の眼球が動く範囲でしかない。


 これからもシュガが見ているものが共有できるのなら、これは使える。

 魔王国で活動しやすくなるのは間違いないぞ!



「悪魔界でもさっきも簡単に契約したけど、本当にアタシで良かったの?」



 怯えたような目が向けられる。


 俺は手を伸ばして答えた。



「もちろん。俺はお前の見ている光景を信じる。さっきもその目があったから勝てたわけだし。これからもお前の見ている世界を俺に見せてくれよ」



 そしたら、俺は魔宮殿にいながら各居住区、あるいは戦場、あるいは人種族の国を視ることができる。

 しかも、これまで俺が入れなかった場所も視ることができるってことだ。



 控えめに言って最高だ!



 震える小さな手で俺の手を握り返してくれたシュガの尻尾が揺れている。


 悪魔のくせに、なぜそこまで怖がっているのか分からないが、少しでも気持ちが安らぐならと、ポケットから金平糖を取り出した。



「ほら、食えよ。契約だろ?」

「……契約。そうね。うん、契約」



 腑に落ちないような、儚げな表情で金平糖を一つ摘まんで口に放り込む。

 んー! と甘みを堪能するように口をモゴモゴさせたシュガの雰囲気が和らいだ。



「これが食べられるなら何でもいいや。これからよろしくね。あんた、名前は?」



 そういえば、名乗ってなかったか。



「ツダ。はぐれ鬼人族のツダだ。ほら、角(プラスチック製)もあるだろ。お前のよりは質素だけど」

「ツダ……そう、ふーん。ツダ、ね」



 驚いて、不思議そうにして、無理矢理に納得したような。複雑な百面相を見せるシュガはゴスロリのスカートを揺らしながら俺の隣に並んだ。



「"お前"禁止ね。次に言ったらエグいものを視せ続けるから」



 エグいものってなんですかね……?

 魔物の死骸とか?



 底冷えするような不敵な笑み。

 いくら美少女になったとしても、悪魔は悪魔だ。


 この場は素直に頷くことにしよう。



「分かったよ、シュガ」

「それでいいわ。あ、他の悪魔と契約する予定ある?」

「今のところはないな。もう悪魔界には行きたくないし」

「ふーん」



 ご機嫌に厚底靴で地面を踏みしめる感覚を確かめる悪魔と一緒に魔宮殿の廊下へ歩き出す。


 散乱した瓦礫を避けながら戻ると澄ました笑みのドゥエチ王子が待ち構えていた。



「貴様の力は十分に理解した。だからこそ理解できない。オレ様の部下を一撃で倒せるのに、なぜ非戦闘員を気取っているのか。それは強者に対しても弱者に対しても不誠実だとは思わないか?」

「俺は平和主義な鬼人族なんだ。できることなら拳は握りたくない」

「そんな覚悟でレイラルーシスの婿が勤まるとでも思っているのか?」

「その話なんだが、俺よりももっと相応しいヒトがいると思うんだよ。告白の手伝いをしてやるから代わってくれよ」

「き、貴様……」



 これ以上、危険を冒したくないんだよ。

 レイラの婿になるとは、すなわち王配の座に就くということだ。


 公務に勤しむようになって本来の任務に精を出せないとなれば本末転倒なんだよ。



「明日、訓練場へ来い」

「嫌だ」

「人間の勇者を勝手に人族の元に帰した件はどう説明する。自分の手を汚さず、ラゲクに罪をなすりつけるなんて鬼人族の名に泥を塗る行為ではないか」



 実に嘆かわしい、と魔王子が続ける。



「族長の前に差し出してやってもいいんだぞ。聞くところによると鬼人族の罰は相当キツいそうではないか」



 え゛ぇ゛!? そうなの!?

 絶対に嫌だ!



「……分かったよ」



 鼻を鳴らして、気絶しているからすの魔物を担いだドゥエチが去って行く。

 なんやかんやで部下想いらしい。



「ねぇ、どんな罰を与えられるの?」



 我関せずと言った様子で黙っていたシュガからの問いには答えられなかった。

 だって、知らないんだもん。


 やべ、変な想像しちゃった!



「………………」

「本当に恐ろしいんだね」



 これからも鬼人族の居住区には絶対に近づかないでいよう。

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